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パプアニューギニアAPECの影で [2018年12月01日(Sat)]

自分が青年海外協力隊の視点から、外交の視点に移ったのが、2006年に在マーシャル日本大使館の専門調査員になったときからでした。

協力隊、マーシャルのとき(高校理数科教師)は、隊員経験者を対象とした、リリーフのような短期隊員の立場でしたが、ザンビア時代の失敗と後悔と懺悔といろいろな経験をベースに、非常に濃い活動を行うこととなりました。できる限り、何というか、現地に入り込むことを最優先事項とし、活動していました。結果、彼らが普段外部の人には見せないリアルな悩み、笑顔の裏に隠れている影、話をある程度理解できるようになりました。また、一緒に食事をしていたことで、2年で20キロ以上太ったという副産物もあり、現在の生活習慣病対策の実践・実験に繋がっています。

専門調査員の試験に合格し、2006年2月、外務省大洋州課で1か月の研修を受けました。研修というより、実戦投入。自分は、茨城から出たのは、ザンビアの2年とマーシャルの2年半だけで、東京での生活は初めてで、例えば駅と駅の距離を歩けるということがわからず、霞が関、日比谷、新橋、有楽町など距離感が全くわかりませんでした。当時はスマホもなく、方向もわからず。

その年は、太平洋・島サミットを控えており、議長国パプアニューギニアのナマリュー外相(当時)のリエゾンを担当しました。右も左もわからず、いえば先進国でない国で一般の人々と同じ生活をしていた人間が、東京のど真ん中で外交に関わるという、今考えると恐ろしい状況。

今でも覚えているのは、麻生外相(当時)との外相会談で、飯倉公館まで同行したとき。外相がナマリュー外相を迎えるタイミングをぴったり合わせるため、飯倉交差点を曲がるときに連絡するなど、ロジの一旦を学ぶことができました。車寄せに到着すると、麻生外相(当時)が満面の笑みでナマリュー外相を出迎え、肩を抱き寄せ、自分が会釈すると手を振っていただいたという場面が鮮明に残っています。

早朝、築地に同行したときには、自分はもともと理系で留学経験もなく、英語論文とボブ・ディランで英語を基盤に、ザンビア英語とマーシャル英語のミックスくらいのバックグラウンドしかなかったのですが、いきなり通訳を任されました。職員の方に日本語で長く説明していただいたのですが、自分の通訳は明らかに短く、”エッセンス”を3行にまとめたと、繕いました。その際、当時の大洋州課長も同行していただき、終了後、朝6時ごろ、一緒にお寿司を食べたということもありました。

この常識が違う自分のような人間を、外務省大洋州課はよく暖かく包んでくれたなと、冷や汗と共に思い出しますが、故に自分は大洋州課、外務省、政府、JICAに勝手に恩義を感じています。大学院も家が経済的に余裕がない中、授業料を免除していただけたことで修了でき、道は違ってしまいましたが、何とか国に恩返しをしなければという気持ちが薄っすらとあるように思います。

あ、なぜ過去を振り返ったかというと、それまで自分にとっての太平洋島嶼国はマーシャルだったからです。人もマーシャル。マーシャルの人々は優しく、自分が小さいときのおばあちゃんのように、何というか甘えさせてくれるような、国を離れるときには後ろ髪を引かれるような、常に心配し、気にかかるような存在です。そのような状況の時に、パプアニューギニアのナマリュー外相に会いました。そこで自分のパプアニューギニアの人の印象は「武士」となりました。堂々として、カッコいい。パプアニューギニアの国旗も赤と黒と南十字星と極楽鳥。カッコいい。



前ふりが長くなりましたが、そのパプアニューギニア。先日のAPECで米中の摩擦で、首脳宣言が出せなかったことが注目されたりしましたが、無理にまとめないのもパシフィックウェイの一つだと思います。

パプアニューギニアは大洋州になりますが、地政学的にはインドネシアに隣接しており、自由で開かれたインド太平洋戦略の文脈では、大洋州の中で最も重要な位置にあります。さらにエネルギー供給元として、日本経済の土台を支える大切なパートナーでもあります。また先の太平洋・島サミットで、日本の自由で開かれたインド太平洋戦略に対して明確な支持を表明した5カ国のうちの1つでもあります(他の国々は、フィジー、ミクロネシア連邦、マーシャル諸島、パラオ)。

APECに合わせ、中国はパプアニューギニアと自由貿易に関する20を超えるMOUを結ぼうとしていたそうです。一方で、あちこちから完成するインフラの質への懸念が少なからず現地にはあるそうです。パプアではありませんが、自分が大洋州のある国に公務で訪問していた際、現地政府高官から「この建物は中国の支援で建てられたものだ」「当時、中国だけがこれに支援してくれて、大変感謝している」「しかし、ここを見てくれ、完成して直ぐにひび割れがあちこち見られるようになった」「車両もたくさん支援してもらったが、まだ2年程度しか経っていないのに(広場を指差し)あそこにあるバスはもう動かない。」などという話を聞いたことがあり、以前として質の問題は残るようです。

おそらく、パプアニューギニア政府が日本の自由で開かれたインド太平洋戦略を支持した背景には、日本のインフラ支援の質を求めるという強いメッセージがあるのだと思います。


しかし、事は単純ではありません。例えば無償資金協力の場合、予算規模が小さいと、企業側にメリットがなく、何段階か省きますが、結果的に期待されている「日本の質」に達しないケースが発生することがあります。

また、有償(ローン、借款)だと、基本的に国際入札となるので、資金は「日本」だが、施工業者は「中国企業」ということもありえます。例えば中国企業が受注し、建設した際に、日本レベルの質を担保できるようになれば良いのでしょうが。。。仮に質が同じになった場合は、途上国側にはプラスですが、今度は日本の優位性が薄まるということにもなるという、。。


パプアニューギニアは他の太平洋島嶼国と比較するよりも、アフリカ大陸の途上国と比較した方がわかりやすいかもしれません。東南アジアに近く、経済ボリュームも大きく、経済成長の伸びしろが高く、投資先として未開拓の土地と言えるかもしれません。そのため首都ポートモレスビーでは、外資による投資が盛んで、高層ビルが次々に建てられているとも聞きました。民間の影響力は政府間では何ともできませんが、経済的にはプラス、政治的にはどこかで影響があるのでしょう。

APECに話を戻すと、実はパプアニューギニアは議長国として重要な役割を果たしていました。初めて他の太平洋島嶼国をAPEC会議に招待し、APEC加盟国との対話を促しました。太平洋島嶼国経済が過去5年でアップトレンドに転じた背景もありますが、もともと経済規模が小さく視界に入っていない国々とAPEC諸国・地域を繋ぐというのは、太平洋島嶼地域を世界に開く意味があったように思います。これはこれまで豪州、NZが議長国のときにも行われていなかった事です。

この結果、NZ政府は、自らがAPEC会議を主催するときには、太平洋島嶼国を招待すると表明したそうです。

パプアニューギニアは、他の20のAPEC諸国・地域と15太平洋島嶼国・地域を受け入れたわけで、よく切り盛りしたと思います。大変な苦労だったのではないでしょうか。

その中で、パプアニューギニア政府は、安倍総理を代表とする日本代表団に対し、心のこもった細やかな配慮を示していたとも言われています。

自衛隊によるパプアニューギニア軍の軍楽隊支援は、援助額でいえば小さいものかもしれません。しかし、人と人の心が強くつながる支援であり、日本とパプアニューギニアの戦時中を含む特別な関係の基盤を強化するものです。これはおそらく、他の先進国にも、中国にも難しい事ではないでしょうか。金額に現れない、深い意味があるものであり、日本は日本の支援について、もっと誇りを持って良いと思います。

日本代表団に対し、パプアニューギニア軍楽隊は演奏を披露し、「ふるさと」を日本語で歌ってくれたそうです。

パプアニューギニアも他の国々も、バランスを取らなければならない状況にありますが、二国間で考えた場合、日本とパプアニューギニアがより信頼の置けるパートナー関係に発展する可能性があると感じます。
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