3人の太平洋島嶼国留学生の話など [2011年03月16日(Wed)]
3月16日
今日、サモア大使館のマオさんが、茨城県日立市の避難所に退避していた留学生のエドナさんとアルノ君を受け入れたとの情報がありました。 このような非常事態では、在日外国人の方々にとって日本人の言葉や習慣が障害となり、情報や支援物資の調達などを得ることが難しくなると思われます。自分は今、東京で電気も水もガスもある状態にいるので、説得力がなく、また、語弊があるかもしれませんが、これは我々日本人にとって乗り越えなければならない試練であり、彼らにそれを背負っていただくことは心苦しいと思っています。 これも語弊があるかもしれませんが、立場を置き換えて、例えば、自分がザンビアなりマーシャルなりで災害にあったとして、市民権があるわけでもなく、せいぜい2年か6年程度しか生活していない余所者である場合、やはり現地の人の抱えるものを背負うことはできない。無駄に気を遣わせてしまうこともあります。 そこで彼らが今日避難生活から脱することができたことは非常にうれしいニュースでした。 また、マーシャル人留学生のリン。縁あって僕がマーシャル大使館在勤中に試験をした学生で、合格後も日本語を教えたりしていたのですが、マーシャル人には珍しく、彼女はそれまでマジュロから離れたことがありませんでした。それが、異国の地、しかも東京で3年間のプログラムを乗り切り、見事地震当日に卒業しました。 このような非常事態で、しかも現在の地殻のひずみが偏在している状況では安定状態に至るまでにまだ時間がかかると思います。プログラムは3月31日までですが、早めの帰国を勧めました。 ↓京都大学防災研究所地震予知研究センター:「東北地方太平洋沖地震にともなう静的応力変化(第三報, 3/15):内陸地震・プレート境界地震活動への影響」 http://www.rcep.dpri.kyoto-u.ac.jp/events/110311tohoku/toda/index.html 赤いところがバランス悪いようです。 彼女たちには、復興期に、持ち前の明るさで我々を助けていただきたいと思います。 福島原発の状況も厳しく、現場で命がけで闘っている方々を思うと言葉もありません。総理が「覚悟を決めてください」と言ったとニュースがありますが、言われなくとも現地では決死の覚悟で闘っているはずです。敬意を持って、もっと現場を勇気づけることができないのでしょうか。 また、今、世間にはデマも含めた情報が溢れており、不安感があおられることもあるかと思います。これもどこまで信頼できるかわかりませんが、チェルノブイリでは半径30Kmは現在も人が住めない状況にあるということですが、当時住民には危険性などの情報が伝えられず、住民が放射能が残留した水や食料を摂取したことによって大きな被害があったという話をいろいろなところで目にします。風向きと、水と食料に気をつけることが大切なのだと個人的には理解しています。 東北の被災地の方々の状況は気温が低いことと暖房用の燃料不足と救援物資の不足が伝えられています。現場の状況が分かるこの時代に、何も支援の手が及ばないということに忸怩たる思いです。 地元日立ではライフラインもまだ完全復旧せず、物流も完全復旧していないようですが、気温は東北ほどではないようですので、何とか健康を維持してもうしばらく乗り切っていただきたい。 実家では、僕が地震学を専攻していたせいで、自分の顔を見るたびに地震の話をしていて、先日一時帰宅した際も、いつ来てもおかしくないから、数日分の食料と水は確保しておいた方が良いと伝えていました(高校時代から20年来言っていたことですが)。また自分がアフリカ時代の感覚で買っておいた練炭が残っていたらしくそれを利用しているとのこと。さらに父は今は好々爺みたいになっていますが、幼い時にはキャサリーン台風の災害を乗り越え、若い時には自衛官で新潟地震の災害救助を行い、70歳近い今でも筋トレを欠かさないそうです。きっと平然と日々を過ごしていることでしょう。 最後は本日発せられた、天皇陛下のビデオメッセージです。 救難活動を行っている、自衛隊、警察、消防、海上保安庁、国・地方自治体の人々、海外からの救助隊、日本の救難支援機関、その他の人々への労いの御言葉と、国民がこの苦難を分かち合い、共に乗り越えていこうということなど、おっしゃられています。 被災地にいない我々は、状況に胸を痛めているとしても、すべてを背負うことはできません。しかし直接的であれ間接的であれ、必ずそれぞれに役割があるはずですから、復興期に備えて、心身共に健康を保つよう心がけたいと思います。 まだまだ先は長いですが、がんばりましょう。 |