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もう5月… [2011年05月01日(Sun)]

5月1日(日)

季節が変わって、ようやく心が立ち直ってきた気がします。やっと日常生活の他愛のないことが、楽にできるようになりました。

まだ余震は続き、福島原発も安全ではないですが、東京での日常に慣れて、できることをするしかないと心が理解したというか、、、うまく表現できませんが。

震災後から、いろいろな方向からのストレスのせいか、3月末に、また眼がおかしくなり、先週から眼科に再通院、自己アレルギーによる症状と判明。悪化すれば視えなくなりますが、対処療法でとりあえず回復してきました。しかし、根本的な治療はできないので、うまくやりくりするしかない。来週医者に会うまで、実家に帰れない。。。

脱力感があったのは、3月末の実家からの連絡。まだ0.7マイクロシーベルト以上の放射線値があった時期で、特に子供の内部被曝を注意しなくてはいけないと何度も伝えていたのに、親が「(実家より5キロほど福島よりに住んでいる7才の甥っ子が)外でサッカーを始めたから、大丈夫」だと言っていました。??ダメだこりゃ。

今は平常の2〜3倍ほどの値なので、まだましですが、その当時は外出を控えて、無闇に内部被曝しないようにすべきだったのに。何なんですかね、この理由のない楽観論。

俺が親だったら、学校で何か言われても、放射線値が充分に下がるまで、絶対に余計な被曝はさせなかった。今の東京の値の10倍ですからね。多寡を問わず、内部被曝させたのは間違いないので、その子が成人する頃が、心配です。

この連絡を受けたときがどん底でした。



眼の話に戻ります。
2003年にマーシャルに行き、行きっぱなしではないのですが、6年弱現地で生活しました。その期間に体重が1.5倍になり、殆どの時間が冷房にあたっていたこと、そして運動不足(成長期にスポーツをしまくっていた人は、体のためにはスポーツを続けないといけないと誰かが言っていた)が自己アレルギーに影響していると思います。

2009年に最大77キロまで増えたところ、1年半かけて食生活に注意して、今日の時点で69キロを切りました。目標は、脂肪を減らして、筋力を増やし、67キロくらいを維持したいですね。

眼も変になるし、もうどうでもいいと、正直思っていた時もありましたが、何かがあっても動けるように心身ともに備えていなくてはと、今は感じています。



話はまた変わりますが、大分前に千葉と茨城の主婦の母乳から放射性物質が検出されたとニュースがあり、先ほど福島の主婦の母乳からも微量の放射性物質が見つかったとニュースがありました。

たとえ微量でも、誰が好き好んで放射性物質の入ったものを乳児に与えるでしょうか。またこのことは、食物連鎖の物質濃縮と同じで、水、空気、食物にある基準値以下の微量な放射性物質が体に蓄積されたせいなのだと思います。

これは、非常に重要な情報だと思います。楽観視して流してしまいたいところですが、非常にシビアな問題だと思います。原発事故によって、もう元には戻れない線を越えてしまったと感じます。受け入れにくいですが、現実は厳しい。




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