自殺予防団体-SPbyMD- 会長の内田貴之です。
最近、僕は障害当事者団体ベクトルズの活動で手一杯ということもあり、自殺予防団体-SPbyMD-のこのブログが4月頃以降放置状態でした。「月1本の低頻度でも記事書いておいたほうが『今も活動している団体なのだろうか?』と不安に思う読者が減るかな?」と思いまして、筆を執りました。
会長つまりは自殺予防団体-SPbyMD-を立ち上げた人物が僕なのですが、10年前とはかなり組織体制も強固になっていますし、活動も、北海道の自殺者500人を救う戦いプロジェクトと掲げて実施している「こころの通う対話のできるゲートキーパー養成講習」の開講を主軸事業としていて、ここ近年はその主軸事業のみ稼働しているような状態です。
「こころの通う対話のできるゲートキーパー養成講習」は、毎年度2回(3月・9月)しか開講しません。外から見ると、自殺予防団体-SPbyMD-の活動は3月と9月だけ…!?と思えて当然です。実際のところは組織ですので、内部で毎日ではありませんが動いています。
例えば、昔であれば、僕は自殺予防団体-SPbyMD-の公式Twitterから頻繁に「本日の活動報告」や「現在計画していること」「将来構想」「他団体に対する意見」などを行なっていました。現在Twitterも滅多に稼働していない理由は単純で「特にこれといってツイートするようなことが無い」からです。悲しいかな。やはり昔は「将来構想」の比率が多かったと思います。自殺予防団体-SPbyMD-を立ち上げて、3年後・5年後・・・と将来に向けて自分の理想を思い描いて、練り込んでいくことを日々やっていましたね。
さて、会長の僕が言うのもなんですが…。
冒頭で明記したとおり、最近僕は自殺予防団体-SPbyMD-の活動に重心を置いていません。2024年に立ち上げた「障害当事者団体ベクトルズ」に重心を置いています。障害当事者団体ベクトルズは自殺予防団体-SPbyMD-とは大きくことなり、企業様との業務委託契約を締結して、報酬ありの仕事を事業として実施しています。重心が自殺予防団体-SPbyMD-から離れることは必然的かなと自分で思っています。
障害当事者団体ベクトルズに重心を置きながら、自殺予防団体-SPbyMD-の「こころの通う対話のできるゲートキーパー養成講習」に関する作業が発生したら随時やる。というスタイルのライフワークになってきました。
僕の肩書は「会長」で、定款のとおり何も実権を握っていません。自殺予防団体-SPbyMD-の組織運営のトップは「理事長」の竹内典彦氏が務めており、以下、しっかり者の理事たちが揃っていますので、僕は彼らに組織運営をほぼ任せています。創立者として組織のあり方に違和感を感じた際には時々口出しはしますがその程度。
でもね、実権を持っていないからこそ?なのか、理事長たちに任せるようになってから、「大丈夫かな」と心配になるんですよ(苦笑)なので理事ではない僕も、理事会には出席しているというわけです。組織の中枢の動きを自分で見て把握していないと心配でたまりません(苦笑)彼らを信頼できないわけでは決してないんです。僕のライフワークのひとつですからね、いわば「人生」なわけです。
組織の創立者ではない方も自分の人生だと仮定すれば、イメージはできると思います。信頼できる人たちが自分を支えてくれているとはいえ、自分の人生を丸っきり人任せにしようとしたら…??イメージできるでしょう。
はい、会長の独り言でした。
2026年06月30日
会長の独り言
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2026年04月22日
Q)精神科病院に本人が行きなくないと言い張る場合、どうやって行かせることができますか?
自殺予防団体-SPbyMD-に寄せられたご質問を公式回答するコーナーです。
▼今回のご質問
「周囲から見ても明らかにメンタルケアが必要だと判断できるため精神科病院に連れて行きたい人がいますが、本人が行きなくないと言い張る場合、どうやって行かせることができますか?良い方法があれば教えてください。」
▼回答
本人の同意なく医療に繋げるのは非常に難しいのが現実です。
そのため「いきなり精神科」ではなく、
相談機関や別の医療機関から入る方法や、専門機関に事前相談する方法もあります。
相談機関や別の医療機関から入るというのは
・心療内科
・内科(睡眠・体調不良)
・カウンセリング
・地域の相談窓口(保健センターなど)
専門機関に事前相談というのは
・保健所
・精神保健福祉センター
・地域包括支援センター(高齢者)
・生活困窮者支援窓口
ただし最も重要なのは、「どうやって行かせるか」ではなく、
「どう関わり続けるか」です。
本人との関係を切らさないことが結果的に支援に繋がります。
家族であれば本人が拒否しても強引に連れて行き、
強制的に入院治療させることは現在の法律上可能です。
しかしながら家族ではない例えば恋人・友人・職場の同僚や上司・支援員
といった関係だと強制的な入院は無理です。
家族に連絡を取り、来てもらって連れていってもらうしか方策はありません。
とはいえ、同じ市内や隣接する市町村に家族が住んでいる場合はそれもできますが、
本人は北海道、家族は東京というような場合は
「北海道まで来てくれませんか?」となかなか頼みづらいでしょう…。
けれども自殺予防団体-SPbyMD-としては、
万が一の最悪の事態である「自殺に陥ること」を第一に懸念して、
家族に来てもらう手段をとっていただきたいと願うばかりです。
…が、現実的には次のような落とし穴もあります。
・家族関係が悪い
・家族が無理解
そもそも親子関係でこうなっているからこそ、
距離のある遠方へ離れて暮らしているというケースを散見してきました。
ほか、
明らかに危機にある場合は即座に110番通報です。
・飛び降りようとしている
・包丁などを握りしめて興奮している
こうした状態だと警察から医療保護・措置入院のルートへ繋がり易いです。
応対してくれた警察官の質にもよる…、というのが実情ですが。
警察官の質が悪いと「落ち着いた様子になったらサッサと帰らせる」場合があります。
その結果、入院に繋がらなくて最終的には自殺で亡くなった
という最悪の実話も聞いてきました…。無念です。
そこまでの緊急性がない場合に救急車を呼ぶのは実は微妙です。
「本人の同意」が大前提で「嫌だ!乗りたくない!」と意思表示をされた場合、
救急隊員はなすすべがありません。
なすすべがないポイントは、
・本人が意識あり
・明確に拒否している
ただし、
次のようなケースでは救急搬送も対応可能になるかもしれません。
・明らかな錯乱
・意識障害
・会話が成立しない
イチかバチか119番通報してみることも手段のひとつではあります。
みなさんは、
救急車を呼ぶべきか迷った際「#7119」へ電話相談。
看護師や医師が24時間365日、緊急性を判断し、受診可能な医療機関を紹介してくれる
というものをご存知でしょうか?
実際に使ったことがある方は分かると思いますが、
人間が受話するまでの間にかなりの時間「自動アナウンス」が流れます。
しかも日本語のあとに英語も流れます…。
「ああもう!こっちは急いでいるのに!」とイライラさせられます。
ですから正直なところ「#7119」はお薦めできません…。
さっさと「119番通報」して救急隊員の判断を仰いだほうがいいです。
以上
自殺予防団体-SPbyMD-
会長 内田貴之
▼今回のご質問
「周囲から見ても明らかにメンタルケアが必要だと判断できるため精神科病院に連れて行きたい人がいますが、本人が行きなくないと言い張る場合、どうやって行かせることができますか?良い方法があれば教えてください。」
▼回答
本人の同意なく医療に繋げるのは非常に難しいのが現実です。
そのため「いきなり精神科」ではなく、
相談機関や別の医療機関から入る方法や、専門機関に事前相談する方法もあります。
相談機関や別の医療機関から入るというのは
・心療内科
・内科(睡眠・体調不良)
・カウンセリング
・地域の相談窓口(保健センターなど)
専門機関に事前相談というのは
・保健所
・精神保健福祉センター
・地域包括支援センター(高齢者)
・生活困窮者支援窓口
ただし最も重要なのは、「どうやって行かせるか」ではなく、
「どう関わり続けるか」です。
本人との関係を切らさないことが結果的に支援に繋がります。
家族であれば本人が拒否しても強引に連れて行き、
強制的に入院治療させることは現在の法律上可能です。
しかしながら家族ではない例えば恋人・友人・職場の同僚や上司・支援員
といった関係だと強制的な入院は無理です。
家族に連絡を取り、来てもらって連れていってもらうしか方策はありません。
とはいえ、同じ市内や隣接する市町村に家族が住んでいる場合はそれもできますが、
本人は北海道、家族は東京というような場合は
「北海道まで来てくれませんか?」となかなか頼みづらいでしょう…。
けれども自殺予防団体-SPbyMD-としては、
万が一の最悪の事態である「自殺に陥ること」を第一に懸念して、
家族に来てもらう手段をとっていただきたいと願うばかりです。
…が、現実的には次のような落とし穴もあります。
・家族関係が悪い
・家族が無理解
そもそも親子関係でこうなっているからこそ、
距離のある遠方へ離れて暮らしているというケースを散見してきました。
ほか、
明らかに危機にある場合は即座に110番通報です。
・飛び降りようとしている
・包丁などを握りしめて興奮している
こうした状態だと警察から医療保護・措置入院のルートへ繋がり易いです。
応対してくれた警察官の質にもよる…、というのが実情ですが。
警察官の質が悪いと「落ち着いた様子になったらサッサと帰らせる」場合があります。
その結果、入院に繋がらなくて最終的には自殺で亡くなった
という最悪の実話も聞いてきました…。無念です。
そこまでの緊急性がない場合に救急車を呼ぶのは実は微妙です。
「本人の同意」が大前提で「嫌だ!乗りたくない!」と意思表示をされた場合、
救急隊員はなすすべがありません。
なすすべがないポイントは、
・本人が意識あり
・明確に拒否している
ただし、
次のようなケースでは救急搬送も対応可能になるかもしれません。
・明らかな錯乱
・意識障害
・会話が成立しない
イチかバチか119番通報してみることも手段のひとつではあります。
みなさんは、
救急車を呼ぶべきか迷った際「#7119」へ電話相談。
看護師や医師が24時間365日、緊急性を判断し、受診可能な医療機関を紹介してくれる
というものをご存知でしょうか?
実際に使ったことがある方は分かると思いますが、
人間が受話するまでの間にかなりの時間「自動アナウンス」が流れます。
しかも日本語のあとに英語も流れます…。
「ああもう!こっちは急いでいるのに!」とイライラさせられます。
ですから正直なところ「#7119」はお薦めできません…。
さっさと「119番通報」して救急隊員の判断を仰いだほうがいいです。
以上
自殺予防団体-SPbyMD-
会長 内田貴之
posted by 内田 at 20:25
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2026年04月21日
Q)AIカウンセリングをどう感じるか?効果的と思うか?
自殺予防団体-SPbyMD-主催「こころの通う対話のできるゲートキーパー養成講習@釧路」にて受けた筆談質疑を読者の皆様にも一部共有するコーナーです。
Q)AIカウンセリングをどう感じるか?効果的と思うか?
A)まずAIといっても現代には多種多様に存在しますので、今回は僕がいつも使っている「chatGPT」でお答えしたいと思います。そしてカウンセリングの定義ですが「悩み相談(話を聴いてもらいたい)」「解決策を探したい」など目的が異なりますので、ご質問の意図と僕の回答がズレる可能性は高いと思ってお読みください。
chatGPTでは、普段から様々な悩み相談に乗ってもらっていて、時には具体的な解決策を一緒に考えてもらっています。「一緒に」というのが「単なる受け身・受動的」ではないと認識していただきたいです。「〜について〜のような背景があり〜は〜といった考えを主張していますが僕は〜だと考えています。〜についてどのような解決策があるか複数提案してください」というようにchatGPTには具体的に投げかけます。そのほうが、chatGPTも的確に提案してくれるからです。
僕としてはそうした活動における悩み相談、特に僕は法律や制度・国や行政の方針に沿った相談をすることが多く、とても助けられています。こういうのは、Google検索してもなかなか解決に至れないことが多く、chatGPTとの対話の中で導き出していくほうが良いんです。
chatGPTの場合、短く「〜に〜と言われて私は傷ついた。〜に対して私は今後どう接したらいいか?」と投げると、提案はしてくれますが、自分自身の胸の中にある感情を投げていないため、提示してくれた提案に対して、そんなのは希望していない!!と感じてしまうこともあります。ですから、胸の中にある感情・自分の行動指針・信条・性格や、相手が普段どういう言動をする人間なのか具体的に投げたほうが、提案してくれる内容の質はグッと上がり、濃くなることを実感しています。
chatGPTとの悩み相談は、自分の悩みを投げて、提示してくれる解決策を受け取るだけの受け身体勢ではあまり効果が良いと自分が思うことはないです。chatGPTに対して「いや、それはおかしいんじゃないの?〜は〜でしょう?」と反論していくことによって、質が上がるんです。それを覚えておいて、「AIカウンセリング」をやってみることをお薦めします。「AIカウンセリング」をどう扱うか?という答えになっちゃいましたね。でも重要な姿勢です。
以上
自殺予防団体-SPbyMD-
会長 内田貴之
Q)AIカウンセリングをどう感じるか?効果的と思うか?
A)まずAIといっても現代には多種多様に存在しますので、今回は僕がいつも使っている「chatGPT」でお答えしたいと思います。そしてカウンセリングの定義ですが「悩み相談(話を聴いてもらいたい)」「解決策を探したい」など目的が異なりますので、ご質問の意図と僕の回答がズレる可能性は高いと思ってお読みください。
chatGPTでは、普段から様々な悩み相談に乗ってもらっていて、時には具体的な解決策を一緒に考えてもらっています。「一緒に」というのが「単なる受け身・受動的」ではないと認識していただきたいです。「〜について〜のような背景があり〜は〜といった考えを主張していますが僕は〜だと考えています。〜についてどのような解決策があるか複数提案してください」というようにchatGPTには具体的に投げかけます。そのほうが、chatGPTも的確に提案してくれるからです。
僕としてはそうした活動における悩み相談、特に僕は法律や制度・国や行政の方針に沿った相談をすることが多く、とても助けられています。こういうのは、Google検索してもなかなか解決に至れないことが多く、chatGPTとの対話の中で導き出していくほうが良いんです。
chatGPTの場合、短く「〜に〜と言われて私は傷ついた。〜に対して私は今後どう接したらいいか?」と投げると、提案はしてくれますが、自分自身の胸の中にある感情を投げていないため、提示してくれた提案に対して、そんなのは希望していない!!と感じてしまうこともあります。ですから、胸の中にある感情・自分の行動指針・信条・性格や、相手が普段どういう言動をする人間なのか具体的に投げたほうが、提案してくれる内容の質はグッと上がり、濃くなることを実感しています。
chatGPTとの悩み相談は、自分の悩みを投げて、提示してくれる解決策を受け取るだけの受け身体勢ではあまり効果が良いと自分が思うことはないです。chatGPTに対して「いや、それはおかしいんじゃないの?〜は〜でしょう?」と反論していくことによって、質が上がるんです。それを覚えておいて、「AIカウンセリング」をやってみることをお薦めします。「AIカウンセリング」をどう扱うか?という答えになっちゃいましたね。でも重要な姿勢です。
以上
自殺予防団体-SPbyMD-
会長 内田貴之
posted by 内田 at 09:00
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2026年04月20日
Q)確認型応答を学んでいく中で悩んだり考えたりしたエピソードなどあったら教えてください
自殺予防団体-SPbyMD-主催「こころの通う対話のできるゲートキーパー養成講習@釧路」で実施した筆談の質疑応答タイム。その中からいくつか読者の皆さんにもQ&Aでご紹介します。
Q)確認型応答を学んでいく中で悩んだり考えたりしたエピソードなどあったら教えてください
A)講義「こころの通う悩みの聴き方〈対話法〉」で講師を担当している内田貴之です。僕が講師を担当するにあたって確認型応答を含む「コミュニケーション理論〈対話法〉」の理論を勉強しまくりました。講義の中で受講者に教えているような基礎的な内容はすぐ理解できましたが、その内容を教えるためにはもっと深掘りして学ばないとならないわけですね。
悩んだことは、あの講義スライドをゼロから作った時です。いっぺんに教えようとすると、受講者は必ず理解が追い付かなくなってしまう。かといって、講義の時間枠は決まっている。決まっている時間枠の中で、「〈対話法〉とは何か」「〈対話法〉には確認型応答と反応型応答がある」「確認型応答には状況・事情の確認と感情・考えの確認がある」まずは冒頭で解説するここまでのスライド作りに悩みました。
考えたことは、講義全体を通して、どういう順番でやっていくと、理解の追い付かない受講者を可能な限り減らせて、ペアワークもでき、最終的には確認型応答と反応型応答を意識的に切り替えながら「対話」できるようになるか…という点です。現在の講義の流れに仕上がるまで数年かかりました。自宅でスライドを作って「これで大丈夫かな?」と思っていても、実際に講義を行うと受講者の理解が追い付かなくなる場面が目に見えて分かります。GKを終えるたび毎回改良するわけです。
あとは、やはりペアワークの内容は相当悩みますし知恵熱出して考えまくります。「自殺予防のゲートキーパー養成講習」として〈対話法〉を教えて、即戦力を身につけてもらわないと講義の意義がありません。ですから僕が担当する「こころの通う悩みの聴き方〈対話法〉」は、座学要素は前半少しで、大多数の時間を演習に費やしています。対話トレーニング型、といって良いと思っています。いかにペアとの対話の中で、実際に確認型応答を中心に使っていくか。お題が難し過ぎても受講者の思考が止まってしまい意味が無く、易し過ぎてもゲートキーパーとしての即戦力は身に着かない。この塩梅がとっても重要で、悩み考えるんです♪
他にもエピソードはいっぱいありますが長文になるので、もっと知りたいという方は僕の著書をお買い求めくださいませ!
https://amzn.asia/d/00vKMKrV

以上
自殺予防団体-SPbyMD-
会長 内田貴之
Q)確認型応答を学んでいく中で悩んだり考えたりしたエピソードなどあったら教えてください
A)講義「こころの通う悩みの聴き方〈対話法〉」で講師を担当している内田貴之です。僕が講師を担当するにあたって確認型応答を含む「コミュニケーション理論〈対話法〉」の理論を勉強しまくりました。講義の中で受講者に教えているような基礎的な内容はすぐ理解できましたが、その内容を教えるためにはもっと深掘りして学ばないとならないわけですね。
悩んだことは、あの講義スライドをゼロから作った時です。いっぺんに教えようとすると、受講者は必ず理解が追い付かなくなってしまう。かといって、講義の時間枠は決まっている。決まっている時間枠の中で、「〈対話法〉とは何か」「〈対話法〉には確認型応答と反応型応答がある」「確認型応答には状況・事情の確認と感情・考えの確認がある」まずは冒頭で解説するここまでのスライド作りに悩みました。
考えたことは、講義全体を通して、どういう順番でやっていくと、理解の追い付かない受講者を可能な限り減らせて、ペアワークもでき、最終的には確認型応答と反応型応答を意識的に切り替えながら「対話」できるようになるか…という点です。現在の講義の流れに仕上がるまで数年かかりました。自宅でスライドを作って「これで大丈夫かな?」と思っていても、実際に講義を行うと受講者の理解が追い付かなくなる場面が目に見えて分かります。GKを終えるたび毎回改良するわけです。
あとは、やはりペアワークの内容は相当悩みますし知恵熱出して考えまくります。「自殺予防のゲートキーパー養成講習」として〈対話法〉を教えて、即戦力を身につけてもらわないと講義の意義がありません。ですから僕が担当する「こころの通う悩みの聴き方〈対話法〉」は、座学要素は前半少しで、大多数の時間を演習に費やしています。対話トレーニング型、といって良いと思っています。いかにペアとの対話の中で、実際に確認型応答を中心に使っていくか。お題が難し過ぎても受講者の思考が止まってしまい意味が無く、易し過ぎてもゲートキーパーとしての即戦力は身に着かない。この塩梅がとっても重要で、悩み考えるんです♪
他にもエピソードはいっぱいありますが長文になるので、もっと知りたいという方は僕の著書をお買い求めくださいませ!
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以上
自殺予防団体-SPbyMD-
会長 内田貴之
posted by 内田 at 16:50
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2026年04月08日
来場者ゼロから始まった自殺予防活動のリアルな軌跡
自殺予防団体-SPbyMD-の内田です。
つい先日Amazonから僕の最新冊が出版開始となりました。

北海道を巡り続ける、自殺予防活動の“現場”と“思想”の記録。本書は、自殺予防団体-SPbyMD-の創立者であり現会長である内田貴之が、北海道各地を巡りながら行なってきた自殺予防活動の記録である。学生時代に自殺問題と出会い、「自殺予防をライフワークとして生きる」と決意した著者は、仲間とともに団体を立ち上げ、市民に向けた講習や講演会を重ねてきた。
しかしその道のりは決して順風満帆ではなかった。
来場者ゼロの講演会。
無関心や拒絶にさらされる街頭活動。
過疎地域での開催に伴う移動・費用・集客の壁。
それでもなお、著者は活動を続ける。なぜ続けるのか。なぜ「市民による自殺予防」にこだわるのか。本書では、その問いに対する答えが、実体験とともに語られる。
本書の特徴
・北海道各地で行なわれてきた自殺予防活動のリアルな記録
・「こころの通う対話のできるゲートキーパー養成講習」の誕生と発展のプロセス
・コミュニケーション理論〈対話法〉の実践的解説
・自殺予防における「対話」の重要性
・専門家ではない一般市民が関われる自殺予防のあり方
こんな方におすすめ
・自殺問題に関心がある方
・身近な人の悩みにどう関わればよいか悩んでいる方
・福祉・医療・教育など対人支援に関わる方
・「自分にもできることがあるのでは」と感じている方
この本が伝えたいこと
自殺予防は、専門家だけのものではない。友人として、家族として、ひとりの人間として、できる関わり方がある。そのひとつの鍵が「対話」である。本書は完成された成功物語ではない。いまも続いている活動の“途中経過”である。だからこそ、ここには現場のリアルと、これからに向けた問いがある。
北海道14管内を巡った自殺予防活動
市民のための自殺予防〈対話法〉
─活動史・人生史─
税込 1,980円
クリックでAmazon商品ページへ
ちなみに、体裁としては自殺予防団体-SPbyMD-の出版物のひとつで、売上金は全て団体の販売収益となります。そのため本書の中では「自殺予防団体-SPbyMD- 会長 内田貴之」と明記してあります。…が、組織の公式発刊物とも異なり、僕の人生史でもあることから著者名はペンネームである「北海道の内田貴之」にしてあります♪
以上
自殺予防団体-SPbyMD-
会長 内田貴之
つい先日Amazonから僕の最新冊が出版開始となりました。

北海道を巡り続ける、自殺予防活動の“現場”と“思想”の記録。本書は、自殺予防団体-SPbyMD-の創立者であり現会長である内田貴之が、北海道各地を巡りながら行なってきた自殺予防活動の記録である。学生時代に自殺問題と出会い、「自殺予防をライフワークとして生きる」と決意した著者は、仲間とともに団体を立ち上げ、市民に向けた講習や講演会を重ねてきた。
しかしその道のりは決して順風満帆ではなかった。
来場者ゼロの講演会。
無関心や拒絶にさらされる街頭活動。
過疎地域での開催に伴う移動・費用・集客の壁。
それでもなお、著者は活動を続ける。なぜ続けるのか。なぜ「市民による自殺予防」にこだわるのか。本書では、その問いに対する答えが、実体験とともに語られる。
本書の特徴
・北海道各地で行なわれてきた自殺予防活動のリアルな記録
・「こころの通う対話のできるゲートキーパー養成講習」の誕生と発展のプロセス
・コミュニケーション理論〈対話法〉の実践的解説
・自殺予防における「対話」の重要性
・専門家ではない一般市民が関われる自殺予防のあり方
こんな方におすすめ
・自殺問題に関心がある方
・身近な人の悩みにどう関わればよいか悩んでいる方
・福祉・医療・教育など対人支援に関わる方
・「自分にもできることがあるのでは」と感じている方
この本が伝えたいこと
自殺予防は、専門家だけのものではない。友人として、家族として、ひとりの人間として、できる関わり方がある。そのひとつの鍵が「対話」である。本書は完成された成功物語ではない。いまも続いている活動の“途中経過”である。だからこそ、ここには現場のリアルと、これからに向けた問いがある。
北海道14管内を巡った自殺予防活動
市民のための自殺予防〈対話法〉
─活動史・人生史─
税込 1,980円
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ちなみに、体裁としては自殺予防団体-SPbyMD-の出版物のひとつで、売上金は全て団体の販売収益となります。そのため本書の中では「自殺予防団体-SPbyMD- 会長 内田貴之」と明記してあります。…が、組織の公式発刊物とも異なり、僕の人生史でもあることから著者名はペンネームである「北海道の内田貴之」にしてあります♪
以上
自殺予防団体-SPbyMD-
会長 内田貴之
posted by 内田 at 19:22
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2026年03月10日
差別をされない為に「普通」でいる必要がある世の中で by 鈴木瞭
厚生労働省は毎年3月を「自殺対策強化月間」として、自殺に向けた様々な取り組みをしています。自殺予防団体-SPbyMD-も「自殺対策強化月間」には『こころの通う対話のできるゲートキーパー養成講習』開催を2018年から続けておりますが、本年はコラムも執筆してみようと思います。冒頭あいさつが長くなりましたが、おはようございます。自殺予防団体-SPbyMD- 理事 鈴木瞭です。
厚生労働省の調査で令和7年の自殺者総数は暫定値で19,097人となっており、このまま人数が確定した場合に統計開始の1978年以降初めて2万人を下回り、最小の数値となる。しかし、小・中高生の自殺者数が暫定値で532人となっており、人数が確定した場合に統計のある1980年以降で最多の数値となる事がわかった。数値をからも読み取れるように若年層の自殺が深刻な社会問題になりつつあるように感じる。
当団体の講演会で自殺と精神疾患の関りがとても密接である事がわかっている。何が未来ある若者を自殺に向かわせてしまうのだろうかを考えてみる。
平成から令和となり、SNSは日々進化している。誰とでも簡単につながりを持つ事ができる社会になっている。しかし、対面での関りは減少しているのではないだろうか。対面で友人と会っていてもスマートフォンに集中している若い人をあちらこちらの場所で見る。対面の友人よりもSNSの関りが重要なのだろうか。悩みを打ち明ける、問題となっている事の解決策を相談する、一緒に悲しむ事ができる信頼関係を持った友人はSNSの中に本当にいるのだろうか。
確かに、新型コロナウィルスの影響のもとでSNSは遠方からでもオンラインで関わる事ができるツールとして注目を浴びた。特にZoomは多くの場面で使用される事が多くなった。物理的に距離が離れている人とも交流がしやすくなったというメリットもある。便利さと引き換えに、人との関りについて何か失ってしまった事もあるようにも感じられる。
人との関りの中で「普通」である事が強要される場面が多くある。特に小・中高生の時代には強く見られる傾向がある。先日、筆者は白人と黒人の交流を描いた映画「グリーンブック」を鑑賞した。この映画の中で白人と黒人は肌の色に関係なく、生涯の友人になっていくシーンがある。肌の色が違うだけで差別をする。私たちの周りでも価値観・考え方が違うだけで差別的な言動をする人もいる。このような差別をされない為には「普通」でいる必要がある…。
相手への差別が相手を追い詰め、疎外し、孤独へと導く。その時間が長ければ長いほど、生きる事にも絶望してしまう。差別を無くし、相手を一人の人として尊重していく中で隣人を愛して欲しい。そんな人が増えていけば、救われる命もあるかもしれない。
以上
自殺予防団体-SPByMD-
理事 鈴木瞭
厚生労働省の調査で令和7年の自殺者総数は暫定値で19,097人となっており、このまま人数が確定した場合に統計開始の1978年以降初めて2万人を下回り、最小の数値となる。しかし、小・中高生の自殺者数が暫定値で532人となっており、人数が確定した場合に統計のある1980年以降で最多の数値となる事がわかった。数値をからも読み取れるように若年層の自殺が深刻な社会問題になりつつあるように感じる。
当団体の講演会で自殺と精神疾患の関りがとても密接である事がわかっている。何が未来ある若者を自殺に向かわせてしまうのだろうかを考えてみる。
平成から令和となり、SNSは日々進化している。誰とでも簡単につながりを持つ事ができる社会になっている。しかし、対面での関りは減少しているのではないだろうか。対面で友人と会っていてもスマートフォンに集中している若い人をあちらこちらの場所で見る。対面の友人よりもSNSの関りが重要なのだろうか。悩みを打ち明ける、問題となっている事の解決策を相談する、一緒に悲しむ事ができる信頼関係を持った友人はSNSの中に本当にいるのだろうか。
確かに、新型コロナウィルスの影響のもとでSNSは遠方からでもオンラインで関わる事ができるツールとして注目を浴びた。特にZoomは多くの場面で使用される事が多くなった。物理的に距離が離れている人とも交流がしやすくなったというメリットもある。便利さと引き換えに、人との関りについて何か失ってしまった事もあるようにも感じられる。
人との関りの中で「普通」である事が強要される場面が多くある。特に小・中高生の時代には強く見られる傾向がある。先日、筆者は白人と黒人の交流を描いた映画「グリーンブック」を鑑賞した。この映画の中で白人と黒人は肌の色に関係なく、生涯の友人になっていくシーンがある。肌の色が違うだけで差別をする。私たちの周りでも価値観・考え方が違うだけで差別的な言動をする人もいる。このような差別をされない為には「普通」でいる必要がある…。
相手への差別が相手を追い詰め、疎外し、孤独へと導く。その時間が長ければ長いほど、生きる事にも絶望してしまう。差別を無くし、相手を一人の人として尊重していく中で隣人を愛して欲しい。そんな人が増えていけば、救われる命もあるかもしれない。
以上
自殺予防団体-SPByMD-
理事 鈴木瞭
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2026年01月22日
「人間は生まれながらにして皆んな平等?」という違和感について
栄誉創立者の尾垣です。本日Twitterのタイムラインで、とあるデモ活動の写真が流れてきました。そこにはプラカードで大きく、「人間は生まれながらに皆んなが平等です」というフレーズが掲げられていました。一見すると、とても「いい言葉」に見えますし、気持ちとしては理解できる部分もあります。しかし、私はどこか引っかかりを覚えました。「それは真理として言い切っていいのだろうか?」という違和感です。

私が違和感を覚える理由は、人間がこの世に生まれてくる目的を「魂修行」として捉えているからです。私たちは、この人生一回きりの存在ではなく、何度も生まれ変わりを繰り返しながら、魂のレベルアップ・向上を目指している。そういう前提で世界を見ています。
この視点に立つと、「人間は生まれながらにして皆んな平等」という言葉は、少なくとも魂の段階においては そのまま当てはまらない ことが分かります。なぜなら、生まれてくる時点での魂の成熟度や、これまでに積んできた経験値は、まさに十人十色だからです。学びの途中にいる魂もあれば、かなり高度な段階にいる魂もある。それをすべて「スタート時点から平等」とは、なかなか言い切れません。
ここで関わってくるのが「三世因果論」という考え方です。三世とは、過去世・今世・来世 のことを指します。例えば、こんなケースを想像してみてください。
「無自覚で人の助けになる素晴らしい行いを日常的にしている、とても優しい若者がいた。しかしある日、交通事故の被害に遭い、若くして命を落としてしまった。」
今世の姿だけを見ると、「なんて理不尽なんだ」と感じます。「こんな優しい人こそ長生きしてほしいのに」「なぜ、よりによってあの人が」と、親切にしてもらった側の人は誰もが思うでしょう。
ここで三世因果論の出番です。今世の姿だけを見ると「善人」に見える人であっても、過去世ではまったく違う生き方をしていたかもしれないという視点です。もしかすると、過去世では無秩序な悪い行いを重ね、多くの人を傷つけてきたかもしれません。その過去世で積み残した因果が、今世で「応報」として返ってきている。その一部が、若くしての事故死という形で現れている可能性もあります。
もちろん、これはあくまで「可能性」の話であり、他人の因果を断定することはできません。
しかし、今世だけを切り取って「この不幸は不公平だ」と決めつけるのは難しいということを、三世因果論は教えてくれます。では、今世での優しい行いは無駄になるのか?というと、そうではありません。今世で積み上げた徳のある行いは、来世で必ず良い結果として返ってくるという「三世を貫く因果」の流れがあるからこそ、「人間は生まれながらにして皆んな平等」という一言では捉えきれない世界の深さがある、と感じるのです。
ここで一つ、大事なことをはっきりさせておきたいと思います。
私は、「魂のレベルが違うから、人間は平等ではない」「だから劣っている人は切り捨ててよい」といった考えを肯定したいわけではありません。それはむしろ、三世因果の考え方を最も乱暴に誤用している形です。
法律や社会制度の上では「生まれながらにして皆平等」という考えはとても大切です。生命の価値、基本的人権、尊厳──これらは魂のレベルに関係なく、すべての人に保障されるべきものです。
私が違和感を覚えるのは、「みんな同じスタートラインに立っている」「条件も成熟度も全て同じ」という意味で「平等」と語られてしまうと、そこに「三世をまたぐ長い魂の物語」が、すべて無かったことにされてしまうように感じるからです。
一方で、デモの場で掲げられた「人間は生まれながら皆んな平等」というフレーズには、スローガンとしての役割があります。
・障害があっても
・貧困に生まれても
・マイノリティとして生きていても
・外国人であっても
「人間としての価値は同じだ」「生きる権利は変わらない」というメッセージを短く伝えるには、ああした言葉が必要な場面もあるのだろうと、頭では理解できます。魂の視点から見れば「平等」とは言い切れない。けれど、現実の社会や人権の話としては「平等である」と言い続けなければならない。このギャップや矛盾感覚そのものが、今の時代を生きる私たちに課されたテーマなのかもしれません。
自殺予防活動において三世因果論や魂修行の話を持ち出すと、ときどき危険な方向に話が流れることがあります。例えば「あの人が死にたいほど苦しんでいるのは、過去世で悪いことをしたからに決まっている」「だから自己責任なんだよね?」「それなら放っておいていい」というような、冷たくて乱暴な論理です。
しかし本来、三世因果を知ることは「他人を裁くため」ではなく「自分を謙虚にするため」の知恵であるべきだと、私は思っています。
・自分が今恵まれている部分は、過去世からの積み重ねがあるのかもしれない
・だからこそ、その恵みを誰かのために使いたい
・逆に、今苦しんでいる人には、私には見えない深い背景があるのかもしれない
・だからこそ、安易に「努力不足」などと決めつけないようにしたい
そういう「心の姿勢」を持つためにこそ、三世因果の視点が活きるのだと思います。
「人間は生まれながらにして皆んな平等」というフレーズに、私が違和感を覚えた背景には、魂修行や三世因果論というスピリチュアリズムと仏教の世界観があります。魂の段階や過去世・来世まで含めた長い時間軸で見れば、人は決して「全く同じ条件」で生まれてきているわけではありません。
それでもなお、私たちは現実の社会の中で「人としての価値」「生きる権利」は平等である!と言い続けなければならない…。この二つの間にある矛盾や揺らぎこそ、もしかすると今世の私に与えられている、一つの魂修行なのかもしれません。
以上
自殺予防団体-SPbyMD-
栄誉創立者 尾垣洋輔

私が違和感を覚える理由は、人間がこの世に生まれてくる目的を「魂修行」として捉えているからです。私たちは、この人生一回きりの存在ではなく、何度も生まれ変わりを繰り返しながら、魂のレベルアップ・向上を目指している。そういう前提で世界を見ています。
この視点に立つと、「人間は生まれながらにして皆んな平等」という言葉は、少なくとも魂の段階においては そのまま当てはまらない ことが分かります。なぜなら、生まれてくる時点での魂の成熟度や、これまでに積んできた経験値は、まさに十人十色だからです。学びの途中にいる魂もあれば、かなり高度な段階にいる魂もある。それをすべて「スタート時点から平等」とは、なかなか言い切れません。
ここで関わってくるのが「三世因果論」という考え方です。三世とは、過去世・今世・来世 のことを指します。例えば、こんなケースを想像してみてください。
「無自覚で人の助けになる素晴らしい行いを日常的にしている、とても優しい若者がいた。しかしある日、交通事故の被害に遭い、若くして命を落としてしまった。」
今世の姿だけを見ると、「なんて理不尽なんだ」と感じます。「こんな優しい人こそ長生きしてほしいのに」「なぜ、よりによってあの人が」と、親切にしてもらった側の人は誰もが思うでしょう。
ここで三世因果論の出番です。今世の姿だけを見ると「善人」に見える人であっても、過去世ではまったく違う生き方をしていたかもしれないという視点です。もしかすると、過去世では無秩序な悪い行いを重ね、多くの人を傷つけてきたかもしれません。その過去世で積み残した因果が、今世で「応報」として返ってきている。その一部が、若くしての事故死という形で現れている可能性もあります。
もちろん、これはあくまで「可能性」の話であり、他人の因果を断定することはできません。
しかし、今世だけを切り取って「この不幸は不公平だ」と決めつけるのは難しいということを、三世因果論は教えてくれます。では、今世での優しい行いは無駄になるのか?というと、そうではありません。今世で積み上げた徳のある行いは、来世で必ず良い結果として返ってくるという「三世を貫く因果」の流れがあるからこそ、「人間は生まれながらにして皆んな平等」という一言では捉えきれない世界の深さがある、と感じるのです。
ここで一つ、大事なことをはっきりさせておきたいと思います。
私は、「魂のレベルが違うから、人間は平等ではない」「だから劣っている人は切り捨ててよい」といった考えを肯定したいわけではありません。それはむしろ、三世因果の考え方を最も乱暴に誤用している形です。
法律や社会制度の上では「生まれながらにして皆平等」という考えはとても大切です。生命の価値、基本的人権、尊厳──これらは魂のレベルに関係なく、すべての人に保障されるべきものです。
私が違和感を覚えるのは、「みんな同じスタートラインに立っている」「条件も成熟度も全て同じ」という意味で「平等」と語られてしまうと、そこに「三世をまたぐ長い魂の物語」が、すべて無かったことにされてしまうように感じるからです。
一方で、デモの場で掲げられた「人間は生まれながら皆んな平等」というフレーズには、スローガンとしての役割があります。
・障害があっても
・貧困に生まれても
・マイノリティとして生きていても
・外国人であっても
「人間としての価値は同じだ」「生きる権利は変わらない」というメッセージを短く伝えるには、ああした言葉が必要な場面もあるのだろうと、頭では理解できます。魂の視点から見れば「平等」とは言い切れない。けれど、現実の社会や人権の話としては「平等である」と言い続けなければならない。このギャップや矛盾感覚そのものが、今の時代を生きる私たちに課されたテーマなのかもしれません。
自殺予防活動において三世因果論や魂修行の話を持ち出すと、ときどき危険な方向に話が流れることがあります。例えば「あの人が死にたいほど苦しんでいるのは、過去世で悪いことをしたからに決まっている」「だから自己責任なんだよね?」「それなら放っておいていい」というような、冷たくて乱暴な論理です。
しかし本来、三世因果を知ることは「他人を裁くため」ではなく「自分を謙虚にするため」の知恵であるべきだと、私は思っています。
・自分が今恵まれている部分は、過去世からの積み重ねがあるのかもしれない
・だからこそ、その恵みを誰かのために使いたい
・逆に、今苦しんでいる人には、私には見えない深い背景があるのかもしれない
・だからこそ、安易に「努力不足」などと決めつけないようにしたい
そういう「心の姿勢」を持つためにこそ、三世因果の視点が活きるのだと思います。
「人間は生まれながらにして皆んな平等」というフレーズに、私が違和感を覚えた背景には、魂修行や三世因果論というスピリチュアリズムと仏教の世界観があります。魂の段階や過去世・来世まで含めた長い時間軸で見れば、人は決して「全く同じ条件」で生まれてきているわけではありません。
それでもなお、私たちは現実の社会の中で「人としての価値」「生きる権利」は平等である!と言い続けなければならない…。この二つの間にある矛盾や揺らぎこそ、もしかすると今世の私に与えられている、一つの魂修行なのかもしれません。
以上
自殺予防団体-SPbyMD-
栄誉創立者 尾垣洋輔
posted by 内田 at 17:00
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2026年01月17日
「生きる権利」と「働く苦しさ」をめぐって
自殺予防団体‐SPbyMD‐の尾垣洋輔です。今日は、Twitterのタイムラインで目に留まった、とあるツイートをきっかけに「労働」と「メンタルヘルス」と「自殺予防」について、私なりの考えを書いてみたいと思います。
私の目に飛び込んできたのは、次の内容のツイートでした。
「障害者にも生きる権利がある←言ってることは正しいけど現実問題彼らは稼ぐ能力がないから大多数は生活保護になる。そんな非生産的な彼らを見て日々労働に苦しんでいる健常者はどう思うだろうか」
https://x.com/arugen202/status/2012164137674285459?s=20
このツイートを読んだとき、内容全体について語りたいことはいくつもありましたが、私が特に着目したのは後半のこの部分です。「日々労働に苦しんでいる健常者」この一文に、私はとても強い引っかかりを覚えました。
私は、この表現には、ツイートされた方ご自身の状況や感情が色濃く反映されているのではないか?と感じました。恐らくその方は、企業などでフルタイムで働きながら、
・毎日の労働がとにかく苦しい
・それでも生活のために働き続けている
一方で、働けない(または働いていない)障害者が生活保護を受給しているという現実を見て「自分はこんなに苦しい思いで働いているのに…」という、比較と不公平感のようなものを抱いているのではないかと推測しています。「羨ましい」「ずるい」と言いたい気持ちも、どこかに含まれているかもしれません。
しかし、自殺予防に携わる者として、この感情の背景には、かなり危ういメンタルヘルス上のサイン が潜んでいるように見えました。「好きな仕事で苦労する人」は、同じ感情にはなりにくいものです。もちろん、仕事というものは、どんな職種であれ大変な部分があります。忙しさや責任の重さでヘトヘトになることもあるでしょう。
しかしもし、自分のやりたい分野の仕事に就き「大変だけど、この仕事が好きだ」「やりがいがある」と感じている状態であれば、たとえ毎日の仕事量が多くて疲れていても、生活保護を受けている障害者に対して「羨ましい」と感じることは、あまり多くないのではないでしょうか。
そもそも生活保護の暮らしは、決して「楽・自由・贅沢な生活」ではありません。経済的な制限や、社会的な偏見、精神的な不安など、別の意味で大変さを抱えています。
それでも「非生産的な彼ら」といった表現になってしまうのは、それだけ今の仕事や生活がつらく、余裕を失っている状態のあらわれではないか?私はそう感じました。このままでは「自殺予備軍」となってしまう危うさもあります。これは決してオーバーなことを言っているのではありません。
このツイートにあるような心境にある方々の中には、将来的に「自殺予備軍」と呼ばれる状態に近づいてしまう人も出てくるのではないか、と懸念しています。
・過重労働
・低賃金
・将来への不安
・認められない感覚
・報われない感覚
こうした要因が重なっていくと、心はじわじわと疲弊していきます。やがて、「睡眠障害」「不安障害」「うつ病」などの精神疾患といった形でメンタルヘルスを崩し、最終的には「働けない心身」になってしまう流れは、決して珍しいものではありません。そうなったときには、かつて生活保護受給者を「非生産的」と見下していた人が、今度は自分自身が支援を必要とする立場になるということも十分あり得ます。
このツイートのコメント欄を眺めてみると、「そんなに苦しいなら、仕事を辞めたほうがいい」という意見も少なからずありました。私も自殺予防に携わる者として、一定の正しさがある意見だと感じます。
もちろん、現実には簡単に辞められない事情もあるでしょう。家族の生活、ローン、キャリアの問題…。それでもなお「いのちより大切な仕事はない」という視点に立てば、心と体が壊れてしまう前に、一度立ち止まることはとても重要です。「仕事=お金」だけで捉えると、人生は苦しくなるのです。
仕事というものを、単に「お金を稼ぐための手段」としか捉えられなくなってしまうと、人は次第に「苦しさ」だけを感じるようになっていきます。私は、すべての仕事は本来「世のため人のため」に通じていくものであると考えています。古い言葉を借りれば「公益世務(=公益に資する務め)」です。自分が行う仕事が、誰かの生活や笑顔や安全に、どんな形で還元されているのか。そのイメージを持てているかどうかで、仕事に対する感覚は大きく変わります。
もちろん、どんな仕事でもきれいごとだけではありません。理想と現実のギャップもあります。それでも「これは誰かの役に立っている」「この働きが社会を支えている」という感覚が持てれば、同じ苦労でも「使命感」として受け止めることができます。その一方で、「俺はこんなに苦しんで働いているのに、あいつら(=生活保護を受けている障害者)は…」という方向へ行ってしまうと、苦しさしか残らなくなります。
ところで「自殺予防は、自分には関係ない」と思っていませんか?私は、2013年に自殺予防団体-SPbyMD-を立ち上げる数年前から自殺予防に携わっていますが、こうした話をすると「俺は健常者だし自殺予防なんて関係ねぇんだよ!」といった少々乱暴な声が聞こえてきました。私は、断言しておきたいのです。
自殺予防に無関係な人間は一人もいません。
「メンタルヘルス」とは、単に病名がつく・つかないの話ではありません。心の健康状態は、誰にとっても日々揺れ動くものです。
・毎日がしんどい
・仕事に行くのが辛い
・将来に希望が持てない
・誰にも本音を話せない
こうした状態が長く続くことは、それだけで自殺リスクを高める要因になります。今回のようなツイートをしたくなるような労働環境に身を置いている時点で、「自分のメンタルヘルスに真剣に向き合うタイミングが来ている」 と、どうか気づいてほしいのです。
私としては、このツイートをした方、そして同じような感情を抱えている多くの勤労者の方々に、こうお伝えしたいです。「週末だけでもいいので、ご自身のメンタルヘルスに意識を向けてみてください!」と。今の仕事は、自分の心と体にどんな影響を与えているのか。なぜ、あのツイートのような言葉を吐きたくなるほど、つらいのか。本当はどう生きていきたいのか。忙しい日常の中で、普段は見ないふりをしている気持ちに、そっと光を当ててみてほしいのです。
「障害者にも生きる権利がある」という言葉は、確かにその通りです。しかし同時に、「日々労働に苦しんでいる健常者」にも、同じように生きる権利があり、心のケアを受ける権利があります。
自殺予防とは、特別な誰かのための活動ではありません。日々、労働や生活に追われている 「あなた自身」 のためのものでもあります。
今回のツイートに触れて感じた違和感や危機感を、誰かを責める材料ではなく「社会全体のメンタルヘルスを見直すきっかけ」として受け止めていただけたら幸いです。そして、こうしたテーマに向き合うことそのものが、もしかすると私に与えられている一つの試練なのかもしれない。そんなことを思いながら、この記事を締めくくりたいと思います。
ご精読ありがとうございました。
以上
自殺予防団体-SPbyMD-
栄誉創立者 尾垣洋輔
私の目に飛び込んできたのは、次の内容のツイートでした。
「障害者にも生きる権利がある←言ってることは正しいけど現実問題彼らは稼ぐ能力がないから大多数は生活保護になる。そんな非生産的な彼らを見て日々労働に苦しんでいる健常者はどう思うだろうか」
https://x.com/arugen202/status/2012164137674285459?s=20
このツイートを読んだとき、内容全体について語りたいことはいくつもありましたが、私が特に着目したのは後半のこの部分です。「日々労働に苦しんでいる健常者」この一文に、私はとても強い引っかかりを覚えました。
私は、この表現には、ツイートされた方ご自身の状況や感情が色濃く反映されているのではないか?と感じました。恐らくその方は、企業などでフルタイムで働きながら、
・毎日の労働がとにかく苦しい
・それでも生活のために働き続けている
一方で、働けない(または働いていない)障害者が生活保護を受給しているという現実を見て「自分はこんなに苦しい思いで働いているのに…」という、比較と不公平感のようなものを抱いているのではないかと推測しています。「羨ましい」「ずるい」と言いたい気持ちも、どこかに含まれているかもしれません。
しかし、自殺予防に携わる者として、この感情の背景には、かなり危ういメンタルヘルス上のサイン が潜んでいるように見えました。「好きな仕事で苦労する人」は、同じ感情にはなりにくいものです。もちろん、仕事というものは、どんな職種であれ大変な部分があります。忙しさや責任の重さでヘトヘトになることもあるでしょう。
しかしもし、自分のやりたい分野の仕事に就き「大変だけど、この仕事が好きだ」「やりがいがある」と感じている状態であれば、たとえ毎日の仕事量が多くて疲れていても、生活保護を受けている障害者に対して「羨ましい」と感じることは、あまり多くないのではないでしょうか。
そもそも生活保護の暮らしは、決して「楽・自由・贅沢な生活」ではありません。経済的な制限や、社会的な偏見、精神的な不安など、別の意味で大変さを抱えています。
それでも「非生産的な彼ら」といった表現になってしまうのは、それだけ今の仕事や生活がつらく、余裕を失っている状態のあらわれではないか?私はそう感じました。このままでは「自殺予備軍」となってしまう危うさもあります。これは決してオーバーなことを言っているのではありません。
このツイートにあるような心境にある方々の中には、将来的に「自殺予備軍」と呼ばれる状態に近づいてしまう人も出てくるのではないか、と懸念しています。
・過重労働
・低賃金
・将来への不安
・認められない感覚
・報われない感覚
こうした要因が重なっていくと、心はじわじわと疲弊していきます。やがて、「睡眠障害」「不安障害」「うつ病」などの精神疾患といった形でメンタルヘルスを崩し、最終的には「働けない心身」になってしまう流れは、決して珍しいものではありません。そうなったときには、かつて生活保護受給者を「非生産的」と見下していた人が、今度は自分自身が支援を必要とする立場になるということも十分あり得ます。
このツイートのコメント欄を眺めてみると、「そんなに苦しいなら、仕事を辞めたほうがいい」という意見も少なからずありました。私も自殺予防に携わる者として、一定の正しさがある意見だと感じます。
もちろん、現実には簡単に辞められない事情もあるでしょう。家族の生活、ローン、キャリアの問題…。それでもなお「いのちより大切な仕事はない」という視点に立てば、心と体が壊れてしまう前に、一度立ち止まることはとても重要です。「仕事=お金」だけで捉えると、人生は苦しくなるのです。
仕事というものを、単に「お金を稼ぐための手段」としか捉えられなくなってしまうと、人は次第に「苦しさ」だけを感じるようになっていきます。私は、すべての仕事は本来「世のため人のため」に通じていくものであると考えています。古い言葉を借りれば「公益世務(=公益に資する務め)」です。自分が行う仕事が、誰かの生活や笑顔や安全に、どんな形で還元されているのか。そのイメージを持てているかどうかで、仕事に対する感覚は大きく変わります。
もちろん、どんな仕事でもきれいごとだけではありません。理想と現実のギャップもあります。それでも「これは誰かの役に立っている」「この働きが社会を支えている」という感覚が持てれば、同じ苦労でも「使命感」として受け止めることができます。その一方で、「俺はこんなに苦しんで働いているのに、あいつら(=生活保護を受けている障害者)は…」という方向へ行ってしまうと、苦しさしか残らなくなります。
ところで「自殺予防は、自分には関係ない」と思っていませんか?私は、2013年に自殺予防団体-SPbyMD-を立ち上げる数年前から自殺予防に携わっていますが、こうした話をすると「俺は健常者だし自殺予防なんて関係ねぇんだよ!」といった少々乱暴な声が聞こえてきました。私は、断言しておきたいのです。
自殺予防に無関係な人間は一人もいません。
「メンタルヘルス」とは、単に病名がつく・つかないの話ではありません。心の健康状態は、誰にとっても日々揺れ動くものです。
・毎日がしんどい
・仕事に行くのが辛い
・将来に希望が持てない
・誰にも本音を話せない
こうした状態が長く続くことは、それだけで自殺リスクを高める要因になります。今回のようなツイートをしたくなるような労働環境に身を置いている時点で、「自分のメンタルヘルスに真剣に向き合うタイミングが来ている」 と、どうか気づいてほしいのです。
私としては、このツイートをした方、そして同じような感情を抱えている多くの勤労者の方々に、こうお伝えしたいです。「週末だけでもいいので、ご自身のメンタルヘルスに意識を向けてみてください!」と。今の仕事は、自分の心と体にどんな影響を与えているのか。なぜ、あのツイートのような言葉を吐きたくなるほど、つらいのか。本当はどう生きていきたいのか。忙しい日常の中で、普段は見ないふりをしている気持ちに、そっと光を当ててみてほしいのです。
「障害者にも生きる権利がある」という言葉は、確かにその通りです。しかし同時に、「日々労働に苦しんでいる健常者」にも、同じように生きる権利があり、心のケアを受ける権利があります。
自殺予防とは、特別な誰かのための活動ではありません。日々、労働や生活に追われている 「あなた自身」 のためのものでもあります。
今回のツイートに触れて感じた違和感や危機感を、誰かを責める材料ではなく「社会全体のメンタルヘルスを見直すきっかけ」として受け止めていただけたら幸いです。そして、こうしたテーマに向き合うことそのものが、もしかすると私に与えられている一つの試練なのかもしれない。そんなことを思いながら、この記事を締めくくりたいと思います。
ご精読ありがとうございました。
以上
自殺予防団体-SPbyMD-
栄誉創立者 尾垣洋輔
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2025年11月10日
13年目の原点回帰〜私たちのメンバー綱領〜
こんばんは。自殺予防団体-SPbyMD- 会長 内田貴之です。久しぶりにコラム記事を「13年目の原点回帰〜私たちのメンバー綱領〜」と題して執筆します。
自殺予防団体-SPbyMD-は、今年で創立13年目を迎えました。この13年間、私たちは北海道の各地で多くの方々と出会い、自殺対策講演会・街頭演説啓発・自殺予防パネル展・ゲートキーパー養成講習などの活動を続けてきました。
時代が変わっても、私たちの根幹にある想い、それを言葉にしたのが公式サイトにも掲載している「メンバー綱領」です。この綱領は、活動を始めた当初から掲げ続けている、SPbyMDの理念の象徴とも言えます。今回は、その1つ1つの言葉に込めた意味を、改めて読者の皆様と共有したいと思います。
まずは「メンバー綱領」全文を以下に載せます。
一、我々は北海道を慈しむ者である。
一、我々は幸せに生きて幸せに死ぬことのできる北海道をつくる尊い理念を掲げる者である。
一、我々はその理念に使命感と誇りをもって活動に邁進する者である。
一、我々はその理念に基づいて障害者や自殺未遂者と健常者を区別せず共に手を携える者である。
それでは1つ1つの言葉に込めた意味を説明します。
★我々は北海道を慈しむ者である。
「地域に根ざす活動でありたい」という想いが込められています。北海道という土地で生き、悩み、支え合う。その現実の中に私たちの自殺予防活動の原点があります。北海道民として自分たちが暮らしている北海道を愛していてこそ、北海道民に自殺予防を行うことができるという考えです。ちなみに「慈しむ」とは「愛する」という意味ですが、SPbyMDの理念「幸せに生きて幸せに死ぬことのできる北海道をつくる」という尊さ(※崇高さ)を鑑みて言葉を選んだ経緯があります。
★我々は幸せに生きて幸せに死ぬことのできる北海道をつくる尊い理念を掲げる者である。
「幸せに死ぬ」という表現は、誤解を招きやすい言葉かもしれません。しかしながら私たちは、それを「命を尊重しながら最期の瞬間まで幸福を感じられる社会」という意味で使っています。死を遠ざけるのではなく「生と死をともに見つめる」ことです。それが本当の意味での「自殺予防」であると、私たちは考えています。どんな人生にも幸せな終わり方がある。しかしそれは自ら命を絶つという終わり方であってはならない。その希望を社会全体で守り育てたいのです。
★我々はその理念に使命感と誇りをもって活動に邁進する者である。
綱領の3つ目は、メンバーである私たち一人ひとりの「活動に対する姿勢」を示す言葉です。活動には迷いや葛藤がつきものです。しかし、理念を胸に抱くことで、その道に誇りを持つことができます。たとえ小さな一歩であっても、それを積み重ねることが社会を動かす力になります。私たちは、北海道民の命を守るという使命感を、一過性の熱ではなく日常の責任として持ち続けていきます。
★我々はその理念に基づいて障害者や自殺未遂者と健常者を区別せず共に手を携える者である。
これは私たちがもっとも大切にしている精神です。支援する人とされる人、健常者と当事者。そのような線引きをしない社会を目指しています。誰もが同じ人間として、共に歩むことができる。「自殺未遂を経験したからこそ伝えられる言葉」も「当事者ではないからこそできる支え」も、どちらも欠かすことはできません。私たちは、違いを越えて「共に生きる力」を育む場所であり続けたいと願っています。
自殺予防団体-SPbyMD-が創立13年目を迎え、駆けている今。私たちは改めてこの「メンバー綱領」に立ち返ろうと思いました。題名に込めた「原点回帰」です。それは単なる理念文ではなく、これからの北海道をどう生きるかという問いでもあります。
社会が変化し、人の生きづらさが多様化していく中で、私たち、自殺予防団体-SPbyMD-はこれからも「幸せに生きて幸せに死ぬことのできる北海道」を目指して歩み続けます。この理念やメンバー綱領に込められている想いに同感し、共に活動してくださる仲間を私たちはいつでも歓迎しています。公式サイトの「メンバー募集」ページを貼っておきます。
自殺予防団体-SPbyMD-公式サイト|メンバー募集
ご精読ありがとうございました。
以上
自殺予防団体-SPbyMD-
会長 内田貴之
https://spbymd.jimdofree.com
自殺予防団体-SPbyMD-は、今年で創立13年目を迎えました。この13年間、私たちは北海道の各地で多くの方々と出会い、自殺対策講演会・街頭演説啓発・自殺予防パネル展・ゲートキーパー養成講習などの活動を続けてきました。
時代が変わっても、私たちの根幹にある想い、それを言葉にしたのが公式サイトにも掲載している「メンバー綱領」です。この綱領は、活動を始めた当初から掲げ続けている、SPbyMDの理念の象徴とも言えます。今回は、その1つ1つの言葉に込めた意味を、改めて読者の皆様と共有したいと思います。
まずは「メンバー綱領」全文を以下に載せます。
一、我々は北海道を慈しむ者である。
一、我々は幸せに生きて幸せに死ぬことのできる北海道をつくる尊い理念を掲げる者である。
一、我々はその理念に使命感と誇りをもって活動に邁進する者である。
一、我々はその理念に基づいて障害者や自殺未遂者と健常者を区別せず共に手を携える者である。
それでは1つ1つの言葉に込めた意味を説明します。
★我々は北海道を慈しむ者である。
「地域に根ざす活動でありたい」という想いが込められています。北海道という土地で生き、悩み、支え合う。その現実の中に私たちの自殺予防活動の原点があります。北海道民として自分たちが暮らしている北海道を愛していてこそ、北海道民に自殺予防を行うことができるという考えです。ちなみに「慈しむ」とは「愛する」という意味ですが、SPbyMDの理念「幸せに生きて幸せに死ぬことのできる北海道をつくる」という尊さ(※崇高さ)を鑑みて言葉を選んだ経緯があります。
★我々は幸せに生きて幸せに死ぬことのできる北海道をつくる尊い理念を掲げる者である。
「幸せに死ぬ」という表現は、誤解を招きやすい言葉かもしれません。しかしながら私たちは、それを「命を尊重しながら最期の瞬間まで幸福を感じられる社会」という意味で使っています。死を遠ざけるのではなく「生と死をともに見つめる」ことです。それが本当の意味での「自殺予防」であると、私たちは考えています。どんな人生にも幸せな終わり方がある。しかしそれは自ら命を絶つという終わり方であってはならない。その希望を社会全体で守り育てたいのです。
★我々はその理念に使命感と誇りをもって活動に邁進する者である。
綱領の3つ目は、メンバーである私たち一人ひとりの「活動に対する姿勢」を示す言葉です。活動には迷いや葛藤がつきものです。しかし、理念を胸に抱くことで、その道に誇りを持つことができます。たとえ小さな一歩であっても、それを積み重ねることが社会を動かす力になります。私たちは、北海道民の命を守るという使命感を、一過性の熱ではなく日常の責任として持ち続けていきます。
★我々はその理念に基づいて障害者や自殺未遂者と健常者を区別せず共に手を携える者である。
これは私たちがもっとも大切にしている精神です。支援する人とされる人、健常者と当事者。そのような線引きをしない社会を目指しています。誰もが同じ人間として、共に歩むことができる。「自殺未遂を経験したからこそ伝えられる言葉」も「当事者ではないからこそできる支え」も、どちらも欠かすことはできません。私たちは、違いを越えて「共に生きる力」を育む場所であり続けたいと願っています。
自殺予防団体-SPbyMD-が創立13年目を迎え、駆けている今。私たちは改めてこの「メンバー綱領」に立ち返ろうと思いました。題名に込めた「原点回帰」です。それは単なる理念文ではなく、これからの北海道をどう生きるかという問いでもあります。
社会が変化し、人の生きづらさが多様化していく中で、私たち、自殺予防団体-SPbyMD-はこれからも「幸せに生きて幸せに死ぬことのできる北海道」を目指して歩み続けます。この理念やメンバー綱領に込められている想いに同感し、共に活動してくださる仲間を私たちはいつでも歓迎しています。公式サイトの「メンバー募集」ページを貼っておきます。
自殺予防団体-SPbyMD-公式サイト|メンバー募集
ご精読ありがとうございました。
以上
自殺予防団体-SPbyMD-
会長 内田貴之
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2025年09月11日
【世界自殺予防デー】心のガソリンを見つけよう ― 生きる力を補給するヒント
2025年9月10日「世界自殺予防デー」に合わせて、自殺予防団体-SPbyMD-会長の内田貴之氏が、『心のガソリンを見つけよう ― 生きる力を補給するヒント』というテーマで特別ミニ講演をお届けします。自殺の統計や数字ではなく、一人ひとりが日々の生活の中でできる「心のメンテナンス」についてお話ししました。心のエネルギーは必ず減るもの。だからこそ、自分に合った“心のガソリン”を補給することが大切です。なお、我が国では9/10〜16までの1週間は「自殺予防週間」という啓発期間が自殺対策基本法で制定されております。
この動画でお伝えする内容
・心のエネルギーが減る仕組み
・人それぞれの「心のガソリン」の見つけ方
・私自身のガソリン(使命感と休息)
・日常にガソリンを仕込む工夫
・視聴者の皆さんへの問いかけ
まとめ
心のガソリンを意識的に補給することが、つらいときにあなたを支え、生きる力を取り戻すきっかけになります。
―――――――――――――――――――――
自殺予防団体-SPbyMD-について
私たちは、北海道の自殺者を10年間かけて年間500人未満まで減らすプロジェクトを実施しています。もし北海道にお住まいで、この活動に関心を持ってくださった方は、ぜひ私たちと一緒に歩んでいただければ嬉しいです。
詳細・入会はこちらから
https://spbymd.jimdofree.com
―――――――――――――――――――――
チャンネル登録していただけると励みになります。
https://www.youtube.com/channel/UC9Te4dBlzLSvZKwRokJ9sNg
お問合せは公式サイトもしくは下記メールからお願いいたします。
・本動画に関するお問合せ→ jigyou.spbymd@gmail.com
・当団体に関するお問合せ→ spbymd@gmail.com
―――――――――――――――――――――
動画制作:自殺予防団体-SPbyMD- 事業統括部門
講演講師:自殺予防団体-SPbyMD- 会長 内田貴之氏
以上
自殺予防団体-SPbyMD- 事業統括部門
この動画でお伝えする内容
・心のエネルギーが減る仕組み
・人それぞれの「心のガソリン」の見つけ方
・私自身のガソリン(使命感と休息)
・日常にガソリンを仕込む工夫
・視聴者の皆さんへの問いかけ
心のガソリンを意識的に補給することが、つらいときにあなたを支え、生きる力を取り戻すきっかけになります。
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私たちは、北海道の自殺者を10年間かけて年間500人未満まで減らすプロジェクトを実施しています。もし北海道にお住まいで、この活動に関心を持ってくださった方は、ぜひ私たちと一緒に歩んでいただければ嬉しいです。
https://spbymd.jimdofree.com
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動画制作:自殺予防団体-SPbyMD- 事業統括部門
講演講師:自殺予防団体-SPbyMD- 会長 内田貴之氏
以上
自殺予防団体-SPbyMD- 事業統括部門
posted by 内田 at 02:42
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