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リティアさん、さようなら。 [2021年07月18日(Sun)]

今朝、フィジーのリティア・マウィ元太平洋移動大使が亡くなったとの連絡がありました。私にとって、太平洋島嶼国や世界との繋がり、外交について教えてくれた師の一人であり、私を理解してくれていた大切な友人でした。

Nau Pani.jpeg

日本とフィジーの二国間関係は、2006年の無血クーデター以降冷え込み、特に2012年5月の島サミットを境にさらに悪化していました。表には出ていませんが、大使はその改善に影で大きく寄与した方です。

2012年10月下旬、私が外務省の任期付職員、一等書記官としてフィジーに赴任した時には、日本大使はフィジー首相に会うことも出来ず、日本大使館と現地外務省の関係も冷え切っていました。事務レベルでも直接会って雑談を交わすこともなく、現地では日本大使館は眠っているという声も私には届いていました。

現地では、私としては何とか正確な情報を然るべき人に伝えなければならないと、大嶋大使や本省幹部からの影の応援を得て、あらゆるチャンネルや機会を探し、試行錯誤を繰り返していました。

そのような中、現地で話を聞いてくれたり、大臣や首相に情報をつないでくれたのが、当時のマウィ大使とヤウボリ次官(現駐インドネシア大使)でした。

初めてお会いしたのは安倍政権が成立した2012年12月頃でした。何かの理由をつけてフィジー外務省を訪問した際、誰かが引き合わせてくれました。そこで、日本の政治や国内情勢などを説明し、自分が考えていた自分自身の使命を説明したところ、おそらく何か引っ掛かるものがあったのでしょう、以降、私が何かと理由を見つけてアポを取りフィジー外務省を訪問すると、いつも直接応対してくれました。

そして、2年近くかかりましたが、少しずつ一歩一歩相互理解が進み、日本とフィジーの関係が回復していきました。

その過程で、マウィ大使は元駐日フィジー参事官でお子さんが日本の方と結婚されており、Nau Pani(日本の叔母さんといった意味)と呼ばれるような、知日家、親日家だということがわかりました。

いろんな話をして、いろいろなことを教えてくれました。ポストミレニアム開発目標(MDGs)、現在のSDGsの話も2013年頃から意見交換して、私の目を開いてくれました。

最後に会ったのが2019年11月22日。すでに定年退職されていましたが、どうしても会いたいと思い時間をいただきました。

とにかく会って感謝を述べたいと思っていたところだったのですが、何かを察したのか、人生について助言をくれました。

私の性格や人間性を掴んでくれていて、「私たちは同じ価値観を持っている」、「それは生まれながらに持ったもの」、そして、2020年9月の会合に誘ってくれて、再会を約束して別れました。コロナ禍で実現しませんでしたが。。その時、「私は先は長くないけれど、あなたのような次の世代の人たちに意思を繋ぐことができた」とも話していました。

SNS上では、まさに太平洋島嶼国各国にいる、大使の意思を継ぐ人たちが感謝を述べています。

今日は黙っていると涙が溢れてしょうがないのですが、明日からはきっと大丈夫。

マウィさん、ありがとうございました。さようなら。
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