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コンロテ フィジー大統領 [2019年10月24日(Thu)]

現地フィジー・サン紙の記事です。

https://fijisun.com.fj/2019/10/23/president-konrote-attends-the-enthronement-ceremony-of-japanese-emperor-naruhito/

フィジーのコンロテ大統領が天皇皇后両陛下に謁見された際の1枚の写真が掲載されています。


これも古い話になりますが、自分がまだフィジーにいたころ、2014年9月にフィジーが総選挙を実施し民政復帰がなったあとだったと思います。民政復帰したとはいえ、当時はまだ豪、NZを中心とする先進国側は、その後のフィジーとの関係修復について躊躇しているような状況にあったころ。日本とフィジーの関係もまだ十分に回復しておらず、両国関係がギクシャクしていたころのこと。

選挙以前から、花谷特命全権大使(当時)は、政府要人を公邸での夕食会や昼食会に個別に招待し、両国の相互理解の深化と信頼醸成を図っていましたが、ある時、コンロテ雇用機会生産性産業関係大臣(当時)を招待されたことがありました。2014年9月〜2015年3月の期間だったと思います。

自分は当時書記官として同席させていただいていましたが、コンロテ大臣(当時)は大変明るく率直でかつ親日的な方という印象を受けました。

コンロテ大統領は、2006年12月のバイニマラマ軍司令官(当時)によるクーデターの際には、倒されたガラセ政権の閣僚でしたが、退役少将で、フィジー国軍時代にはレバノンでの国連平和維持活動で活躍し、多くの勲章を受章されています。

出身は、フィジーの本島にあたるビチレブ島のスバから北北西約500km、ツバルの南西約250kmのところにあるロトゥマ島になります。ロトゥマ島には1万人以上の人口がおり、先住民ではありますが、いわゆるiTaukei(イタウケイ)と呼ばれるフィジー先住民系ではありません。ロトゥマ語という固有の言語や文化があるところです。人々の容姿はポリネシア系に見えます。


そのコンロテ大統領ですが、2015年に議員互選により、大統領に選出され就任されました。フィジーの歴史上、初めてイタウケイではないフィジー人が大統領になったと話題になったものです。


フィジーは英国領当時、総督(Governor-General)がいました。フィジーでは、総督は、歴代フィジー先住民系の大酋長から選ばれており、1970年の独立により総督のポストが無くなり、大統領が置かれるようになってからも、GCC(Great Council of Chiefs)により大統領は同様にフィジー先住民系の大酋長から選ばれてきたようです。

(*フィジーでは、大統領は儀典上の役割を担い、政治は首相が権力を有しています。)

GCCは議会の上位に位置付けられていましたが、選挙で選ばれる議員による議会とは異なり、伝統的権威、すなわちフィジー先住民系の大酋長が集まる機関でした。

話が終わらなくなるので、短く切りますが、バイニマラマ首相が2006年に、1年間の猶予期間ののち、無血クーデターを起こし、ガラセ政権を倒しました。そこにはその数年前から続く、いろいろな話があります。

しかし、一つの理由には、国民の5割超がイタウケイ(フィジー先住民系)、4割弱がインド系(19世紀に東インド会社により農民として移住することになったインド人の子孫や、近代にビジネスで移住するようになったインドのグジャラート州出身の方々など)、その他が欧州系、アジア系、ロトゥマ人、ブラックバードと呼ばれ英国によりソロモンなどから労働者として強制移住させられた人々の子孫などからなり、宗教もキリスト教、ヒンズー教、イスラム教などがあるなど、フィジーは多民族多文化国家であるにも関わらず、国がイタウケイのさらに大酋長系エリート層優遇で運営された結果、変化する世界情勢に対応できなくなった、これではフィジーの繁栄は実現しないという危機感がありました。

そして、ターゲットは民主的な枠組みではない先住民系大酋長エリート層の枠組みともみなされたGCCに置かれ、2013年9月に公布された新憲法においてGCCが廃止されました。また大統領はGCCではなく民主的に選ばれた議会により選ばれることとなりました。

当時、2012年〜2013年の間、同憲法は草案が長い期間にわたり議論されていましたが、担当していた確か南アフリカかケニアの学者が、民主的な議会の上に、選挙に寄らない有識者などによる貴族院のようなものを作るという案をまとめたことから、同草案が破棄され、最終的にフィジー側で新憲法草案がまとめられ、公布されました。

公布されたのち、同憲法はバイニマラマ政権を確保するためのものであり、憲法改正が大変難しいものであると、日本を含めさまざまなところから否定的な声が出ていました。

しかし、一連の変革が、2006年クーデター前の先住民エリート層優遇の国家から、多民族多文化国家への国家改革であるという視点でみると、同憲法は出自に関わらず国民は皆平等という考え方でまとめられています。例えば、以前の憲法では、議会には民族ごとに議席配分がなされており、先住民系が過半数を確保しやすい形となっていました(先住民系も一枚岩ではないし、進歩的な方々もいるため、歴史上インド系首相が誕生したこともあります)。

伝統的権威や文化に敬意を払いつつも、他の出自のフィジー人も皆平等に権利を有する国に変え、先住民系でないフィジー人もフィジー国民として国の発展への参加を求める改革で、フィジーは今もその流れにあります。

しかしながら、先住民系にはインド系住民に先住民として有している土地などの権利を奪われるとか、伝統社会が崩壊するとか、フィジーがフィジーではなくなってしまうという強い懸念があると聞きます。

一方で、同じ先住民系であっても、例えば出自が平民である人々にとっては、実力があれば政府のポストに就くことができ、雇用機会も増え、同様にインド系や他の出自の人々も実力次第でポストを獲得できるようになったとして、これを評価する人もいます。



このような経緯を踏まえてみると、コンロテ大統領は初めて議会から選ばれたイタウケイではない大統領であり、ある意味で新時代のフィジーを示す存在かもしれません。
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