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ルベニさん、さようなら。(改) [2018年12月22日(Sat)]

今朝、フィジーのチコ・ルベニ議長逝去のニュースがありました。


あれは2012年の終わりごろか、2013年になってからか。

当時は日本とフィジーの関係が非常に悪く、我々の日本大使が着任後半年以上経ってもまだ首相に会うこともできず、現地外交官とフィジー政府事務レベルとの対話も交流もほとんど行われていないような時でした。

自分はその両国の関係が厳しい状態だった2012年10月下旬にフィジーに着任しました。

当時の自分の担当は経済・経済協力。しかし外務省側の視点から経済協力や経済に関する調査・情報収集・分析を進める場合、どう考えても政務に関わる情報は必須です。そのため、自然といろいろな背景情報も耳に入りました。

念のため加えると、フィジーとの関係を改善するというのは、相手におもねるとか、頭を下げるとか、こびを売るとかではなく、しっかりと情報を収集し、対話し、真の姿を見極め、相互理解を進め、双方の立場を確保しながら、率直な話し合い、堂々と意見交換や交渉を行える関係を作るという意味です。

当時の大洋州課長以下、外務省本省の方々は、日本国内で積極的に太平洋島嶼国大使館の方々との交流を進めた結果、現地日本大使館からの情報と日本で得ている感触にズレがあること、日本の専門家の話もあまり新しくないこと(歴史の宝庫ではある)に気づいていたように思われます。

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ある日のフィジー、スバの空。

そのような状況で、自分は経済協力や経済に関する情報収集のため、あちこちアポ取りをし、相手側と話す機会を増やしました。

それらの情報が、おそらく大洋州課長以下、本省がつかんでいた感触と一致したのでしょう。自分の赴任後、半年〜9カ月経った頃から、空気が変わり始めました。(自分の勝手な思い込みかもしれませんが)


その当時の日本とフィジーの関係が極めて厳しく、交流も率直な意見交換もできない状況にあったときに、日本との関係を大切と考え、面会ができた閣僚や高官が何人かいます。自分の考えでは、関係改善への布石、壁に打ち込む楔でした。

その一人が、当時フィジーの女性・子供・貧困削減大臣だった、Dr. チコ・ルベニ。面会した時に、政治を離れて、本来のフィジーの姿を感じた気がしました。

女性の立場を守る必要性。例えば、災害時に避難施設で女性が危険にさらされる可能性が高いこと、防災とジェンダー問題を連携して考える必要があること、災害が多い日本の経験と知恵を共有することなど、そのような話をしていたと思います。

2014年9月にフィジーが選挙を経て民政復帰し、ルベニさんはフィジー初の女性議長になりました。

ルベニさんの印象は、芯が強く、凛として、それでいて心が広く優しいフィジーの女性でした。

ご冥福をお祈りします。
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