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番屋プロジェクト5月7日 [2011年05月07日(Sat)]

7日6時50分現場集合。7時打ち合わせ。7時過ぎから作業開始。


みんなが1つになって頑張った。3時のタイムリミットぴったりに完成した。

番屋には旗や大漁旗、浮きなどが飾られた。こんなに多くの人の力や思いによってできた番屋はなんて幸せな建築なんだろうと思った。


地域の皆が集まって餅まきが行われた。お酒を飲みながら、会って間もないとは思えないほど、楽しいひと時だった。




今後の仮設住宅や学生にも設計をしてほしいなどこの先につながる話もした。

志津川の人たちは何が何でも自分たちで復興してやるというパワーがある。こんな悲惨な状況なのにすごいと思った。逆にこっちがパワーをもらった。

夏もまた志津川で何かをつくる予定だ。失礼な言い方かもしれないが、とても楽しみな気持ちである。志津川の人が大好きだ。志津川の人たちと一緒に少しでも早く復興が出来るように頑張りたい。がんばるぞーーーーーーーーーー!!!!



文責:あしい
Posted by 加子母木匠塾 at 00:00 | 番屋プロジェクト | この記事のURL | コメント(0)
番屋プロジェクト5月6日 [2011年05月06日(Fri)]

6日宮城大のオリエンテーションがあるため作業はお休み。

私たち滋賀県立大学チームは志津川から北上して、歌津、松気仙沼、陸前高田などを視察する事にした。


志津川の鉄骨の構造だけが残っている防災庁舎を見た。(写真の建物)
ここでは、町の人に津波避難をずっと呼びかけ続け、亡くなった女性がいると聞いた。
また、上についている電波塔にしがみついて生き残った人もいるという。


高台に登って志津川のまちを見たが、こんな広い面積で、こんなに高い場所までくるような高さの体積の水がどうしたら現れるのか、信じられないというか理解ができないと感じた。
もう何がなんだか分からなかった。




歌津の低地部分は、基礎と多少の土台のみが残るだけの風景。
その中でも唯一木造で全壊は免れた建物があった。(写真の建物)
金物を梁と柱につなぐという特殊な工法で地元の工務店さんが作ったそうだ。




気仙沼は油と海水が混ざり合い、地面はぐちゃぐちゃしていて建物も津波で破壊され、志津川よりももっと絶望的に見えた。この場所は本当に復興できるだろうか。途方も無い瓦礫と土地の汚染を修復することが正しいのか分からなくなった。もうここはこのままにしてしまったほうがいいのではないかと本気で考えた。それほど酷い状況だった。





陸前高田はぬかるんだ土地とがれきの風景がどこまでも続いていた。
また、海岸沿いでは地盤沈下がおこっていてアスファルトの道路のすぐ横には海面があった。



写真やテレビで見ている時は、そんな事実もあるのだろうと理解できたが、
実際現場に来たら、理解ができない風景だった。
強い無力感を感じた。


文責:あしい
Posted by 加子母木匠塾 at 21:30 | 番屋プロジェクト | この記事のURL | コメント(0)
番屋プロジェクト5月5日 [2011年05月05日(Thu)]

 5日朝5時半ホテル発。
 番屋はこの日に完成予定だったが、残念ながら終わらなかった。
 インパクトとドリルが不足していて思うように作業が進まなかったことや、報道の方々もたくさん来ていて、竹内先生や宮城大の人などがインタビューで作業を抜けたりしたのが原因だろう。
 

 夜は漁協の人たちとバーベキューをした。私達は逆に尽くされている気がしてとても申し訳なかった。学生にも設計してほしいとの声もあり、いきなり竹内先生から仮設住宅の課題が出され、焼肉を急いで食べながら1時間半で設計案を出した。

 実際に仮設住宅の設計プロジェクトに学生が参加できるのかはまだ分からないが、もしそうであれば、是非参加したいと思う。


文責:あしい
Posted by 加子母木匠塾 at 05:30 | 番屋プロジェクト | この記事のURL | コメント(0)
番屋プロジェクト5月4日 [2011年05月04日(Wed)]

 4日8時半作業開始。番屋制作班と瓦礫撤去班に分かれる。私は瓦礫撤去班だった。
 
 宮城大の工藤君のお父さんが経営していたカキの養殖工場。

 釘が刺さった木材や引きちぎられた断熱材、壊れたパソコン。全ての生活品ががれきと化していた。

 泥は海岸の細かい砂なので水分を含んでとても重く、腕がパンパンになり、カキやホタテなどの腐敗臭もひどく、気持ち悪くなり、粉塵が舞っていたので目が痛くなった。
 でもみんな作業を黙々と続けた。


 番屋制作班も黙々と作業を行い、屋根までできあがった。




 16時頃、漁協の方々の計らいでバスにて鳴子温泉に。おいしいご飯と温泉。工藤父「しんどかったと思って帰って欲しくない。志津川で楽しい思い出を作って欲しい。」絶対自分たちのほうがしんどいはずなのに。この人たちは本当に被災者なのか?と思わずにはいられなかった。
 まずは志津川から復興していくという、希望に満ちあふれた、未来の話ばかりだった。誰もが前向きで明るかった。

 きっと志津川は復興できると思った。そして私もできる限り力になりたいと思った。



文責:あしい
Posted by 加子母木匠塾 at 08:30 | 番屋プロジェクト | この記事のURL | コメント(0)
番屋プロジェクト5月3日 [2011年05月03日(Tue)]

 5月3日7時学校集合。7時半出発。山根先生、私、上西、梅谷、櫻井、中村の6人。VOXYには工具や食品、寝袋などが積み込まれぎゅうぎゅうだった。
 
 19時ごろ石巻のジャスコにて水やパンなどを買う。看板の電灯がほぼ無いこと以外は品揃えも豊富で通常と変わらなかった。水もたくさんあった。被災地のほうが物資がそろっているのかも知れない。
 
 22時頃南三陸町志津川の宿泊するコンテナ(写真)に到着。


 休憩と寝る準備をしながら、宮城大学の竹内先生と話をする。「提案なんてだれでもできる」「肩書きとかじゃなく自分がいろいろ決めていこうとすればいい」「妄想。現場に来て考えていない。」など大切な事を聞かされた。

 この後の5日間で、聞かされた事の意味や「現場」の大切さがよく分かった。


文責:あしい
Posted by 加子母木匠塾 at 07:00 | 番屋プロジェクト | この記事のURL | コメント(0)
番屋プロジェクト [2011年05月03日(Tue)]

私たち木興プロジェクトは、5月3日から8日の期間「番屋プロジェクト」に参加してきました。


番屋プロジェクトとは、津波被災地である宮城県本吉郡南三陸町志津川で行われた産業復

興プロジェクトです。漁業の町である志津川において、「生活の復興と、産業の復興は同時。

仮設住宅だけでなく、仮設産業施設も必要」との考えから、その第一歩として番屋を建設す

ることになりました。番屋とは漁師達が休憩、寝泊りする産業の最前線拠点となる場所です。

このプロジェクトは宮城大学の竹内研究室を中心として、宮城大学、滋賀県立大学、東京理

科大学、横浜国立大学などの学生、志津川の大工、漁師達その他多くの方々の協力によっ

て建設されました。

番屋建設のための木材は、私たち木興プロジェクト(かしも木匠塾)が例年お世話になってい

る、岐阜県加子母村の中島工務店により提供されました。


今回参加してきたことで、現地の方々の溢れんばかりの元気と心意気に触れ、応援しにいっ

たはずの私たちが、逆に勇気付けられました。志津川の皆さんほんとにありがとうございました。

今後番屋は、志津川の方々の手によって様々な用途に使われ、活動拠点になっていくことで

しょう。本当にすばらしいプロジェクトでした。





今後、この番屋のプロジェクトは、他地域でも行われていく予定です。現在そのために必要な

義援金を募っております。お心添えのほどよろしくお願いいたします。


具体的な現地での作業内容は 番屋プロジェクト5月3日、4日・・・・に書いています。
Posted by 加子母木匠塾 at 00:00 | 番屋プロジェクト | この記事のURL | コメント(0)