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2013年08月23日

脳死心移:寿命が短いのは「不幸」か?

例えば札幌市ではピンクリボン運動がある。
起源はどっかの女性が乳がんのため若くして
亡くなった悲劇を繰り返されぬように云々らしい。

「若くして亡くなる」のは悲劇か?
寿命が短いのは悲劇か?そうじゃないよね( ̄Д ̄)ノ

寿命までにどれだけの学びを得ることができるか、
寿命までにどれだけ深い愛を与え続けることができるか、
これが大切。

寿命が短かくても、学びが多ければその死は幸福なのだ。
仮に100年生きても学びが少なく、
愛を与えてこなかった者は不幸なのだ。

同じ価値観で、脳死心移には賛同し兼ねる。

ドナーが生後間も無くても、その短い寿命までの間に
家族はどれだけの深い愛を赤ちゃんに注ぐことができるか。
赤ちゃんは家族からの温かい愛をいっぱい受けとって寿命を全うしてゆく。
この赤ちゃんは幸福である。

24時間TVでよく、
海外で脳死心移手術を受けるために幾億円が必要!募金を!と、
赤ちゃんの両親が涙浮かべて奔走する姿が映るよね。
ああいうのに対して冷ややかな目でいつも見ている。
赤ちゃんの命を救うとか言っても、結局は延命だ。
寿命を受け入れようとしない態度には賛同し兼ねる。

脳死心移というのは、
レシピエント側の家族は脳死者の登場と順番の到来を喜ぶけど、
対してドナー側はどうだろうね。
脳死になってくれたことを喜ばれ感謝されるのだろうか。

脳死者の臓器が新鮮なうちに運ばれて解体される。
そもそも脳死は「死」ではない。生きてる。
生きたまま解体される生き地獄。幸福なわけない。

一人でも多くの人が、
命について霊的価値観を以て考えられるようになるために、
スピリチュアルを用いた学習の機会を作っていきたいと思う。
これは自殺予防に直結する取り組みだと捉えている。
価値観によって不幸は幸福に変わっていくことを、啓発していきたい。


2013.08.23(金)18:30
※2014.05.08(木)23:52 一部修正
posted by 内田 at 18:30| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム
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