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島の仕事とは関係ないのですが、、、 [2012年09月13日(Thu)]

9月13日(木)

iphoneにしてから、フェースブックをよく使うようになりました。日本国内向けだとあまり使い勝手が良いようには見えませんが、僕のようにあっちこっち動いていた人間にとって、人とつながる良いツールになっています。

数日前、ザンビアからメッセージが届いていて、数度やり取りをしていたところ、昔の教え子だったとわかりました。

僕は1996年から98年までザンビア東部州チパタ市のチゾングウェ技術高校でJICAボランティアとして理数科教師をしていました。96年は高校のマネージメントの問題で、年に3か月ほどしか学校が開かず、97年は僕自身4度マラリアにかかり、体重ももともと50キロ台前半だったので、正直、生き抜くのだけで精一杯でした。しかし、1998年1月(学校の年度は1月開始)に10年生のクラスを持つようになり、非常に良い生徒たちで、学校も開いていたので、毎日充実していたのを思い出します。

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↑放課後の写真

しかし、任期は7月までで、6月には任地を離れなければならず、生徒にも申し訳ないし、非常に悔しい思いで帰国したことを思い出しました(この悔しさがマーシャル高校での活動につながったともいえる)。

それで、先ほどのザンビアからのメッセージですが、その時の生徒の一人、ニコラスからでした。写真も送ってくれました。

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手前左でしゃがんでいるのがニコラス。右側がエドワルド。僕の左がウィルソン、右がマンガニ、後ろにいるのがベネディクト。

チゾングウェ高校は全寮制で、お金がかかるため、各家庭から生徒を高校に入れることは大事業になります。そのこともあり、10年生の彼らは16歳もいればベネディクトのように24歳の生徒もいます。

またザンビアの平均寿命は30代で、僕が現地にいた時も、毎週葬式があり、教え子の将来についても厳しいという印象を持ち続けていました。また、教え子や友人が死んだとか知りたくないので、頭の片隅に記憶をしまっていました。

しかし、ニコラス。彼は大学を出て、今、コッパーベルト州のキトウェ(チパタから見たら、大都会ですよ)で、マイクロファイナンス関連会社で働いているそうです。

そしてもう一つ、マーシャルの時の生徒からもメッセージがありました。

マーシャルではJICAボランティアや現地教員として2003年8月から2006年1月までマーシャル高校の教員をしていました。数学、理科を教えたり、担任をしたり、音楽、スポーツ、ダンスなどを指導したり、いろいろやりましたが、特に2003年、当時新入生だった9年生の生徒たちとは今も何かつながっています。

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↑女子フットサルのコーチをしていた時の写真。グレーがデンジャラス・デビルズ、黄色がJab Down (No Surrenderみたいな意味)

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↑これは国内大会で、女子バレー、男子バレー、女子バスケ、女子フットサルで優勝、準優勝をした時のだったと思います。一番左がヨラリンで今は米国のサクラメントあたりにいます。2人のかわいい娘さんのママ。真中がメロニ。足が速く、スタミナもあり、粘り強い子。今はマジュロのはず。右から2番目がウィンディ。10年生の時にジャルート高校に転校して、今は結婚してアメリカ本土にいます。彼女は負けず嫌いで拗ねやすく声が大きく集中力もなくやりにくい子でしたが、家庭環境の問題があったのを見つけて、話してみたらただの甘えん坊だとわかりました。歌がとてもうまい。一番右はダイアナ。高校卒業後、すぐに米国本土に行ってしまいました。

で、メッセージをくれたのは、上のフットサルの写真の真中で白いボールを持っている右側の黄色いTシャツがエレイン、左のグレーがアン、アンの左がマクリタ。そのマクリタです。

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この写真がありました。一番手前の「うぇー」という顔をしているのがマクリタ。彼女は今2児(女の子)の母でハワイ島に住んでいます。記憶力は強くないけれど、素直な子で、ディフェンシブなミッドフィルダー。バレーではレシーバー。その左がアン。アンは今フィジーで薬学の勉強をしているやはり僕の教え子で強いつながりをもつダスティンと結婚し、2児の母。今はマジュロ。足が速く気が強いのでフォワード。後ろはジェニー。真面目な子で、粘り強いのでディフェンス。今もマジュロで勉強しています。

それで、昨晩、フェースブックを開くとチャット画面が開き、左にザンビアのニコラス、右にハワイ島のマクリタ、こちらが東京で、同時につながり、なんというか、非常に感慨深いものがありました。ザンビアでは野生のマンゴーを食べて、種を捨てるとそこからマンゴーの木が育っていくという話がありましたが、そのような感じでしょうか。何かいい感じです。


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