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2025年04月21日

「関携者(かんけいしゃ)」という言葉を造語した想い

おはようございます。自殺予防団体-SPbyMD-の内田貴之です。Twitterのプロフィール欄に誰でも分かりやすいよう「自殺対策従事歴約15年間」と掲載していたり、一般向けの記事や書籍においても僕は「自殺対策従事者」と名乗ることがよくあるのですが、実はその都度悩むのです…。「自殺対策従事者」というと職業として自殺対策に関わっている者のようなニュアンスを感じています。僕は職業ではなくあくまでも団体活動として自殺対策に関わり続けている者なので、僕が「自殺対策従事者」と名乗って良いんだろうかと…。

「活動者」「実践者」「関係者」「参画者」類義語は多々存在しますが、僕にとってどれも、しっくりきません。それぞれの言葉のニュアンス的に「う〜ん…微妙」と感じてしまうからという理由だと思います。こういう疑問と悩みを10年ほど前にも持ったことがあります。当時の私は「関わり携わっている者」という意味で「関携者(読み方:かんけいしゃ)」という造語を創ったことがあります。本日は「関携者(かんけいしゃ)」という造語について、想いをエピソードを振り返るテイストで記事にしたいと思います。

―職業ではなく、関わり携わるという生き方―

約10年前、僕はふとした疑問にぶつかっていました。

自殺対策という言葉はあっても、それに「関わっている&携わっている人」をどう呼ぶべきか、どう自分を名乗るべきか。「関わっている」だけでは「受動的」ですし「携わっている」だけでは「主体的」だけで、どちらも包含するニュアンスを持つ言葉が欲しかった。

職業として携わっているわけではない。けれども傍観者でもない。僕は、自殺対策に携わる当事者として、あるいは1人の市民として、真剣に、継続的に、命と向き合いながら活動してきました。

そのとき「自殺対策従事者」と自称するには、どこか違和感がありました。「従事者」という言葉には、「職業的・専門的」なイメージがつきまとう。僕の立ち位置は、それとは少し違う。もっと市民的で、もっと関係的だけど、もっと自発的なものだったのです。

そうして、僕はある言葉を創りました。

関携者(かんけいしゃ)
―「関わり、携わる者」という意味を込めた造語です。

この言葉には、立場を超えた繋がりへの願いを込めています。職業であってもなくても、制度の中にいても外にいても、命に関わり、命に携わる者としての存在の在り方。それを名乗るための言葉がほしかった。

関携者は、命に「無関心ではいられない」人たちのための言葉でもあります。専門性があるかどうかよりも、関わり方が深いかどうか。支援するorされるの二項対立を超えて、同じ時代を共に生き、手を携えていく存在として。

もし、この言葉が誰かの心に届いたなら、もし「私も関携者かもしれない」と思ってもらえたなら、それは何よりの喜びです。命に関わることは、とても静か、でもとても大きなこと。この言葉が、その静けさの中に灯るひとつの明かりになれたら、と思っています。そしてこの造語「関携者」が広まってくれたら、対外的に文面で使用しても「何それ?辞書にない言葉ですよ?」などと疑問視されることがなくなります。そういう社会になってくれたらと更に嬉しいなと思います。

以上
自殺予防団体-SPbyMD-
会長 内田貴之
posted by 内田 at 06:57 | TrackBack(0) | コラム
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