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論考のタイトルなど、など。 [2020年05月22日(Fri)]

もう、私的な話を書いても良いころでしょうか。


5/20にここに掲載した論考ですが、50人くらいかと思っていましたが、予想以上にアクセスしていただきました。ありがとうございます。最後まで読めたでしょうか。

自分も何度か読みながら、途中で意識が飛ぶことがあり、次回以降は、もう少し短く、端的に書くよう気をつけます。

その論考ですが、繰り返しになりますが、客観的な査読を経ているものではなく、研究員としての情報発信レベルのものとなっています。

音楽でいえばデモテープか、テイク1でラフなミックスをしたような粗い段階のものです(でも自分はこのようにきれいに整っていないものが好きです)。今回は、とにかく、タイミングを逃さず発信することを目的としていました。査読にかけて、2週間も経てば状況が変わってしまうので。

それでもなお、良いものをあげられるようになれば、いずれもっと良い形にまとめられればと思っています。


論考のタイトルについてですが、その前に、このブログのタイトル。「スポンジボブはマーシャル生まれ?」としたのは、自分は高尚な学者ではなく、地に足をつけた実務者であるという考えが背景にあります。

自分が通算10年ほど島嶼国で生活していた時には、厳しい交渉ごともあったし、悔しい思いも、恐怖を感じたことも何度もありました。どんなに厳しい時でも、対話を通じて皆解決していく。そして怒ったら負け。

現地では現実的な厳しさに直面しながらも、眉間に皺を寄せたり、拳を振り上げたり、怒鳴ったりせず、忍耐強く、事の解決に当たります。そのような姿勢を忘れないようにといったところです。

今も現地で前線で実際の外交に携わっている方々は、我々外にいる人間が考えている以上に、現実の中で日々格闘されていると思います。そのようなことを思うと、偉そうに話すわけにはいかない。そういった思いもあります。


それで、論考も、力を抜いて、タイトルを「ビキニボトムから」としたかったのですが、そうすると軽すぎておそらく読んでもらえないので、5分くらい考えて、マーシャルつながりでEssential Rebbelibとしました。

マーシャルには海流を記した、アウトリガーカヌーで航海するためのナビゲーション・チャートがあり、Rebbelibというのはその1つです。スティックチャートとも言ったでしょうか。

2003年7月下旬、26日とかだったか。まだ30代前半で、痩せっぽっちで若かりしころ。国際協力の世界に戻りたいと応募していたところ、同じ日に国連ボランティア事務局と青年海外協力隊事務局から電話がありました。時間差で、国連ボランティアでマダガスカル赴任ではなく、マーシャルへの協力隊短期隊員を選びました。どちらも高校で理数科教師。これが全ての始まりです。

短期隊員は、即戦力として正規隊員間の穴埋めを行う立場でもあり、マーシャルについても島嶼国についても予備知識を入れず、現地で直接経験する事で学ぶことを選びました。高校で仕事をしたいという考えが先に立ち、人が書いた主観的で理屈っぽい文章は、現地の人の顔も見えず、まったく自分の頭に入りませんでした。

10カ月間、土日もほぼ休みなしで毎日働き、マーシャルを初めて去った時、2004年の6月でしたが、現地の生徒らが、アウトリガーカヌーの模型とナビゲーション・チャートを渡してくれました。マーシャルの人たちは本当に優しくて、ボケとツッコミもできる関係ができていたし、離れるのが本当に辛かったのを覚えています。

そのカヌーとチャートは、海に流されずにまた戻って来いよ、という意味だと勝手に思いこみ、その後、またマーシャルに戻り、今日まで立場を変えながら島に関わってきてしまいました。

かつては現地で「結婚しているのか?」「いつ結婚するのか?」と聞かれましたが、今では誰も触れてくれないほどに時間が経ってしまいました。

何の話でしたっけ。


そう、今回小さくつけた論考シリーズのタイトルには、そういった背景があります。


おそらく2000年代半ば以降の現地の変化の真っ只中に居続けた、日本でも複数の島嶼国でも実務を行っている人で、名前を出して情報を出せる人は非常に限られています。そのため、次の世代のためにも、この世代の誰かが、この時代の島の見方を残さなければならないのだと思います。

いつも継続性に問題があり、この論考もいつまで続けられるかわかりませんが、このブログや、財団ウェブサイトなどを通じて、共有できる情報を発信していければと思います。
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