• もっと見る

2013年11月03日

人の死は不幸ではなく、むしろ喜びであり祝福されるものだ

最近アンパンマンの作者が亡くなったように、人が亡くなると悲しみを感じると思う。しかし「不幸」ではない。他界とは、この世での修行期間を終えて故郷に還ること。それは喜びであり祝福すべきこと。苦難や困難にまみれた世界で平均80年前後の修行を遂げたのだから。

なんて言うと「自殺や他殺の遺族も喜べというのか!」と声が聞こえてきそうだ。死ぬ権利を人間は持たない話を先日したように、人間は神仏によって生かされている立場であり、これに逆らう殺人行為は許されない。殺された人も殺した人も幸福であるはずがない。不幸でしかない。

とは言え、殺人など長い長い人生の中で誰もが一度は経験する行為。殺す気持ちと殺される気持ち、死後の後悔や反省など、人間は繰り返し学びながら魂を磨いていく。殺人は許される行為ではないけれど、あまり怨むのはよくない。殺されたとて学びの一つだと捉えて、憎まず怨まず呪わず生きよう。

まあ、簡単に出来たら良いけれどそうもいかないのが人間というもの。人を憎む怨むなんて日常茶飯事。仏様の心を目指して魂修行を繰り返しても、2・3回の転生で境地まで辿り着けはしない。焦らずへこたれず、一生懸命やっていけばいい。どうしてもつらい時には神仏から与えられている参考書を読もう。

スピリチュアルの本や、宗教の本、自己啓発の本などが参考書だけど、怪しいのも多いから気をつけるようにね。江原啓之「苦難の乗り越え方」が無難におすすめできる人生の参考書。SPbyMDも人生の参考書に成り得る存在になりたいものだ。

宗教やスピリチュアルに"すがる"のは良くない、と言われるけれどそうだろうか?どうしてもつらいとき、苦しいとき、苦難を乗り越えるのに手助けが欲しいとき。自分の親である神仏にアドバイスを求める行動は良いこと。人生に悩むときは、解決方法や実例が書かれた人生の参考書を求めよう。

宗教やスピリチュアルといった人生の参考書は、「この世は苦難で溢れているが、だからこそ魂が様々な経験を積み、魂を磨く修行ができる」といった霊的知識を学ぶことができる。生と死についてもね。そうして「死は修行を終えて故郷に還ることなんだ」と気づける。今後の生き方を見つめ直す機会になる。

…というように、僕たちは日々苦難の中で魂を磨いていって、タイトルの「人の死は不幸ではなく、むしろ喜びであり祝福されるものだ」を実感して、もし身内が亡くなったときにも、心から祝福できるような素敵な人間になりたいものだね。いつしか自身もこの世での修行を終えたとき、祝福されて見送られたいね。

2013.11.3(日) 23:55
Twitterのまとめ
タグ: 幸福 不幸
posted by 内田 at 23:45| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム
この記事へのコメント
コメントを書く
トラックバックの受付は終了しました

この記事へのトラックバック