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駐日フィジー大使館 サイクロン・ヤサ救済基金アピール [2021年01月13日(Wed)]

昨年末、12月17日、サイクロン・ヤサがフィジーを襲い多くの被害が発生しました。今般、駐日フィジー大使館より、サイクロン・ヤサ救済基金アピールの連絡がありましたので、同大使館の許可を得て、写真を含め、下記転載させていただきます。なお、義援金については、下記リンク先の駐日フィジー大使館HPにてご確認ください。

(日本語訳:ケレラ・サブ一等書記官)
ーーーーーーーーーー
駐日フィジー共和国大使館は、被害者を支援するために熱帯低気圧「ヤサ」救済アピール基金のアピールを開始しました。

令和2年12月17日にフィジーを襲った熱帯低気圧ヤサは、カテゴリー5に値する暴風雨サイクロンでした。2016年のサイクロン・ウィンストン以来、最大のサイクロンで風力は最高時速345km(およそ秒速96m)を記録しました。その結果、フィジーで2番目に大きい島、バヌアレブ島や多くの島々の沿岸地域では、高潮と洪水の被害を受けました。

Source Fijian Government Facebook Page 3.jpg
(出典:駐日フィジー大使館)

Source Fijian Government Facebook Page 2.jpg
(出典:駐日フィジー大使館)

Source Fijian Government Facebook Page 1.jpg
(出典:駐日フィジー大使館)

この被害に対し、フィジー政府は国内外の支援を受け全力をあげての復旧作業に臨んでおりますが、一日も早い復興のために、皆様のご協力を必要としております。

フィジー政府は、支援国と共に、多数の負傷者、家屋や学校の倒壊、通信手段の切断など、数々の被害を把握するように努めています。被害の全貌が明白になるには数週間が必要です。しかし、被害の総額は数億ドルになるとと報告されています。

フィジー政府はこの大被害により、家や財産を失った人々、そして遠隔地に住む人々へのライフラインの一日も早い復旧、復興のために皆様からの寄付を呼びかけています。

駐日フィジー共和国大使館は、これを受けて、サイクロン・ヤサによる被害に対しての皆様からの募金のご協力をお願いしています。皆様からの寄付金は、サイクロン・ヤサ被害のための「国立災害復旧復興基金 」に送金され、サイクロンによって、家や生活の基盤を失ったフィジー全土の多くの人々の生活を再建するために使われます。ご支援をお願いするにあたって、ルカの福音書6章38節を引用致します。「与えなさい。そうすれば自分も与えられます。」

皆様からの寄付は、多くのフィジー人の今後数週間の生活に大きく寄与致します。

皆様のご支援、ご協力をどうか宜しくお願いします。


救済募金口座(※下記駐日フィジー大使館リンク先でご確認ください)
http://fijiembassy.jp/tropical-cyclone-yasa-relief-appeal/

ご協力いただける方は、お名前もしくは会社名の明記をお願いいたします。

フィジー人は常日頃から強靭かつ弾力性のある国民ですが、このような時には皆様の暖かいお心やご親切をうけることで、さらに困難に立ち向かうことができます。

ご協力大変ありがとうございます。

Kelera Savu
for Ambassador

EMBASSY OF THE REPUBLIC OF FIJI, TOKYO
在日フィジー共和国大使館
Tel: 81-3-3587-2038
www.fijiembassy.jp

ーーーーーーーーーーーーーーーー(転載ここまで)

ちょうど1年前、フィジー国家災害管理局のバシティ・ソコ局長を招聘し、公開シンポジウム、非公開会議で情報を共有していただきました。2020年は新型コロナの流行阻止、感染症の流行、2つのサイクロン災害などに担当局長として、大変忙しく、しかし適切に対応されていました。

その1年前の会議の際、太平洋島嶼国について、災害に「脆弱な」と表現したところ、静かに「我々は脆弱ではない」、「歴史上、人々は災害に負けずに生活し、国づくりをしてきた」と人々の強さを教えていただきました。確かに、自分がフィジーにいた頃でも、自分であれば悲観的になるような状況の中、彼らはポジティブな要素を見つけていました。

とはいえ、現地国連機関にいる現地の友人もこれから忙しくなると話していましたし、コロナにより民間経済部門が縮小している中で、海外からのさまざまな支援が必要な時だと思います。

フィジーの早期復興を願っています。
サイクロン・ヤサ [2020年12月18日(Fri)]

フィジーでは、昨日カテゴリー5のサイクロン・ヤサが直撃しました。
現地の報道をみると、最大風速315km/h、(95m/s?)とありました。

一昨日夜の予想ルートは北部バヌアレブ島と本島にあたるビチレブ島の間をサイクロンの中心が北西部から南東方向に1日かけて通過するというものでしたが、今朝の報道をみると、やや中心が北部にそれたようです。

Fiji NDMO (国家災害管理局)のツイッターをみると、6時間前の投稿で、23,479人が457カ所の避難所に避難しているとのことでした。

過去の経験から想定すると、おそらく、最初にフィジー軍、豪軍、NZ軍などが初期対応を行い、1週間ほど被害調査が行われ、UNOCHAはReliefwebで被害状況を報告し続けると思います。

その後、1〜2週間後を目処にNDMOを中心に情報が整理され、避難した住民を対象とした緊急援助要請が各国に出され、1カ月後以降、復旧支援のステージに移るものと思われます。

まだ現時点では被害規模は判明していませんが、今朝のニュースでは2名が亡くなったそうです。またSNSに投稿されている写真をみると、建物の倒壊があり、川が増水している様子が分かります。
サイクロン・ヤサ、フィジー直撃へ [2020年12月16日(Wed)]

カテゴリー5の猛烈な勢力を持つサイクロン・ヤサが北西部からフィジーに迫っているそうです。明日から3日かけてフィジーを直撃するようです。

予想ルートをみると、ヤサワなど離島部を除き、フィジー全体が含まれており、首都スバも直撃されるように見えます。

数年前のウィンストンが北部を中心に甚大な被害をもたらしましたが、今回は通過速度も遅く、人口の多い都市部を通過するため、それを上回る規模の被害となるかもしれません。

19日に通過後、被害の詳細が判明するまで数日かかることになるでしょう。豪NZ関係当局を含め、備えているところだと思います。国際社会として大規模な支援が必要になるかもしれません。

被害が最小限でおさまること、人的被害がないことを願います。
フィジー独立50周年 [2020年10月10日(Sat)]

今日は、フィジー独立50周年記念日です。SNS上にお祝いが溢れています。
日本はフィジー独立以前から、戦前から繋がりがありますが、日本・フィジー外交関係も50周年。

新型コロナがなければ、都内でも盛大にお祝いするところでしたが、いつか51周年、52周年のような形で何かできれば良いですね。

フィジーは50年前に思い描いた国になっているのか。大きな流れで見れば、発展の方向は間違ってはいないのだと思います。その上で、10年後、20年後、50年後の国のイメージを見てみたい。

太平洋島嶼国と関わっていると、自治政府樹立や独立記念日を祝う熱を感じます。それゆえに、国というものを、自治というものを考えさせられる、というよりも教えられることがよくあります。

ときどき、現地政府が日本政府に対して、日本の建国記念日にお祝いのレターを出されることがあります。先方は自国の独立記念日と同じ熱を持って、お祝いしてくれるのですが、おそらく日本人の多くはそこまでの熱を持って建国記念日を祝っていないと思います。もしかすると、日本の憲法記念日が彼らの感覚に近いかもしれません。


それはそれとして。

フィジー独立50周年、おめでとうございます。日本とフィジーの友好関係が、これからも長く続くことを願っています。
フィジー政府支出削減の影響 [2020年07月18日(Sat)]

昨日か一昨日、フィジー政府が海外ミッションを整理することで、800万フィジードルの支出削減を図るとのニュースがありました。
そして昨晩、米国ワシントンDC、韓国、パプアニューギニア、ブリュッセル、クアラルンプールの在外公館を一時的ではなく、閉鎖するとの決定がなされたようです。

国連代表部が残るので、DCとブリュッセルはカバーできるでしょう。韓国ソウルはハブとしての評価が外されたのでしょう。


コロナによる財政問題、ニューノーマルとして遠隔でカバーできるものの整理と効率化、人の往来減少が背景にあるのかもしれません。


大切な友人であり、自分の先生でもあるアメナ・ヤウボリ大使が、先日駐米大使となったのですが、大使館が閉鎖されるということで少し心配です。

本国に常駐して、オンラインで米国大使の役割を担うのか、国連代表部を活用するのか。

今後、物事がどうターンアウトしていくのか、見てみましょう。

日本は重視されているようで、ほっとしました。

東アジアは中国大使館がカバーするとなってしまったら、外交関係の後退になるところでした。
フィジー、コロナフリーに!(追記) [2020年06月08日(Mon)]

フィジー政府ポータルサイトに記事が見つからなかったので、フェイスブックページを貼ります。

https://www.facebook.com/FijianGovernment/posts/3315996311766614

これまで感染が判明した18人全員が陰性となり、新規感染者も45日以上見つかっていないそうです。

ロサンゼルス、シドニー、オークランド、インドから帰国した方々から、感染者が判明した当初、感染者数が急増するのではないかという不安があり、さらにサイクロン・ハロルドによる災害が発生するという大変厳しい状況の中、しっかりと対応し、ついに感染者ゼロとなりました。

フィジーが行ったのは、自国でのウィルス検査能力の確保、入国制限、クラスターの徹底追跡、感染者の隔離や経過観察、正確な情報発信、ラウトカやスバのロックダウン、外出制限、ソーシャルディスタンスの徹底などでした。特にクラスターに関しては、人海戦術で徹底的に対応されていました(ニュースやSNSで見た限りでは)。

自由を制限されたことで、一時、住民から不評を買った面もあったと思いますが、徹底して合理的な対応をされたように思います。

さすが、フィジー。


(追記)

国内ニュースを見ていたところ、ニュージーランドもコロナフリーとなったとの報道がありました。

https://news.yahoo.co.jp/articles/9bcd8389e5f02dcb8e6d89460584ab9a8dc0a407

コロナフリーな国の間での人の往来が可能と考えると、ニュージーランドとフィジー、トンガ、サモア、ニウエ、クックとの間の観光を復活できる可能性ができたことになるかもしれません。

これらの国々が、国境をどのように開いていくか、今後の動きに注目しましょう。


例えば、これが可能となり、台湾でコロナフリーが実現すれば、パラオとの間で観光を復活できるかもしれません。
フィジー航空、7月末まで、国際線全面運休(5/28) [2020年05月28日(Thu)]

厳しいニュースです。フィジータイムズ紙。

https://www.fijitimes.com/fiji-airways-international-flights-cancelled-until-end-of-july/

昨日紹介したフィジー航空の従業員700名以上の削減(記事ではterminateとかlayoffという言葉が使われています)のニュースに続き、国際線を7月末まで運休とのニュースです。

現地経済を考えた場合、過去2000年代の経済状況が厳しかった時代の経済構造を見てみる必要があるのかもしれません。


おかしなたとえになりますが、例えば、マーシャルにいたころ、計画停電と、アクシデントによる停電がありました。

計画停電であれば、終わりが見えているので対応できますが、終わりが分からない状態だと対応が難しくなります(スタイルを変えるとか、機材を用意するとか。例えば、どうやって米を炊くか。電気のライスクッカーを使うのか、炭を買ってきて鍋で炊くのかとか)。


現在の状況は、誰も先が見えない中での対応で、今、いろいろな想定を話しても、不確定要素が多すぎるため無駄な議論になってしまう可能性が高く、無責任な話になってしまいます。

当事者は、可能性の高い、近い範囲での想定を基に、都度対応をしていかなければならず、本当に大変な状況だと思います。
フィジー航空、従業員大幅カットも、政府が融資保証へ。 [2020年05月27日(Wed)]

まずは「フィジー航空がパイロット、乗務員を含む従業員758名との契約を終了した」とのニュース(5/26付)。

https://www.fijitimes.com/758-employees-lose-their-jobs/

これにより、「人件費を50%カットできる」とのこと。


次に、「フィジー政府が、フィジー航空の破綻を避けるため、455百万フィジードル(約230億円)の融資保証を行う」との報道。

https://www.fijitimes.com/455m-to-avoid-crash/

(目安として、1フィジードル=0.5米ドル)

「フィジー国家準備基金(FNPF、確か年金もここからだったと思います)から35百万フィジードル、フィジー準備銀行から75百万米ドルの融資を得る」。

記事には、数字の内訳がよくわかりませんが、「国内債務が191.1百万フィジードル、対外債務が117百万フィジードル」と書いてあります。今回のフィジー航空救済のための分ということかな。


世界各国同様の状況があったり、太平洋島嶼国では元の政府財政規模も経済規模も小さいので、非常に難しい国家運営を強いられている状況だと思います。しかし、この状況は、数百億円という資金を巨額としないところがあれば、分野を定めて、影響力を高める機会でもあるでしょう。


先ほど、テレビである観光分野の方が話していました。日本では、まず身近な範囲の国内観光から活性化させていく、それに伴い、地域にさまざまな経済波及効果がある。さらに、インバウンドは18カ月くらい先にならないと回復していかないのではないかと。そうすると、インバウンド頼りの小島嶼国はかなり厳しい。


ちなみに、自分は経済素人ですが、フィジーの元財務官僚に教えていただいたGDPの基礎の話。支出ベースで、CGI+ImEx。Cが消費で、Gが政府支出で、I が投資で、ImExが貿易収支だったか。インバウンド観光の大きな部分はサービス輸出になるので、ImExのExですが、国内観光で消費が伸びれば、Cが伸び、GDPが回復方向に、ということかと。

フィジーの場合は、資金を調達したり、税制改革を行うことで、特に2013年以降は、CもGもIも増やし、GDPが成長基調を続けてきました。そのポイントの一つが、債務のGDP比率で、政府はGDPを上げることで債務余力を増やし、同比率を50%以内に押さえながら、政府財政補填のための資金調達ではなく、経済成長のための経済インフラ向上のために資金調達を続けてきました。このモデルは、GDPが右肩上がりで伸びていかないと厳しく、GDPが落ちると、途端に、債務のGDP比がドンと上がってしまいます。

それでもフィジーの債務は、対外債務が全体の3分の1程度だったので、まだ他の対外債務を多く抱える中規模の島嶼国よりは、何とかマネージできそうではありますが。。。

当事者は、大変な日々を送っているのではないかと、心配になります。
ヤウボリ新駐米フィジー大使! [2020年05月26日(Tue)]

前職および現在の職場でお世話になったフィジーのヤウボリ大使が、フィジーの駐米大使に就任されました。

https://www.fijitimes.com/yauvoli-is-fijis-us-ambassador/

ヤウボリさんの話をするときには、また昔話になってしまいます。

自分が外務省の任期付職員としてフィジーの日本大使館に赴任したのが2012年10月。いろいろあり、日本とフィジーの関係が拗れており、特に閣僚以上のレベルではコミュニケーションを取りにくい状況にありました。

島嶼国に関する専門性があるということで、任期付ポストに採用されたこともあり、おそらく本省からは正規職員とは異なる視点で何かやってほしいということだと言外の意味を読み取り、現地で上位者に確認しつつ、いろいろ動いたりしました。

任期付前は、2012年9月まで笹川平和財団で研究員を務めていましたが、マタイトンガ大使を始め、駐日フィジー大使館の皆さんに大切にしていただいたこともあり、フィジー赴任時には、単なる一書記官にも関わらず、ナンディ空港でフィジー政府職員の方に、丁寧に丁寧に対応していただいたことも覚えています。


2012年10月下旬の赴任当初、現地では、フィジー政府とのやり取りがなかなか不自由で、大使クラスが動きにくい中、その下位者が動くことも難しい状況のようでした。スバの天気も1か月ずっと曇りか雨で、気持ちは滅入るし、住居はなかなか決まらないし。

そこで、当時、本省に確認しつつ、自分のフィジー人脈を活用し、事務官レベルから対話を始めることとし、自分は経済や経済協力担当だったので、フィジー経済や経済協力に関する相談ということで、フィジー外務省を訪問する機会を作るようにしました。専門調査員の経験はあったものの、自分は民間から移っただけの、プロパーではない外交官だったので、とにかく実践で学ぼうというところもありました。

2012年11月以降、しつこく理由を見つけてフィジー外務省を訪問するうちに、当時外務次官であったアメナさん(ヤウボリさん)が、おそらくフィジー人脈の中でも人物像を共有してもらっていたのだと想像しますが、「お、ヒデ。今日は何だ?」と声をかけてくれるようになり、あるOB会にも誘っていただけるようになりました。

パラオの共通の友人が、アメナさんによろしくということで、繋いでくれたこともありました。(振り返ると、気候変動や環境系の話で、財団で培ったパラオでの人間関係が、フィジーとの対話を進める中で、側面から助けてくれていたことが数回ありました。)


その後、例えば日本政府から正式なメッセージがあるときには、その周辺情報や考えられる意図などを説明したりし、クンブアンボラ外務大臣(当時)の来日、バイニマラマ首相の来日、日・フィジー首脳会談に繋がる、一番底の部分の地ならしになったのかもしれません。


ヤウボリ大使は、環境系のバックグラウンドがあり、ポスト・リオ+20、持続可能な開発目標(SDGs)、地域住民と国際社会を繋ぐ考え方について、ワークショップにも誘ってくれたり、たびたび教えてくれました。2013年にはG77+China議長を務め、国連の場でも活躍されました。

確か、外務次官になる前は、太平洋共同体(SPC)ミクロネシア事務所長、外務次官のあとには、太平洋諸島開発フォーラム(PIDF)の暫定事務局長、フィジーの気候変動大使、メラネシアン・スピアヘッドグループ(MSG)事務局長を務められ、今回、駐米大使に就任されました。

財団では、2016年2月のパラオでの国際会議にフィジー気候変動大使として参加していただいたのち、2017年〜2018年には、PALM8に向けた意見交換に協力していただき、2018年1月に開催した国際シンポジウムには、フィジー気候変動大使および地域機関のメラネシア・スピアヘッドグループ事務局長として参加いただき、モデレーターや講師を務めていただきました。

その後は、仕事ではなかなかご一緒できませんでしたが、プライベートでは何度かキャッチボールをしてきました。

次にお会いできる機会があるのかないのか、、、ない可能性の方が高そうですが、米国でも、ご活躍されるものと思います。

ヤウボリ大使は知日派であり、太平洋島嶼国全体をよく知る人で、気候変動、ブルー・グリーンエコノミー、開発パートナー関係など、実務をベースとした深い知見を持つ方なので、米国でヤウボリ大使とお会いする機会がある皆様には、是非、交流を深めていただければと思います。

率直で、大変温かい方です。
フィジー:ガラセ元首相逝去(4/21) [2020年04月22日(Wed)]

昨日、ガラセ元首相が亡くなりました。79歳だったそうです。2000年から2006年、フィジーの首相を務められました。

短期の暫定首相を除くフィジーの首相は次のとおりです。

1970-1987 カミセセ・マラ *先住民系政権
1987 ティモジ・ババンドラ(先住民系)(労働党)*インド系との連立政権(1カ月のみ)
      
*1987 ランブカ軍司令官(陸将)による軍事クーデター、5月と9月の2回

1987-1992 カミセセ・マラ *先住民系主導
1992-1999 シティベニ・ランブカ *先住民系主導

1999-2000 マヘンドラ・チョードリー(インド系)(労働党)*インド系主導、フィジーの選挙制度を上手く計算し、選挙に勝利

*2000 民間人によるクーデター(フィジー系市民スペイトが武装勢力と起こしたクーデター):どのように武器を調達したのか、資金源は何なのかと調査がなされた。表はスペイトだが、現地では裏の繋がりが公然の秘密として理解されている(正式な文献もなく、危険なので、ここには書きません)。
*2000 バイニマラマ軍司令官(海将)がクーデターを鎮圧

2000-2001 ライセニア・ガラセ(無所属)
*2000 バイニマラマ軍司令官暗殺未遂(11月)
2001-2006 ライセニア・ガラセ(SDL) *先住民系優先

*2006 バイニマラマ軍司令官による無血クーデター
2007-2014 ジョサイア・ヴォレンゲ・バイニマラマ(暫定政権)*多民族国家、平等
2014- ジョサイア・ヴォレンゲ・バイニマラマ *多民族国家、平等


このように振り返ると、特に1990年代末以降のフィジー内政には、先住民系優遇から多民族国家への改革の流れがあり、主要人物としてランブカ元首相・退役陸将(先住民優遇側)、ガラセ元首相(先住民優遇側)、バイニマラマ首相・退役陸将(多民族国家・国民は皆平等)が関与していることが分かります。

その一角であるガラセ元首相が亡くなりました。ご冥福をお祈りいたします。


ちなみに、これは自分の観察に基づくものですが、バイニマラマ首相に対してあまり良い感情を持っていない勢力や反対側の人は、バイニマラマ首相を「フランク」と呼んだり、「フランク・バイニマラマ」と書く傾向があるようです。間違いではないのですが、首相自身が、軍司令官時代のフランクと現在のフィジー系の名前を使い分けているようにも見えます。
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