昨日は完全休養。洗濯以外は何にもせず、パソコンにも触れず、メールも読まず、ゴロゴロしていました。
今日は、ボブ・ディラン東京最終日。自分はこのツアー5回目で、初めてGold席を取りました。8列目で運良くボブ・ディランの真正面のライン上。表情や演奏の雰囲気がビシビシ伝わって来ました。
もともとボブ・ディランはプロになる前から、アメリカのフォークやブルースを聴きまくり、吸収し、歌い継ぎ、自分で詩を書き歌うようになったと何かで読みました。
今日の演奏を聴いて、60年間、いろいろ変化がありながらも、根底にはそれがあり、特にこの10年は、ボブ・ディランが書く歌とアメリカの過去の歌には同じルーツを持つものがある、そういうアメリカの文化の系譜といったものを教えてくれているように感じました。
今日の演奏を見ていて、歌を覚えて演奏して歌うというのではなく、言葉とリズムと雰囲気があり、その体から出てくるものをピアノを弾きながら表現し、それを5人のバンドメンバーが集中し形にしていく、その場で言葉が詩が歌になっていくその瞬間瞬間を体験しました。
ボブ・ディランは、歌う時はピアノを弾きながら立ち上がり、100分間歌い続けていました。その1曲1曲が上記のように瞬間のアートのような緊張感があり、その間、集中力が途切れない。頭の中はどうなっているのでしょう?言葉とメロディがいつまでも溢れてくるかのよう。
歳に関係なく、ロマンティックな詩と美しいメロディを書き、時にマフィアのボスのようなドスが効いた声と言葉がある。
My Own Version of Youという曲の世界観は自分は1965年のDesolation Rowに繋がるように思えました。Key Westを聴いていると、アメリカの短編のロードムービーを観ているかのようにその映像と匂いが感じられるようでした。
70代後半から、新たな鉱脈を掘り当てたのでしょうか。ライブではまだ演奏していませんが、コロナ禍の始まりの頃、人々の安全を願う言葉とともに、2020年3月に発表された約17分のシングルMurder Most Foulは、約60年のキャリアで初めてのチャートでナンバー1シングルになっていたとのこと。
本物の現代の吟遊詩人。