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Cat’s index ネコ指数 [2015年02月23日(Mon)]
昨日2月22日は、ニャンニャンニャンの猫の日でした。

先週は、国立ハンセン病療養所ご勤務の医師、看護師ご一行17名と、多数ではありませんが、まだ、新患発生があるフィリッピンに参りました。セブ、クリオン、マニラでの関連施設見学と同国の患者、回復者を含む関係者との意見交換に加え、WHO/WPRO(西太平洋地域事務所)でも勉強させて頂きました。こちらは、きちんとした報告書作成に委ねますが、ここでは、少し、気がかりな仔ネコちゃんのお話を。

ハンセン病の歴史では、世界的に有名なクリオン島への拠点は、近年、ダイビングスポットとして売り出しているコロン島です。そのホテルのことでした。

朝、一匹の仔ネコがよろよろとロビーを横切りました。そして、小さな岩を組んで作られた池の周りの石垣を登ろうとしました。ネコオタクの私は、世界中、何処でもネコ写真は撮らせて頂きますが、引っかかれたり、噛み付かれたりして感染することもあろうかと、実際にネコを触ることは控えています。
しかし、その仔ネコの、あまりのひたむきさに、そぉっと抱き上げ、池の縁に置きました。仔ネコは、しきりとにおいを嗅ぎつつ、噴出している水の傍に近づきました。が、掌に乗るほど小さい身体の上、骨ばかりにやせた、その仔ネコには、激しく流れる水は危険だと感知したのでしょうか、伸びたり下がったりしたものの、ついに諦めたのか、わずかに湿っている石を舐め始めました。
そうなの、あなたは水が欲しいの?と、私はつぶやいて、同行スタッフからペットボトルをもらい、石のくぼみに水を注ぎました。

仔ネコは、小さな、小さな、そして貧血気味の舌を懸命に動かして水を舐めました。間もなく、疲れたように目を閉じました。私は、仔ネコを池の縁から地面に下ろし、手持ちのクッキーを水で湿らし、その口許に置きました。一、二度、舐めただけで、もはや、それを食べる元気もないようでした。

昔、国際保健専従時、cat’s index(ネコ指数)などと申したことを思い出しました。
成猫はいるが、目つき険しく、ガリガリ。仔ネコはいないような国や地域での、人の5歳未満時死亡率(U5MR)は200/1000出生以上、成猫はやせてはいるが、お腹が垂れ、何度もみごもったらしいメス猫がいるところのそれは100程度など、私なりのネコ指数と実際の科学的数字を比べたことがありました。激しい紛争が遷延しているところでは、ネコはいない・・・など。

あの仔ネコは、恐らく、あの日の内に生を終えだろうと思うと胸が痛みます。が、最後に、気力を振り絞って、水を求めた逞しさ、わずかな水を舐めた後、諦観したように目を閉じた姿。
自然の中で生きるということを教えてくれた、あの小さな命も、また、限りなく尊いものでした。

さて、日本のネコの日は、「日本の猫の日実行委員会」が制定されたものですが、ロシアンブルーのロシアは3月1日、アメリカンショ−ト−ヘア−のアメリカは10月29日、そして国際的には8月8日がInternational Cat Day (World Cat Day)、猫好きには、猫の日が沢山あって、幸せです。

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水を求めてさまよう仔ネコ


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一心に水を飲む


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うずくまって動かなくなってしまった
野球老年 久保瑛二氏 [2015年02月12日(Thu)]
過日の宮城学院女子大学訪問の後、足を延ばして、登米市にある国立ハンセン病療養所のひとつ、東北新生園を再訪させて頂きました。仙台から車で1時間半ほど、週末・・休みを承知で押しかけたのは、雪の療養所を見学させて頂きたいとの想いからでしたが、運悪く・・・いえ、運よく、天候に恵まれ、旧知の鎌田さゆり氏の運転もなめらかに、まったく雪の無い行程でした。

自治会支部長久保瑛二氏は、今年82歳と仰せですが、お見かけもさることながら、気持ちがとてもとても、お若いのです。
それもそのはず、そうです、かつて巨人の「川上」に熱を上げられた野球少年のまンまなのです。と、申しても、赤バットの川上を知っている世代は、ボチボチ後期高齢者・・・同行の若いスタッフとの間には、当然世代ギャップ!!

支部長室の壁にかかっている「少年野球」関連の感謝状から、新生園主催の少年野球のお話をうかがいました。そのお口振りの熱いこと!

今年平成27(2015)年には、第13回になる東北新生園と同園入所者自治会(楓会)主催の少年少女野球東北新生園大会は、かつての野球少年久保支部長の夢から生まれたものです。

昨年の訪問時にもうかがったことですが、園の中を抜ける2本の市道は地域住民の日常通路であったこともあって、近隣に開かれた園、そして人々との交流は途絶えなかったようです。そして、園と園自治会主催の野球大会や、かつて在園された副園長のご厚意による花火大会も、沢山の来園者が続いているそうです。

過日のグローバルアピールは、ハンセン病に対する偏見を排除するための催しであり、世界的には、またまだ、改善されるべき事態は根深いのですが、ここでは、野球少年のお気持ちそのままに、身体的にはいささかお歳を召したものの、気持ちは、かつてと何もかわっていない、久保支部長の発案による療養所から外部に向けての貢献が地域の中に花開いていると実感しました。

後期高齢者に達した私世代が集まりますと、アッチが痛い、コッチが具合悪い・・とあまり花のある会話はないのですが、素敵なスーツ姿で、熱く野球を語って下さる久保支部長のお蔭で、ちょっと背筋がまっすぐになりました。今年の野球大会には、是非参加したいと思いました。

現在すでに80名のなった在園者の方々の恙無い生活と、野球少年久保支部長の、さらなるご活躍を祈って、わずかに雪の残る園と別れました。
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わずかに雪の残る新生園


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野球老年久保支部長との記念撮影


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少年少女野球東北新生園大会のパンフレット

宮城学院の国際社会 [2015年02月09日(Mon)]
1月の最終日曜日「世界ハンセン病の日」を期して、日本財団主催の第10回グローバルアピールは大成功でした。

私どもでは、それに並行したイベントを承り、広く呼びかけましたところ、ありがたいことに、全国各地、津々浦々、大学、高校から地域サークルや自治体、さらに各種団体さまから個人ドノまで、本当にさまざまな企画をお寄せ頂き、年度末まであちこちで、色々な催しを支援させて頂いています。

その一環で、福音主義キリスト教の精神に基づく宮城県仙台市の宮城学院女子大学にまいりました。
大学の理念に、神を畏れ敬い、自由かつ謙虚に真理を探究し、隣人愛に立ってすべての人の人格を尊重し、人類の福祉と世界の平和に貢献する女性を育成する、とありますが、チャペルの壮大なステンドグラスには圧倒されました。少し雪が残るキャンパスには、煉瓦作りの瀟洒な建物が広がり、映画のシーンのような素敵な学生さんがにこやかに会釈して下さいます。緊張がほぐれました。

さて、この大学でのイベントです。
学生の自主活動のためのリエゾン・アクション・センター(MG-LAC)の​主催の本イベントの学生責任者で、ことにハンセンにご関心が高く、かの有名なフィリッピンのクリオン島まで遠征済みの4年生の​作間温子さんの企画です。ひとつは、日本財団専属のフォトグラファーで、同財団笹川会長の各地各国訪問に同行しつつ、意義深く、しかし美しい作品を撮られている富永夏子氏の作品展です。他は、「人類が抱える差別という病-ハンセン病の今を知り、私たちができることを考えてみませんか」と題された講演会で、不肖私が国際での経験を踏まえ、お話させて頂きました。
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富永夏子氏の作品展


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講演会場となった教室


が、ここでは、その報告ではなく、その後に参加した二つの催しについての感想です。
まずは、高校2、3年生のプレゼンテーションの評価会です。校長先生によると、初めての試みだそうですが、対象テーマがすべからく国際的、たった4分と云う短い持ち時間ながら、多様なテーマについて、工夫をこらしたご発表を楽しませて頂きました。ちょっともったいないばかり、半日位時間をかけて、意見交換がなされれば、もっと盛り上がるかと思いましたが、相当やかましくなるかな?

次は、高校1、2年の4名と面談です。私となら、60年程も齢が異なる、まるで異文化世代の若き「お嬢たち」の話題は、これまた、海外で困っている人々への関与の在り方という、感動するばかりの国際性。私は、長らく、いわゆる「国際」と呼ばれる分野に身を置いてきましたが、次の次の、そのまた次の世代でしょうが、日本の若者にとっては、世界はうんと、うんと小さくなっていると実感しました。

東北と云えば、間もなくあの災害から4年目。この学生生徒さんたちは、多分、その日のための催しをすでに仕込んでおられるような気がしますが、東北地方からみて外部も内部なく、また、日本から見て、外国も国内もなく、意見は色々、服装も肌の色も色々あっても、話し合えある場と協力できる余地のある本当の国際化社会が来てほしいとつくづく思いました。
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生徒さんとの記念撮影
旅立ち [2015年02月02日(Mon)]
とても、とても重く、しかしとても、とても充実した一週間が過ぎました。

1月27日には、初の日本開催となったハンセン病の差別・偏見に対する啓発活動「グローバル・アピール」(宣言文)が開催されました。今年のカウンターパートは世界の看護師!! 国際看護師協会会長、日本看護協会会長、そしてハンセンにかかわりのある内外の多数看護師が一堂に会しました。

そして29日には、8ヵ月にわたる「日本財団在宅看護センター」起業家育成事業の研修生の旅立ちの日でした。

北海道から九州にいたる、各地から、さまざまな経験と背景をもつ17名の看護師が、新しい地域包括医療制度の中で、重要な役割を担うであろう「在宅看護センター」の管理者を目指して集まったのは昨年6月でした。そして山あり谷あり、雨の日、嵐の日もあった8ヵ月を切磋琢磨して、この日を迎えました。

日本財団笹川陽平会長は、ひとりずつに親しく修了証書を手渡された後、ユーモアいっぱいの式辞を述べられました。和服姿もまじる一同は、先々週の開業計画発表時とは打って変わって寛いだ雰囲気ながら、顧客にも、スタッフにも、そして何より自分自身の仕事に責任を持ち、孤独にも立ち向かわねばならないリーダーとしての心得を説かれた会長のお言葉を真摯にうかがった様子でした。

そして、厚生労働省、日本看護協会、訪問看護財団からのご祝辞、祝電ご披露後には、研修生代表のお礼の言葉がありました。

「・・・講義を締めくくる最後の3日間、多磨全生園ハンセン病記念館見学、日本財団笹川陽平会長と笹川記念保健協力財団紀伊國献三会長、そして日本看護協会坂本すが会長のお話しが続き、21世紀を生きる看護師として、この研修が如何に時宜を得たもので、私たちにとっては必然であったことが、改めて、身に染みました。」

「私たちは、今、自分たちが生きる社会の仕組み、世界の動きの中での看護を考えるようになっています。そしていつの時代にも、その変化とニーズに合わせて、自らも常に変化し続けねばならない事、変化することで看護の真髄がまもられること、その意味では、安定はない事を痛感しました。」
「この東京での出会いは、私たちにとってどれほどの糧になったか。素晴らしい出会いの数々に想いを馳せると、この日本財団ビルで過ごした時間は、また、人生にとっても必然の1ページであったことに疑いの余地はありません。超高齢社会に突入しつある日本において、2025年問題の解決は最重要事項です。私たちは、この8ヵ月の学びによって強化した看護力を発揮し、地域にしぶとく定着し、そして発展します。史上最早の高齢社会を迎える日本において、世界のモデルケースになる『看護師が社会を変える』取り組みを、誠実に確実に行います。」と力強く宣言してくれました。 新たに旅立った17名の同志のご発展とご健勝を、切に願います。