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サイクロン・パム(2015)の話 [2017年10月30日(Mon)]

自分とバヌアツとの最後の繋がりは2015年3月の国連世界防災会議でした。

自分は当時フィジーの日本大使館から同会議への応援出張に向かうところ、ナンディ空港で偶然ロンズデール大統領(当時)一行と合流し、ナンディから都内のホテルまでアテンドすることになりました。

東京到着後、夜10時を過ぎていたと思いますが、一行がバヌアツの通貨バツを両替できず、少し手助けしたこともありました。

翌日、東京駅で新幹線まで送ったところで終わりだったでしょうか。仙台の会場で一行の中の局長クラスとは話す機会がありましたが、サイクロン・パムがカテゴリー5に発達し、進路がバヌアツを直撃する絶望的な情報が伝わっていたところでした。

今回の訪問で、本当はロンズデール大統領に挨拶したかったのですが、残念ながら今年の6月、執務中に急逝されました。時間は残酷です。マーシャルのトニーさん(デブルム大使)もマット(ザカラス大臣も)、そのうち会って話せるだろうと思っているうちに、亡くなってしまいました。こういうことがあるから、あまり親しくなりたくない。

さて、ポートビラのあるエファテ島では、特に北部でサイクロン・パムによる被害が大きかったという話を聞きました。

これはOnesuaという村です。

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海岸に面した平地の村ですが、サイクロンで3軒だけしか残らなかったそうです。海水も内陸200メートルの位置まで浸入したとのこと。残った建物はコンクリート製の教会、豪州支援による校舎、日本の支援による校舎。このような土地では木造の弱い建物が多いため、日本の支援により丈夫な教室を作ることが災害時の避難所を整備することにもなっているようです。

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北東部のEpauでも同様に被害が大きかったものの、やはり日本の草の根無償で作られた校舎は持ちこたえたそうです。

草の根無償は無償資金を供与し、現地の建設会社などが設計(バヌアツでは校舎の統一デザインがある)、建築するので、日本製というわけではありませんが、何年もの間後回しにされがちな地方に建設されるということで大きな意味があるのだろうと思います。

バヌアツでは1998年にカテゴリー3のサイクロンが直撃、24時間、バヌアツにとどまり大きな被害をもたらしたそうですが、サイクロンパムは3時間で98年を上回る被害を出したそうです。

一方、98年との違いは通信環境が異なっていたこと。現在バヌアツでは離島部でも携帯が使える環境にあり、サイクロンパムの直撃の1日前には離島住民にも丈夫な建物に非難するよう指示が出され、人的被害はありましたが、多くの人命が救われたそうです。
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