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太平洋諸島フォーラム次期事務局長候補 [2020年08月10日(Mon)]

休暇中ですが、気になる話題が出ているので、書いてしまいます。

現地では、来年1月の現事務局長の任期切れを控え、地域機関太平洋諸島フォーラム(PIF)次期事務局長ポストについての話題が増えています。例えば、下記。

https://www.rnz.co.nz/international/pacific-news/423037/five-contenders-for-pacific-forum-top-job

自分自身は、2006年のグレッグ・アーウィン事務局長時代から、メグ・テイラー時代まで浅くも深くも関わってきた経験があるので、肌感覚で分かる部分も踏まえ、ちょっと書いてみます。

PIF事務局というのは、島嶼国首脳が地域政策合意を図る枠組みであるPIF(太平洋諸島フォーラム)での首脳による決定事項を実現するために取り組む機関で、決して首脳の上に立つものではありません(首脳の合意→PIF事務局が実行)。国連総会のオブザーバーステータスも持ち、国際会議に地域機関として参加もします。島嶼国間の政治が絡む組織でもあります。

事務局長職は、1期3年で2期まで、地域全体をとらえる視点と、各国首脳と中身のある議論を行う必要があります。最近では、現職のメグ・テイラーさんがメラネシアのパプアニューギニア出身で6年、その前のスレイド氏がポリネシアのサモア出身で6年、事務局長を務めてきました。

次のような紳士協定のようなものもあります。
・サブリージョンで持ち回り。つまり、ポリネシア→メラネシアと来たので、次はミクロネシアというもの。
・事務局をホストしているフィジーからは、事務局長を出さない。

ただし、独立が遅く、遅れて加盟した米国系の北部ミクロネシア地域は、伝統的にPIFの枠組みでは後付け感があります。教育的背景も南半球と北半球では異なり、文章もノリも違う面があります。これまでミクロネシア地域出身の事務局長は、キリバスの初代大統領だけだと思いますので、北半球から選ばれたことはありません。

さて、今回の候補ですが、次の5人の名前が上がっています。
1. ジェラルド・ザキオス氏 マーシャル駐米大使、元外務大臣(ミクロネシア地域)
2. プナ氏 クック諸島首相(ポリネシア地域)
3. ジミー・ロジャース博士 元SPREP事務局長、ソロモン諸島出身(メラネシア地域)
4. アメリア・シマモウア氏 英コモンウェルス事務局職員、トンガ出身(ポリネシア)
5. イノケ・クンブアンボラ氏 元フィジー外務大臣・防衛大臣(メラネシア)

1. に関しては、パラオ、マーシャル、ミクロネシア連邦、ナウル、キリバスの5カ国がミクロネシア地域の統一候補として推薦しています。母親はパラオ人。古いですが、自分がマーシャル時代に外務大臣で、本気で怒るときは怒るものの、極めて穏やかな性格で、事務局長としては人が好過ぎる印象ですが、どうか。

2. はちょっとずるい気がします。

3. 他の地域機関事務局長経験者というのは、あまり好まれないのではないか。前職の時に大使館に訪問され、大使と共に話をしたことがあります。Dr. であり、印象としては、島嶼国も英国含む旧宗主国も裏も表も知るドクター。北半球については薄いですが、地域をとらえている。ただし、首脳レベルとの対等なやり取りができるかは不明です。SPREPはPIFほど政治的ではないので。

4. は、分かりません。現状、唯一の女性候補。コモンウェルス事務局ではジェンダー部門のトップだそうです。現在、フォーラム漁業機関(FFA)事務局長、南太平洋観光機構事務局長がトンガ出身です。トンガは実直で優秀で忍耐強い方が多い印象です。

5. クンブアンボラ元大臣は、前フィジー駐日大使でもあります。2012年末頃、自分のフィジー赴任当初。当時、日本とフィジーの関係は極めて悪く、事務レベルでの対話も非常に薄い状態で、フィジー政府と大使館の意思疎通も極めて薄かった時期でした。当時はフィジーはまだクーデター後の暫定政権時代で、ある出来事によってフィジー首相が日本に失望した結果、感情的に極めて関係が悪化していました。おそらく閣僚も日本側との接触については、何らかの制限があったものと思います。簡単な対話もしにくい状況でした。

そんなある時、フィジー主催のレセプションがあり、外交団も招待され、自分は日本大使に同行して参加しました。クンブアンボラさんは、当時外務大臣。

2012年10月にフィジーに赴任しましたが、赴任前、ミクロネシア連邦のフリッツ大使に「クンブアンボラ大使が大臣を務めているから、会うことがあれば、よろしく伝えてください」と、声をかけていただいていました。

日本とフィジーの微妙な関係の中、自分は新任外交官としてそのような空気を知らないふりをし、クンブアンボラ大臣に近づき、フリッツ大使のメッセージを伝えました。おそらく日本との距離感を保つ必要があったのでしょう。微妙な表情をしながら、「こっちに来い」と、何人かフィジー政府の方々に引き合わせていただいたことがありました。

2013年8月頃には、当時もまだ閣僚級以上の訪日は優先度が極めて低い時期で、水俣会議に対する招待が日本政府経由で伝達されても、まったく反応が無い時でした。当時、すでに個人的にフィジー外務省の高官と話をする関係を作っていたので、その大使クラスの方にアポを取り、水俣会議の意味、安倍政権と前政権の違い、国内政治情勢、日本・フィジー関係の回復を考えた場合に訪日の時期としての重要性などを伝えました。フィジー政府内では、国連会議であるため、例外的に対応できるという説明ができるとのことでした。

その大使は、外務次官(当時ヤウボリさん)、大臣に直ぐ伝えると動いてくれ、自分が大使館に戻ると、「クンブアンボラ大臣が参加する」との回答があったと担当部門が驚いていたということがありました。


今後、現地からはいろいろな情報が出てくるでしょう。(パラオのレメンゲサウ大統領が候補だったら、もっと支持が広がる気もする)
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