自殺予防団体‐SPbyMD‐の尾垣洋輔です。今日は、Twitterのタイムラインで目に留まった、とあるツイートをきっかけに「労働」と「メンタルヘルス」と「自殺予防」について、私なりの考えを書いてみたいと思います。
私の目に飛び込んできたのは、次の内容のツイートでした。
「障害者にも生きる権利がある←言ってることは正しいけど現実問題彼らは稼ぐ能力がないから大多数は生活保護になる。そんな非生産的な彼らを見て日々労働に苦しんでいる健常者はどう思うだろうか」
https://x.com/arugen202/status/2012164137674285459?s=20
このツイートを読んだとき、内容全体について語りたいことはいくつもありましたが、私が特に着目したのは後半のこの部分です。「日々労働に苦しんでいる健常者」この一文に、私はとても強い引っかかりを覚えました。
私は、この表現には、ツイートされた方ご自身の状況や感情が色濃く反映されているのではないか?と感じました。恐らくその方は、企業などでフルタイムで働きながら、
・毎日の労働がとにかく苦しい
・それでも生活のために働き続けている
一方で、働けない(または働いていない)障害者が生活保護を受給しているという現実を見て「自分はこんなに苦しい思いで働いているのに…」という、比較と不公平感のようなものを抱いているのではないかと推測しています。「羨ましい」「ずるい」と言いたい気持ちも、どこかに含まれているかもしれません。
しかし、自殺予防に携わる者として、この感情の背景には、かなり危ういメンタルヘルス上のサイン が潜んでいるように見えました。「好きな仕事で苦労する人」は、同じ感情にはなりにくいものです。もちろん、仕事というものは、どんな職種であれ大変な部分があります。忙しさや責任の重さでヘトヘトになることもあるでしょう。
しかしもし、自分のやりたい分野の仕事に就き「大変だけど、この仕事が好きだ」「やりがいがある」と感じている状態であれば、たとえ毎日の仕事量が多くて疲れていても、生活保護を受けている障害者に対して「羨ましい」と感じることは、あまり多くないのではないでしょうか。
そもそも生活保護の暮らしは、決して「楽・自由・贅沢な生活」ではありません。経済的な制限や、社会的な偏見、精神的な不安など、別の意味で大変さを抱えています。
それでも「非生産的な彼ら」といった表現になってしまうのは、それだけ今の仕事や生活がつらく、余裕を失っている状態のあらわれではないか?私はそう感じました。このままでは「自殺予備軍」となってしまう危うさもあります。これは決してオーバーなことを言っているのではありません。
このツイートにあるような心境にある方々の中には、将来的に「自殺予備軍」と呼ばれる状態に近づいてしまう人も出てくるのではないか、と懸念しています。
・過重労働
・低賃金
・将来への不安
・認められない感覚
・報われない感覚
こうした要因が重なっていくと、心はじわじわと疲弊していきます。やがて、「睡眠障害」「不安障害」「うつ病」などの精神疾患といった形でメンタルヘルスを崩し、最終的には「働けない心身」になってしまう流れは、決して珍しいものではありません。そうなったときには、かつて生活保護受給者を「非生産的」と見下していた人が、今度は自分自身が支援を必要とする立場になるということも十分あり得ます。
このツイートのコメント欄を眺めてみると、「そんなに苦しいなら、仕事を辞めたほうがいい」という意見も少なからずありました。私も自殺予防に携わる者として、一定の正しさがある意見だと感じます。
もちろん、現実には簡単に辞められない事情もあるでしょう。家族の生活、ローン、キャリアの問題…。それでもなお「いのちより大切な仕事はない」という視点に立てば、心と体が壊れてしまう前に、一度立ち止まることはとても重要です。「仕事=お金」だけで捉えると、人生は苦しくなるのです。
仕事というものを、単に「お金を稼ぐための手段」としか捉えられなくなってしまうと、人は次第に「苦しさ」だけを感じるようになっていきます。私は、すべての仕事は本来「世のため人のため」に通じていくものであると考えています。古い言葉を借りれば「公益世務(=公益に資する務め)」です。自分が行う仕事が、誰かの生活や笑顔や安全に、どんな形で還元されているのか。そのイメージを持てているかどうかで、仕事に対する感覚は大きく変わります。
もちろん、どんな仕事でもきれいごとだけではありません。理想と現実のギャップもあります。それでも「これは誰かの役に立っている」「この働きが社会を支えている」という感覚が持てれば、同じ苦労でも「使命感」として受け止めることができます。その一方で、「俺はこんなに苦しんで働いているのに、あいつら(=生活保護を受けている障害者)は…」という方向へ行ってしまうと、苦しさしか残らなくなります。
ところで「自殺予防は、自分には関係ない」と思っていませんか?私は、2013年に自殺予防団体-SPbyMD-を立ち上げる数年前から自殺予防に携わっていますが、こうした話をすると「俺は健常者だし自殺予防なんて関係ねぇんだよ!」といった少々乱暴な声が聞こえてきました。私は、断言しておきたいのです。
自殺予防に無関係な人間は一人もいません。
「メンタルヘルス」とは、単に病名がつく・つかないの話ではありません。心の健康状態は、誰にとっても日々揺れ動くものです。
・毎日がしんどい
・仕事に行くのが辛い
・将来に希望が持てない
・誰にも本音を話せない
こうした状態が長く続くことは、それだけで自殺リスクを高める要因になります。今回のようなツイートをしたくなるような労働環境に身を置いている時点で、「自分のメンタルヘルスに真剣に向き合うタイミングが来ている」 と、どうか気づいてほしいのです。
私としては、このツイートをした方、そして同じような感情を抱えている多くの勤労者の方々に、こうお伝えしたいです。「週末だけでもいいので、ご自身のメンタルヘルスに意識を向けてみてください!」と。今の仕事は、自分の心と体にどんな影響を与えているのか。なぜ、あのツイートのような言葉を吐きたくなるほど、つらいのか。本当はどう生きていきたいのか。忙しい日常の中で、普段は見ないふりをしている気持ちに、そっと光を当ててみてほしいのです。
「障害者にも生きる権利がある」という言葉は、確かにその通りです。しかし同時に、「日々労働に苦しんでいる健常者」にも、同じように生きる権利があり、心のケアを受ける権利があります。
自殺予防とは、特別な誰かのための活動ではありません。日々、労働や生活に追われている 「あなた自身」 のためのものでもあります。
今回のツイートに触れて感じた違和感や危機感を、誰かを責める材料ではなく「社会全体のメンタルヘルスを見直すきっかけ」として受け止めていただけたら幸いです。そして、こうしたテーマに向き合うことそのものが、もしかすると私に与えられている一つの試練なのかもしれない。そんなことを思いながら、この記事を締めくくりたいと思います。
ご精読ありがとうございました。
以上
自殺予防団体-SPbyMD-
栄誉創立者 尾垣洋輔
2026年01月17日
「生きる権利」と「働く苦しさ」をめぐって
posted by 内田 at 18:02
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