工藤正夫さん来園 [2017年05月08日(Mon)]
工藤正夫さん来園(平成29年5月6日)
(予定にないですが、今日は以下のことを書かせてください。) ◎電話にて ・さる4月の下旬ごろ電話が鳴りだしたのが、工藤さんからであった。年長にもかかわらず、気安く呼べるような理由は、「工藤さんの当時の印象」があったからです。昭和35〜36年までの1年半、陽清学園に勤務していたということで、「村上清(創立者)のお墓参りをさせてください」ということであった。その連絡を受けて、とっさに脳裏をよぎったのが「ハーモニカ演奏の工藤さん」として記憶にあったからだ。何回かその演奏を聴いている想いがあったが、その昔「私が高校生になっていたかどうか」の頃らしい。「記憶にあった人かどうか」はともかくとして、確認の意味もあり、「歓迎します」と返答させていただいた。 ◎5月6日(土)鷹巣駅着13:11分(下り弘前行き) ・当時の鷹巣町からは様変わりしており、平成の合併後「北秋田市」となり、人口もぐんぐん減少、今は33,000人台となっています。駅で降りる人は、学生以外は何人もいなく、この日も同じで、すぐ「工藤さん!」と分かった。改札口通過と同時に「工藤さんですか?」「工藤です。私もすぐ分かった。お父さんにそっくりだねぇ」→雨が降っていたので、急いで駅前の駐車している車に乗った。 ◎お墓の前で ・工藤さん(現在76歳、東京都赤羽在住)は、予め「お花」を準備されていたので、こちらは「小さなローソクとお線香」を用意させてもらい、雨も少し上がったので、急いで「般若心経」を唱え、当時の工藤さんの思い出を聞きます。→学園からその後のこと、「感恩講児童保育院(秋田市・養護施設)」「秋田県千秋学園」「国立武蔵野学園で資格取得」、以来、和歌山県などの現在の児童自立支援施設に勤め、埼玉県浦和市所在の県庁へ、退職。→いろいろな方々の影響、指導を受けて「本格的なアーティストの道へ」と。 ・「村上清先生の影響を受けて非行少年へのかかわりの道」を選ばせてもらったこと。今までの生涯で一度は影響を受けた人の「その後はどうなっているのか、訪ねてみたい」という想いから、秋田市での「叔父の法要出席」を縁として実現したものという。大変に光栄と思っている。 ◎県北報公会を一巡 ・車の中の話から→「陽清学園がどうなっているかが見たい」はずであったが、帰りにした(法人全体のパンフレットをもらったほうが理解しやすいと思ったから)。確認したこととして、「ハーモニカ演奏者は工藤さんのお父上であったこと。町中に所在した福祉事務所勤務で頻繁に施設を訪れていたこと」などが分かり、更に驚いたことには、お父上が竹生寮(社会福祉法人秋田育明会)の初代理事長就任との事。色々な先輩諸氏の活動の影響を受けて今日がある、ということに気がつく必要あり、です。県北報公会の障害者施設、「吉野保護者会(障害者関係の保護者会)」の運営は、この竹生寮保護者会をモデルとして改めて結成されたものであり、不思議なご縁に気づかされたものです。 ・見学の道順→社会福祉法人県北報公会正面→左手の加工所・床屋さん→事務所前→吉野更生園→吉野ホーム→ボーイ・ガールスカウト会館→収益事業・吉野工場→扇形の山を含めた敷地をぐるり→山道終わったところで、右手に山下鹿野苑→左手にグループホーム→続いて横にパン工場→右折して麺・豆腐工場→比内養護学校・鷹巣分校→続いて吉野農場(農事組合法人:障害者で編成)→右手に陽清学園→食堂棟→大野岱吉野学園・児童棟、成人棟→治療棟→これで敷地を一巡事務所前に戻る。面積4万坪。通称→「吉野郷(よしののさと)」と呼んでいる。 →http://www.yoshinosato.or.jp/yosino.html ・社会福祉法人全体図のパンフレットを施設職員からいただき分かりやすくしたつもりでしたが、どうでしたでしょうか。初めてなので複雑かもしれません。 ◎次に自立援助ホームで(南鷹巣保育園隣り) →http://iahyousei.wp.xdomain.jp/ ・創立35周年記念誌から→釜田さん(元陽清学園長、退職後ここで勤務)が、この35年記念誌と、なつかしい法人広報誌「あかしや」の復刻版(1号から100号までまとめたもの)を用意してくれた。工藤さんの原稿が「35年記念誌」に掲載されており、一生懸命に読んでいたのが分かった。原稿依頼の記憶がよみがえったのかもしれない。そのうちの担当の当時の子ども「高橋徹郎さん」を覚えており、即座に釜田さんが携帯電話で呼び出し、工藤さんと通話をさせてくれた。かなり懐かしかったに違いない。今は秋田市で自動車会社の販売課長を最後に退職し、第2の職場に嬉々として働いているようだ。私までもうれしくなり、今年の9月か10月に開催されるOB会「陽清会」が楽しみである。 ここでの話題も新たな事実がわかったものだ・・(ハーモニカ演奏のお父上が69歳で他界など)。 ・長くお邪魔しましたが、釜田さんのおかげで、「訪問者・工藤さん」が当時の施設に共通な話題が見つかってきたようで「ほっと!」しました。事務所の壁掛けは、歴代の理事長写真やら、陽清学園は3度新天地を求めて引っ越しをしていますが、工藤さんの当時の(2度目の中央公園時代)施設の写真等が掲示されており、古い訪問客には、共通話題となり、とても感謝です。 ・帰りまでの時間範囲は2時間半と、最初から決められていたので、15:57分の電車に間に合うようにお邪魔をしました。工藤さんも「来てよかった」という言葉を言われていたので、そのまま素直に受け取ることにします。 懐かしい人との出会いは、心がうきうきするものです。出会ったその場で、オーラというか相性というか、波長が合うようですね。過去を思い返すことは、癒しに通じることを身をもって体験しました。 ◎ 工藤正夫さん!! いつかまた会えないこともないと思います。 ・人生70を超えると、まさに「一歩一歩」が「生きる」ということのようです。 ・自分のやりたいようにやる→工藤さんからそのように学び受けました。2時間半位ばかしの短い時間のふれあいでしたが、遅ればせながら、私もやりたいようにやる、という意味をさらに考えてみます。退職後の工藤さんの活動を拝見し、まるでボランティア活動、アーティストを通して社会に貢献している活動歴は素晴らしいものです。その活動は今でも若くわかく伝わってきます。 ・福祉活動一筋でしょうね。良い勉強をさせていただきました。ありがとうございます。 ただ、残念なことは、訪問のスナップがないことです。デジカメを忘れてしまったこと、平にご容赦を願います。しかし、とても印象に残る時間となったようです。 ◆工藤正夫のギャラリー↓↓(インターネットにあったので掲載) http://taisyoukai-bijuturenmei.com/kaiingyarari/kudoumasao.html ◆工藤正夫自選画集(素晴らしい贈り物) ◆その中の「奥入瀬」画 ◆画家になってからの経歴 <近藤久子さんへの返信です> 工藤正夫さんに対するコメントをありがとうございます。 コメント欄の操作手続きが分からずにこのようにしました。あしからずよろしく。 工藤正夫さんには、わざわざ鷹巣にまで足を延ばしてもらい、恐縮するとともに、その出会いに喜んだものです。確か「叔父の法要で」と言っていましたが、これで納得しました。 工藤久子さんも秋田では、兄の正夫さんにお会いしているのですね。 話は変わりますが、工藤久子さんと同窓生であることは分かっていますが、私のイメージでは、中学校の時だと思いますが、メガネをしておかっぱ姿で、ポッチャリのイメージがあります(失礼かな?)。70歳も過ぎると心に思いつくままを、臆面もなく、堂々と言ってしまいます。私たちの中学でのクラスは7クラスもあったことを思い出します。 保育士であったことも今はじめてわかりました。北秋田市の保育園にも来ているのですね。 我々の年代(同窓生)は、横のつながりで、出来るだけ北秋田市では集まるようにしています。 まして、外部からの同窓生の訪問は、即座に情報が流れるようになっているのですが・・・・。 いつかそのうちに会えるかもしれません。楽しみに待ちましょう。 コメントに対する返答でした。今後もよろしく。 |