
包容力という言葉が正しいのか分かりませんが、バヌアツのこの優しい感じはなんなんでしょう。
サモアでもトンガでも、とても親日的で訪問者を大切に扱ってくれますが、ビジター感が強い。
マーシャルやコスラエでは、シャイな人が多いのですが、言葉にしなくともわかりあえる感覚があり、女性は強いですが、ついほっこりと甘えてしまいそうになります。
パラオでは、シャンとしていなければなりませんが、一度受け入れられると、仲間として同じ目的に向かうことができます。
フィジーは、こちらがしっかりと勉強していないと相手にしてもらえないというか、町の人々の雰囲気が5年前と今では異なるので難しいですが、今のフィジーはパシフィックな優しさが感じられます。インド系の人もです。
キリバスは、自分がマーシャルにいたときにキリバス人の家族にお世話になっていたこともあり、うちに帰ったような感じがありました。自分があった人々はシャイで謙虚なのですが芯がある印象でした。
生活をしているのと出張とを一緒にすることはそもそも間違っていると思います。
それでもバヌアツの場合、シャイでも壁を作るでもしつこく絡んでくるでもなく、普通に気兼ねなく話すことができます。
先日現地のエリー(男)という運転手に島の視察に連れて行ってもらいましたが、彼はニューカレドニアにいたこともあるのですが、バヌアツの人とニューカレドニア先住民系のカナーキーの人たちでは人当たりが異なるということでした。バヌアツでは人はコミュニティの一員であり、客人をコミュニティに受け入れるという感覚があるのだそうです。
エリーはさらに、ニューカレドニアでは仏領のウォリス・フツナの人たちとは上手くいかなかったとも話していました。
バヌアツは英仏共同統治の時代があり、現在もフランス系の学校(第二外国語が英語)と英国系の学校(第二外国語がフランス語)に分かれています。独立は1980年ですが、その前はマンガン鉱山が稼働しており(フランス系)、ウォリス・フツナやベトナムから労働者として連れてこられた人がいたり、英国はキリバスから労働者を連れて来たりしたそうです。そのため現在もベトナム系バヌアツ人やキリバス系の人々がいるとのこと。中国人よりも先にベトナム人が溶け込んでいたのだそうです。
今日の昼、バヌアツ人の友人とベトナム系の店で食べたタンシチューライスは絶品でした。

太平洋島嶼国というとフランスはあまり目立ちませんが、南側のメラネシア、ポリネシアでは、歴史的な背景や人の繋がりがあり、存在感を感じます。

向こう岸、左はADBや豪州による貨物港整備、真ん中あたりが日本政府によるラペタシ多目的港整備、大きな白いクルーズシップがいるのがやはり日本が整備した港。
クルーズ船の観光客数は飛行機の2倍以上、豪州やNZから。
これに加え、中国企業が落札した世銀による滑走路拡張事業、中国の借款によるエスプリトゥ・サント島の港湾整備などで、ますます観光客を受け入れるインフラが強化されています。
現時点でポートビラへの近隣からのフライトは、オークランド、シドニー、ブリスベン、ポートモレスビー、ナンディ、スバ、ニューカレドニア、中国本土からの直行便も近々就航するという話もあります。