前の記事で、ミクロネシア連邦と旧米国信託統治領の主権確保について、簡単に振り返りました。
私見になりますが、ここからもう少し、状況を深堀したいと思います。
現在のパラオ、ミクロネシア連邦、マーシャル、北マリアナで構築されていた米国信託統治領は、北マリアナが米国領に留まり、マーシャル、パラオ、ミクロネシア連邦が、それぞれ米国とコンパクトを締結し、主権を確保しました。
現在のミクロネシア連邦は、西からヤップ州、チューク州、ポンペイ州、コスラエ州で構成され、人口はそれぞれ約11,000人、約50,000人、約36,000人、約7,000人で、母語が異なります。
だいぶ前、2008年頃、現地の教育上大きな問題となっていた英語力について、当時のマーシャルのトメイン大統領は、米国信託統治領時代の方がマーシャル人の英語力は高かったと話していました。共通語として英語を使う機会が多かったためとのことでしたが、マーシャル語を使うことについて強い誇りを示していました。
対ミクロネシア連邦支援に関わったことがある方は皆ご存知ですが、よくミクロネシア連邦と仕事をするときには、5つの政府を相手にしなければならないといわれます。
ミクロネシア連邦政府は対外的な窓口の政府としての役割が強い一方で、内政に関しては、各州政府が担うという役割があるといえるでしょう。
米国とのコンパクトというのは、あくまでもミクロネシア連邦という国の基盤を構成する、国と国の条約であり、州と米国の関係ではありません。
そのコンパクトは、経済支援ばかりがクローズアップされますが、実際には統治、経済関係、安全保障・防衛、一般規定の4つの編からなり、単純なものではありません。現地の人々が自然に権利を享受している一方で、その特別な地位が認識されにくいのが、ビザに関わるものです。統治の編に記載されています。
パラオ、マーシャルと同様に、ミクロネシア連邦のパスポートを持つミクロネシア連邦国民は、米国内でビザなしで教育も労働もでき、米国の社会福祉や連邦プログラムを受けられるなど、米国民と同等の権利を有するとされています。ただし、これは市民権ではないということが明確に記されており、例えば、ミクロネシア連邦パスポートと米国パスポートは同じではなく(当然ですが)、米国パスポートに簡単に切り替えられるものでもありません。その場合は、他の外国人と同様に市民権取得の手続きが必要です。
脱線しますが、かつて第1次コンパクトの時には、同様にマーシャルのパスポートが持つ特典を目的として、フィリピン人や中国人がマーシャルで生活し、(現地では5年ほど居住すると申請できるはずですが)マーシャルのパスポートを取得し、米国に移住するということが可能でした。しかし、2003年10月に始まった現在の改定コンパクト(第2次コンパクト)では元の出身がマーシャルではない場合は、米国ビザを取得しなければならなくなりました。
ミクロネシア連邦に戻りますが、コンパクトというのは経済援助が注目されますが、本来重要なのは、このビザフリーの権利です。仮にこの権利がなくなれば、グアム、ハワイ、米国本土など米領でミクロネシア連邦パスポートで居住している人々は、ビザを取得しなければならなくなり、かなり多くの人々がビザを取得できずに国外退去となるでしょう。
経済援助については、米国はミクロネシア連邦の米国依存を軽減するため、2008年頃から、1年目50万ドル、2年目に100万ドルというような形で2023年まで信託基金に資金を積み立てています。積み立てに使われた資金は、真水の援助部分からは差し引かれ、表面上は米国の援助が減っていくように見えます。
また、第1次コンパクトの時代には、米国はミクロネシア連邦政府に資金の使用に対する自由度を持たせていましたが、第2次コンパクトでは、腐敗防止・ガバナンス強化のため、予算建て・執行・決算に関し、米国政府が承認する形となっています。四半期ごとにレポートを出す形となっているはずです。
コンパクトの資金は、連邦政府から州政府にももたらされますが、その精査の過程でいろいろな条件が出されることがあり、資金が停止されることもあります。かつて、コスラエ州とチューク州では報告書が米国側に提出されなかったために、資金が停止されたことがありました。ミクロネシア連邦短大に関しても、現地からみるといろいろと難癖をつけられるという見方がなされていました。
これにより、第2次コンパクト(2003〜2023)のもとでは、現地では「米国が意地悪で、我々をいじめている」という米国に対する反感が強まっていきました。
連邦議会でも、クリスチャン前大統領が議員であったとき、モリ政権のとき、2011年頃でしたか、このような米国の意地悪な姿勢に不満を持ち、コンパクト破棄の決議をしたことがありました。
(つづく)