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2013年11月20日

不惜身命と焼身自殺

産経ニュース:チベット族僧侶らの焼身自殺「大切な命を投げ出し不条理を問いかける尊く素晴らしい行為だ」ダライ・ラマ


僕(SPbyMD)はダライ・ラマのこの発言と、僧侶たちの焼身自殺について、正しい行為ではないと思います。その理由を長くなりますが口語文で書き綴ります。



確かに「自分の最も大切な命を他人のために捧げる」心は正しいし、仏様の心に適っていると思う。しかし、自殺をしてしまってはどうにもならないだろう。

彼らチベット族の僧侶たちが自殺する目的は「中国共産党による弾圧への嘆き叫びを世界中の人々に伝えること」。僧侶が自殺をするたびにマスメディアが報道する。あらゆるメディアが間接的に彼らチベット族の嘆きを世界に広める。

"自殺することでメッセージを伝えようとする"行為は正義ではない。自分の尊命を他人のために捧げる行為は、決して「自殺」という形で成されるものではない。生きていく中で、捧げ続けなければならないことではないか?

人間は一人ひとり「使命」を持ち、これを果たすためにあらゆる環境を選択して地上に転生する。もちろん僧侶たちも、チベット族の民たちも。偶然その地域に、その民族に生まれてくるわけではない。誰もがそうだ。

では、僧侶たち。何のために転生したのか。果たすべき使命は何か。自殺して弾圧され続けるチベット族の悲劇を知らしめるためではないだろう。

生きていてこそ果たせる使命がある。生きていてこそ捧げることができる尊命がある。生きていてこそ救える命がある。生きていてこそ仏様の手伝いができる。何しろ仏様に帰依している僧侶は、自らの使命は仏様の使命である。仏様の手となり足となり、一人でも多くの地上で迷える子供達(=人間)を正しい道へ導くこと。これが使命ではないのだろうか。

チベット族の毎日のような焼身自殺はとても悲しい。それを素晴らしい行為だと推奨するかのような発言も悲しい。自殺していった僧侶たちの命は尊い。しかし、最後まで生き続けて、僧侶としての使命を果たしてほしい。

本当に「自分の最も大切な命を他人のために捧げる」人間として最後まで生き続け、この地上で生きているからこそできるこそ、果たせる使命に人生を捧げてほしい。そう思います。


★備考
・何回か加筆修正はしているものの、話が前後していたり、纏まり切らずにいたりしています。
・今後気づきや考えの誤りがあった際は、書き直していきます。
・2013年11月20日(水)00:16の僕の考え(SPbyMDの見解)としてここに保存します。
posted by 内田 at 00:19| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム
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