• もっと見る
« しぶたねメルマガ | Main | おすすめほんだな»
カテゴリアーカイブ
最新記事
リンク集

↓人気のおもちゃたち



おはなし迷路絵ハガキ
うまく迷路をたどるとお話が完成。
間違った道を行くと笑っちゃうオチ。
ポスターもありますが(URL)、
はがきサイズお手軽です。




伸縮ボール
伸び縮みボール。不思議おもしろ。




スティッキー
子どもも大人もあそべます。




ラッシュアワー
車脱出パズル。頭使います。




ニコケーキゲーム
つみあげたりオセロにしたり…




アイスクリームタワー
サーティーワンに行きたくなります(笑)




おにぎりトランプ
あそびにくいです(笑)。でもウケます。




壁をぺたんぺたんと落ちていきます
人気者!




水でお絵かきできるシート
他にもいろんな種類が




カラフルまがレール
プラレールの線路。曲がるし可愛い!




バルーンスライム
ひみつにしておきたいおもしろさ!










もう一人の主役(42) [2014年08月28日(Thu)]

京大病院小児科に「楽しい時間」をプレゼントしていらっしゃるボランティアグループ
にこにこトマトさんのニュースレターに04年10月からへなちょこなコラムを書かせていただいています。コラムのタイトルは「もう一人の主役」。代表の神田さんがつけてくださいました(わーい)。



昨年しぶたねは無事10周年を迎えることができました(ありがとうございます!)。記念誌をまとめる作業を通して10年間を振り返り、次の新たな一歩を踏み出す先を考えているところです。

踏み出したいことの1つに、きょうだいを病気で亡くしたお子さんへのサポートがあります。「しぶたね」を立ち上げた時からずっときょうだいさんの悲しみに寄り添いたい気持ちがありました。それは自分自身が弟を亡くした経験から思ってきたことで、だけど、その経験があったから、なかなか踏み出せなかったことでもありました。弟を亡くした悲しみと付き合いながら、進んだり戻ったり…進んだように見えて戻っていたり、戻ったように見えて進んでいたり…15年かけてやっと、今、このたくさんの仲間と一緒ならできることがあるのではと思えるところまできました。

最後に背中を押したのは、ある患者会がお子さんを病気で亡くした親御さんを対象に集めたアンケートの結果でした。「病気の子を亡くして、きょうだいを愛せなくなった」と答えた親御さんが何人もおられたのです。この親御さんたちは、どんなつらい思いでここに丸をつけたのだろう、このお家のきょうだいさんは今どうしているのだろう、と、胸が苦しくなりました。

私が弟を亡くした時、周りの大人の人は、「あなたがしっかりしてお母さんを守ってね」「泣いてないで、弟の分もしっかり頑張らないとだめよ」と口々に私を励まし、私は泣くことも許されないのだと感じました。母の方が、父の方がつらいのだから、自分がしっかりしなくてはいけないと、心の蓋をぎゅっと閉じて、そうしたことで、自分の悲しみと向き合うことが遅れ、よけいにこじれてしまったように思います。私に限らず、きょうだいには「お母さんとお父さんが心配だから」と、自分の悲しさや苦しさを後回しにして、「お母さんが泣かないようにしなくては」「亡くなったきょうだいの分も頑張らなくては」と、不安定な土台の上で頑張らざるをえない状況になる子がたくさんいるように感じています。そんなきょうだいたちに、あなたは何も悪くないよ、泣いても笑ってもいいんだよ、話したい時には亡くなったきょうだいのこと話していいんだよ、と伝えられるもの、伝えられる場をつくっていきたいと思っています。

10周年のイベントを開いた時に、初めて子どもたちの前で「しぶたね」をつくった話をしました。子どもたちにもわかりやすいようにと紙芝居をつくったのですが、この話をする時に弟の話は避けられず…。私の弟が死んでいるということを子どもたちがどう感じるかなと最初は不安でしたが、描いてみたら自然に絵と言葉が浮かびました。「私には、天国に弟がいます。すぐに会うことはできないけれど、心がつながっているからだいじょうぶ。」。小さなきょうだいさんたちがいつか「だいじょうぶ」って思えるように、心の中の亡くなったきょうだいと一緒にキラキラと輝いていられるように、ゆっくり時間をかけて、そっと隣にいさせてもらえるようになるといいなと思います。
Posted by だいひょ at 10:26 | もう1人の主役(コラム) | この記事のURL
もう一人の主役(41) [2013年11月07日(Thu)]

京大病院小児科に「楽しい時間」をプレゼントしていらっしゃるボランティアグループ
にこにこトマトさんのニュースレターに04年10月からへなちょこなコラムを書かせていただいています。コラムのタイトルは「もう一人の主役」。代表の神田さんがつけてくださいました(わーい)。



弟と私(21)


大学に入った私はやっと触れられた福祉の世界が新鮮で、嬉しくて、わくわくしていました。先輩に誘われて、身体障害のある方の介助ボランティアにも参加するようになり、お家にお邪魔して夕食をつくったり、食事介助をしたり、車椅子を押して一緒に外出する活動にのめりこんでいきました。

弟に合わせた生活しかしてこなかった私は社会経験が驚くほど乏しく、人の集まるようなところにはほとんど行ったことがないし、電車もわからないし、ファーストフードのお店では注文の仕方からよくわからない…ぐらいのレベルで、最初の喫茶店での食事介助ではコーヒーのシロップもホットケーキのシロップも全部使い切ろうとして障害者の方を慌てさせたりもしました(家だと使う分しか出てこないのでわからなかったのです…)。

こんな調子なので、障害者の方の方が気を使って、いろんな場所に連れて行ってくれました。人の役に立ってみたいと思って始めたボランティアでしたが、車椅子を押しながら、電車に乗りながら、ごはんを食べながら…本当にたくさん笑い、人と関わることの楽しさ、すばらしさを教えてもらいました。

車椅子を押して外出すると、いろんな人に出会いました。嫌な思いをすることよりも、人の優しさ、あたたかさに出会うことの方がはるかに多く、「誰も弟や私達家族を助けてくれる人はいないんだ」と不信感でいっぱいだった私は目からうろこが何枚も落ちました。障害をもちながら、地域で暮らしていけるのだということも、将来弟の面倒をみるよう言われ、自分でもその選択肢しかないと思ってきた私の価値観を大きく揺るがせることでした。


楽しく充実した学生生活を送る一方で、1回生の私は本当によく眠りました。行き帰りの電車を何度も乗り過ごし、帰ったらまず3時間ほど眠らないと夕飯を食べる気力もなく、朝起きるだけで1日のエネルギーを使いきっているような…。
今振り返ると、いったん燃え尽きていたのだと思います。弟の病気がわかった中学時代から高校、大学受験まで、自分は病気ではないのだから誰にも迷惑をかけてはいけない、弟の分も頑張らなければいけない、と、プレッシャーと先の見えない不安と闘っていたことで、なんだか頭も体もへとへとでした。原因のわからない微熱が続き、たくさん眠り…なんと1年で4cm近く身長が伸びました。
Posted by だいひょ at 12:53 | もう1人の主役(コラム) | この記事のURL
もう一人の主役(40) [2013年11月07日(Thu)]

京大病院小児科に「楽しい時間」をプレゼントしていらっしゃるボランティアグループ
にこにこトマトさんのニュースレターに04年10月からへなちょこなコラムを書かせていただいています。コラムのタイトルは「もう一人の主役」。代表の神田さんがつけてくださいました(わーい)。



「優しさ」を混ぜる


6月は弟の命日がある月です。今年で天使15歳になる弟ですが、残っている私たちは何年経ってもこの季節になると心がざわざわして、当時のことを思い出します。

弟が亡くなった日、私は大学の実習で社会福祉協議会にいました。実習先に母から連絡が入り、通院の途中で弟が心停止で倒れ、救急車で運ばれたことを聞きました。実習先の人たちはすぐに搬送先の病院の最寄り駅を調べてくださり、「大丈夫?」「気をつけて行きや」と優しく送り出してくれました。「落ち着かなければ」「早く母のそばに行ってあげなければ」と頭はしっかりしているつもりなのに、少し走ると足がもつれ、ばたんとこけて、手に持っていた傘が転がりました。動揺していました。数時間前には弟と笑顔で言葉を交わしたのです。あまりに突然のことでした。

弟はモノレールに乗りかけたところで倒れたそうです。救急車を呼び、持っていた酸素マスクをつけようとした母が、焦って使い方がわからず慌てていたところに、見知らぬ女性が駆け寄って、説明を読みながら手伝ってくれて、救急隊員の方が到着するまで弟の手を握っていてくれたそうです。
弟の意識が戻ることはなく、そのまま天使になってしまいましたが、繰り返し思い出すつらくて苦しい1日に、たくさんの人の優しさの記憶が混ざっていることが何度も私を救いました。

病気の子どものきょうだいに寄り添いたいと願って続けている活動ですが、重い病気の子のきょうだいが抱えるもの、背負うものの大きさを思うと、足がすくむことがしばしばあります。自分のきょうだいが大きな病気でしんどいのを見ること、きょうだいが死んじゃったらどうしようと不安に思う気持ち、きょうだいを亡くす悲しさ…小さな体で優しく強く生きているきょうだいたちに、私たちができることってあるんだろうかと…。でもきっと私がしようとしているのは、このつらさの中に、1つでもたくさんの「優しさ」の記憶を混ぜることなんだろうなと最近思うようになりました。私がもらってきた優しさを今度は他の人に渡せるように。みんなが持っている優しさが子どもたちに上手く届くように。
Posted by だいひょ at 12:48 | もう1人の主役(コラム) | この記事のURL
もう一人の主役(39) [2013年04月30日(Tue)]

京大病院小児科に「楽しい時間」をプレゼントしていらっしゃるボランティアグループ
にこにこトマトさんのニュースレターに04年10月からへなちょこなコラムを書かせていただいています。コラムのタイトルは「もう一人の主役」。代表の神田さんがつけてくださいました(わーい)。



弟と私(20)


弟の側にいられるよう、1年浪人して家から通える大学を受け直すことになりました。家族から応援されることもなく、家族以外の人からは受け直しの選択に反対され、ひとりで頑張るしかないのだと決めた1年間、とにかくこの1回しかチャンスがないことに必死でした。

予備校の自習室にこもって勉強して帰りが遅くなると、同じ駅が最寄りの友人には、ご両親が犬の散歩がてら駅までお迎えに来ているのに、私は居づらい家に、こそっと帰る、そういう違いを感じる1年でした。母と弟は弟の体調を整えるために早めに就寝するようにしていたので、私が母や弟と話をする時間はなくなっていきました。母は母で、自分が娘の進学の邪魔をしたという罪悪感がきっとあって、私のすること、決めることにはまったく口出ししなくなっていました。ここが自分の家なんだという気持ちがだんだん薄れていきました。下宿させてもらっているような…。

希望していた大学には無事に合格できました。福祉の勉強をする、福祉の仕事をする、同じ道を志す仲間にたくさん会える、弟の病気のこともきっと自然に話せて、みんなわかってくれて、差別するような人ももういないんだと、私の中の期待が膨らんでいました。

大学の入学式で友達になった同じ学部の子と自分のきょうだいの話になり、さっそく弟の話をしました。弟が倒れて救急車で運ばれるのを見送った時すごく怖かったから、今でも救急車の音を聞くと胸がドキドキしてしまって…と話す私の話を友人は遮り、「そうなんや。私にはまったくわからん感覚やね。それでさあ、」と、話を終わらせました。「あれ、期待していた感じと違う…」と思ったものの、わからないと答えることは誠意かもしれないと、違和感を飲みこみました。

それから数週間後、友人に誘われて学園祭委員に入り、作業をしている時に、近くで別の作業をしていた男の子に「どうして福祉学部を選んだん?」と聞かれた時も、私は何も迷わず、弟が心臓病で、こういう経験をしたから、病院のワーカーさんになりたいんだと話しました。彼は神妙に話を聞いて「そうか、頑張りや!」と励ましてくれて、私はホッとしました。  

1人の作業に戻ると、福祉学部の先輩が来て「私の弟も障害があるし、福祉学部に来てる人にはそんな人たくさんおるんやで」と話してくれました。「あっ、先輩も同じなんだ。病気の子のきょうだいの人にも会えるのかな?」と嬉しくなった私に、続けて「だから自分だけが特別と思わない方がいい」と先輩は言いました。先輩の中にもいろんな気持ちがあったこと、私を心配しての忠告だったこと、今はよくわかります。しかし当時の私は、志望動機を聞かれて答えただけなのに、人の気を引くために弟を利用したと思われた、ということが恐れとして心に刻み込まれ、期待はぺしゃんこになりました。まだまだ青く、自分の中のきょうだいとしてのしんどさにも気づいていなかった私は、何もわかっていませんでした。
Posted by だいひょ at 12:55 | もう1人の主役(コラム) | この記事のURL
もう一人の主役(38) [2013年02月01日(Fri)]

京大病院小児科に「楽しい時間」をプレゼントしていらっしゃるボランティアグループ
にこにこトマトさんのニュースレターに04年10月からへなちょこなコラムを書かせていただいています。
コラムのタイトルは「もう一人の主役」。神田さんがつけてくださいました(わーい)。



先日、自治会の係の仕事で「赤ちゃん会」のお手伝いをさせていただくことがありました。赤ちゃんとお母さんが公民館に次々にやってきて、身長や体重を計測し、保健師さんがお母さんの相談にのったり、お母さん同士でお話している間、赤ちゃんたちが転がってあそんでいるのを眺められるという幸せなお手伝いなのです。

1人、5歳ぐらいのお兄ちゃんが赤ちゃんとお母さんと一緒に来ていました。大きな子どもは自分だけで、なんとなく居心地が悪くて、周りの人はみんな赤ちゃんのことばっかりで…。「ああ、きみの気持ち、ちょっとわかるかもよ」とついつい気になって、お兄ちゃんのところに行って牛乳パックのびっくり箱で一緒にあそびました。
牛乳パックをたくさんたくさん重ねて、押さえて、手を離すと噴水のように飛び跳ねます。お兄ちゃんの顔がぱっと明るくなり、私も嬉しくなりました。「お母さん、見て見て!」と誇らしげに見せると、「わ、すごいね」と驚いてくれたあと、お母さんは「今日は赤ちゃんの日なのに、あんたが楽しんじゃってるのね」と付け加えました。お母さんにとっては、遠慮や申し訳なく思う気持ちからの言葉だったと思いますが、お兄ちゃんの「楽しい」の気持ちはしゅっとしぼんだように見えました。帰り際、お兄ちゃんに「一緒にあそんでくれて楽しかった!ありがとう」と声をかけるとニカっと笑って、何度も振り返り手を振ってくれました。

病院に連れて来られるきょうだいさんや、きょうだいの療育について行って待っているきょうだいさんがたくさんいます。私が会ったお兄ちゃんが、居心地の悪い場所に連れて来られ、主役じゃない体験をするのはきっと少しの間のことですが、きょうだいたちはこれがもっともっと長い間続いたりします。
子どもたちは「歓迎されてない」空気をよくわかっています。大人になって「あの時の、自分は邪魔なんだと感じる気持ちがつらかった」と話してくれるきょうだいに何度も会ってきました。子どもにそんなふうに感じさせるのは悲しいことです。

私たちが病院できょうだいさんたちとあそんで待っている活動は、外から見たら「親御さんが安心して面会できるように、きょうだいを預かっている」ように見えるのだと思います。でもその内側は少し違っていて、ボランティアさんたちは、きょうだいのために集まってくれた人ばかりで、「寂しい気持ちや不安な気持ちでいるきょうだいに寄り添いたい」気持ちでいっぱいです。「ここにいていいんだよ」「いつも頑張ってるの知ってるよ」「あなたとあそぶのとっても楽しい!」言葉にしなくても、「歓迎されている」空気が伝わるといいなと思っています。

きょうだいのためのボランティア活動がなくても、「歓迎されている」空気を伝えることはできます。例えば子ども用の椅子、もっと小さな子が座って待てるマット。例えば挨拶すること、にっこりほほえみかけること…。きょうだいたちがどこにいても、誰かに見守られ、大切に思われ、安心していられるように、それが当たり前になるように、願っています。
Posted by だいひょ at 12:19 | もう1人の主役(コラム) | この記事のURL
もう一人の主役(37) [2012年11月14日(Wed)]

京大病院小児科に「楽しい時間」をプレゼントしていらっしゃるボランティアグループ
にこにこトマトさんのニュースレターに04年10月からへなちょこなコラムを書かせていただいています。
コラムのタイトルは「もう一人の主役」。神田さんがつけてくださいました(わーい)。




弟と私(19)


弟のそばにいるために私は家から通える学校を受験し直すことになり、予備校に通う毎日が始まりました。行きたかった大学をあきらめなければならなかった私と、あきらめさせなければならなかった母と、なんとなく自分のせいかなと感じている弟と…あんまり一緒にいると、私の心の中の、悲しい気持ちや悔しい気持ちを閉じ込めた箱のふたが何かのきっかけで開いてしまいそうで、私はできるだけ家にいなくてすむよう、春休みから予備校の自習室に1日中こもるようにしていました。 

自宅に東京の受験校から合格を告げる電話がかかってきた時も、私は予備校の自習室にいました。家でその電話をとり、断り、冷静でいることが自分にできるとはどうしても思えませんでした。もちろん、母にこの電話をとらせて、断らせることの残酷さもよくわかっていたので、自習室で1日中、自分を責めていました。帰る前に家に電話をし、合格だったことを知りました。電話を切ったら緊張の糸も切れて、私はその場で座りこみ、泣きました。家では泣けないから、泣くのはこれで最後だからと心の中で繰り返し言い訳していました。

予備校生活は想像していたよりずっと明るくて、いろんな場所から、いろんな境遇の人が集まっていました。それぞれの生活や人生があり、それぞれの苦労があり、夢があり…私の狭い狭い世界はまた少しひろがりました。良い経験だったと思います。

予備校に通わせてもらいながらも、私は自分がすすむべき道を迷っていました。最初に行った予備校の事務の人の「弟が病気だからって福祉に向いてるわけじゃない。甘い気持ちで選ばない方がいい。」のお説教や、父の「大学に行きたいっていうお前のエリート志向なところが気に入らない。」の言葉は心に刺さったまま、自分の選んだ道を進もうとするとちくちくと痛むような気がしました。

迷いを抱えたまま夏が来て、オープンキャンパスの季節になりました。とりあえずこの1年間しか私には猶予がなく、新たな夢をみつける時間もなく、でもこの道を進むのは気が重い…そんな気持ちで行った大学で聞いた、社会福祉学部の先生のお話が、私にとっての光になりました。福祉にはソフトハートとハードヘッドが必要だというお話。優しい気持ちと、考える頭、両方備えられるよう学びたい、とにかくこの先生のお話をもっと聞きたい、と、私はまたすばらしい人と出会って、再び頑張る気力を得たのでした。
Posted by だいひょ at 09:31 | もう1人の主役(コラム) | この記事のURL
もう1人の主役(36) [2012年04月06日(Fri)]

京大病院小児科に「楽しい時間」をプレゼントしていらっしゃるボランティアグループ
にこにこトマトさんのニュースレターに04年10月からへなちょこなコラムを書かせていただいています。
コラムのタイトルは「もう一人の主役」。神田さんがつけてくださいました(わーい)。




「言わなくてもいいよね?」


 春が近づいてきました。最近何件か同じ質問をいただき、考えていることがあります。質問は、「4月から、きょうだいが障害のある子(病気の子)と同じ学校に行くことになるのだけど、『障害のあるきょうだいのことを友達に言わなくてもいいよね?』と聞くのです。どうしたらよいでしょうか。」というものです。たいていの親御さんはきょうだいさんにこう言われると、とても傷つき悲しい気持ちになるでしょう。同じ学校に行くきょうだいを守ってほしいと思っているのに…とがっかりするかもしれません。

子どもの世界は、家と学校でほとんどすべてです。学校で身の安全が脅かされないことは本当に重要なことなのです。「友達と同じでいたい」「目立ちたくない」という気持ちは子どもなら持っていて当然の気持ちで、それは守ってあげたいと思っています。

それとは少し違い、「うまく説明できないからいやだ(ちゃんと説明できるなら言ってわかってほしいと思っている)」とか、「お父さんお母さん(あるいは先生)から説明してほしい」とか、何かクリアできることがある場合は、それを一緒に探し、考えてあげたいと思います。
きょうだいは自分だけでなく他の人からの疑問に答えなければいけない状況におかれることが何度も出てきます。意地悪なことを言われたり、偏見に満ちたことを言われた時に、自信をもって「それは違う」と答えられることは、きょうだい自身の心を守ることにつながります。病気のことを説明できなかったり、うまく言い返せない自分はだめな子だと自信をなくしてしまうきょうだいも多いのです。練習なしに病気の説明を上手にできる子どもはなかなかいません。

それから、「きょうだいのことを知られたくないと感じる自分でもいい?」という質問にも思える時があります。きょうだいの病気や障害を前向きに受け入れ、友達に何を言われても堂々と言い返せる、そういう自分でいるべきだと思っている子どもは、自分の気持ちを押し殺して頑張り過ぎてしまうことがあります。頑張りきれなくなって「そんな自分でも受け入れてくれる?」という不安でいっぱいな気持ちでいるのかもしれません。

友達に言いたくない、知られたくない、という気持ちと、病気や障害のあるきょうだいを大切に思う気持ちは同時に存在します。言いたくないから、大切じゃないというわけではないのです。この両方の気持ちを持ち続けるのは大人でもしんどいことです。

「きょうだいのことわざわざ言わなくてもいいよね?」と聞かれたら「もちろん、いいよ」がいちばん最初に返してあげたい言葉だなあと思うのです。言わなくてもだいじょうぶ、まずはその「安心」の土台ができることで、きょうだいは自分の気持ちをゆっくり整理することができるようになっていくのではと感じています。
Posted by だいひょ at 08:32 | もう1人の主役(コラム) | この記事のURL
もう1人の主役(35) [2012年01月31日(Tue)]

京大病院小児科に「楽しい時間」をプレゼントしていらっしゃるボランティアグループ
にこにこトマトさんのニュースレターに04年10月からへなちょこなコラムを書かせていただいています。
コラムのタイトルは「もう一人の主役」。神田さんがつけてくださいました(わーい)。




「きょうだいさんのための本」


新しい年が始まりました。しぶたねの2011年は、念願だったきょうだいさん向けの冊子を作成することができ、よい年になりました。

年2回のイベント「きょうだいの日」では、きょうだいさんが主役になって思いきりあそび、大事にされます。「あなたは大切な子ども」「あなたのこと大好き」という親御さんや私達の想いを子どもたちは上手に受け取り、本当に可愛い笑顔で返してくれます。
例えば頭をなでること、手をつなぐこと、ぎゅっと抱きしめること、大好きだとちゃんと言葉で伝えること…ささやかに見えることが、きょうだいさんにとってすごく大きな意味をもつことを子どもたちの笑顔から教わりました。
そんな小さくて大切なことを詰め込んだものをつくりたい、きょうだいさんが寂しい時、ひとりきりだと思う時、たくさんの人から注がれている愛情を確認できるものを渡してあげたいと思い、小さな冊子が完成しました。

冊子は、きょうだいさんへのメッセージと、親御さんや周りの大人の方と一緒に書き込むページ(例えば、きょうだいさんが生まれた時どう思ったか書いてもらったり、お互いに好きなところを書き込みあったり、クーポンをつくったり…)からできています。ふだんは伝えにくい気持ちを伝え合うきっかけになればと願っています。

 20年ほど前、きょうだい児だった私は、自分は必要のない存在なんだという気持ちが強く、自分がこの家にいてよいのか、両親の人生にいてよいのか、よくわかりませんでした。そんな時、母が書いた育児日記をよく読み返していました。私が生まれた日と、あと3日分しかない日記なのですが、父も、産まれた私の似顔絵と「おにぎりみたい」というメモを書き添えてくれていたりして、「だいじょうぶ、両親は私のことを好きなはず」と最後の自信をなくさずに済みました。

 冊子は、幼稚園から小学校低学年ぐらいの年齢のきょうだいさんを想定してつくってあります。でも、完成した冊子を手にとってくれた高校生や大学生のきょうだいさんは「これ今もらっても嬉しいと思う」と言ってくれました。自分は愛されていること、大切な存在なんだということ、言ってもらえてないまま大きくなったきょうだいさんもたくさんいます。

逆に、冊子を手に取った親御さんが「ああ、これうちの子もう大きいから使えないわ〜」と言ってくださることがあります。年齢をたずねると10歳ぐらいだったりして、ああ、一度試すだけ試してほしいなと思ったりします。

「大好き」と言われて傷つく子どもはきっといないと思うのです。驚いたり、照れたり、うざがったり(笑)はするかもしれませんが、きょうだいさんがひとつも傷つかず、嬉しくなったり自信をもったりできるかもしれないことがあるなら、試してほしいのです。その時届かなかったように見える言葉が10年後に届いたりもします。
Posted by だいひょ at 11:46 | もう1人の主役(コラム) | この記事のURL
もう1人の主役(34) [2011年11月14日(Mon)]

京大病院小児科に「楽しい時間」をプレゼントしていらっしゃるボランティアグループ
にこにこトマトさんのニュースレターに04年10月からへなちょこなコラムを書かせていただいています。
コラムのタイトルは「もう一人の主役」。神田さんがつけてくださいました(わーい)。




弟と私(18)


4月からの東京での大学生活について、母に一緒に考えてもらうタイミングをはかっていた私でしたが、いよいよ余裕がなくなってきました。
それとなく話をしても母は上の空で、寮の申し込み期限はとっくに過ぎていました。

意を決して母に「4月からの大学のことなんだけど…」と切り出すと、母の第一声は「ああ、それね。本当に行くつもりなの?」でした。私の中で何かが崩れ落ちたように感じました。母は矢継ぎ早に続けました。「あなたが成績が悪くて大阪の公立大学は難しいかもって言ってたから、どこか他に安く行ける大学をと思って薦めたんだけど、お母さんこの間あなたに風邪をうつされて寝込んだ時に自信なくしちゃって、私が寝込んでいる時に淳(弟)に何かあったら対応できないでしょ?4年は長いし。あなたも本気で寮とか探してるわけでもないみたいだし。補欠合格だったからややこしくなったんだし。だいたい風邪なんかうつすから…」母の口は止まりません。私も本当はわかっていたのです。私は東京の大学には行けない。私の口は「行くわけないやん。どこか安い予備校探そうと思ってるんだよね。」と勝手に動き、母の話を遮りました。これ以上話を続けるのは、母も私もかわいそうだと思いました。

全部自分が悪いのだと思いました。良い成績を取れなかった自分、風邪をひいてしまった自分、東京に行けると思ってしまった自分、母の迷いに気づかないふりをしていた自分、本気で大学に行く準備をしなかった自分…。

母が私を東京に行かせてあげたいと思った気持ちに嘘がなかったこともわかっていました。どうすることもできませんでした。もっと駄々をこねたら行けるのかもしれないとは思いましたが、自分の気持ちを優先して部活を続けた時の苦しい罪悪感を思い出すと、あきらめる方がずっと楽なことを知っていました。


父は私の決定に怒りました。多分私をあきらめさせたくなかったのでしょう。でも「受験代もこれから1年の予備校代もドブに捨てるようなもの。わがまま聞いて交通費も受験料も払ってやったのに。そもそも大学に行こうとするお前のエリート志向なところが気に食わない。」段々エスカレートする父の言葉はひとつひとつ私の心に深く刺さり、父と母との仲も険悪になり、私の心は自分を責める気持ちで真っ黒になりました。

友人や塾の先生も私の選択を否定しました。自分でもわけのわからない選択をしていることはわかっていたので(受かったのに行かないなら受けなければよいわけで…)、話せば話すほど後悔が押し寄せ、情けなくなりました。みんなの優しさはよくわかりました。でも、病気の弟が家にいない人には理解してもらえないと思いました。その時の私はもう、遠くの大学に行ったら必ず弟が死んでしまうという間違った不安に支配されてしまっていました。


反対を押し切って自分で浪人する選択をしたからには、もう誰も頼ることはできないのだと思いました。楽しみにしていた卒業旅行はキャンセルしました。何が何でもあと1年で合格しなければ、今度こそ心が折れてしまいそうでした。私は慌てて安く通える予備校を探しました。最初に行った予備校では対応してくれた人に「どうして福祉系に進むの?」と聞かれ、病気の弟のことや、医療ソーシャルワーカーになりたいことを話すと「弟が病気だからって福祉に向いてるわけじゃない。甘い気持ちで選ばない方がいい。」となぜか説教され、いきなり暗い気持ちになりました。駅のベンチに座ったら涙があふれ、悲しいと思う感情が自分からなくなってしまえばいいのにと願いました。
Posted by だいひょ at 09:45 | もう1人の主役(コラム) | この記事のURL
もう1人の主役(33) [2011年07月12日(Tue)]

京大病院小児科に「楽しい時間」をプレゼントしていらっしゃるボランティアグループ
にこにこトマトさんのニュースレターに04年10月からへなちょこなコラムを書かせていただいています。
コラムのタイトルは「もう一人の主役」。神田さんがつけてくださいました(わーい)。




弟と私(17)



卒業式が近づいていました。高校3年のクラスはみんな仲が良かったので、別れを惜しみ、残り少ない高校生活を楽しむ空気で盛り上がっていました。クラスで文集を作ったり、○○な人ランキングを作ったり、卒業式後の打ち上げや、卒業旅行の計画を立てたり…。

卒業式の日、母は風邪をひいて寝込んでいました。卒業と言っても、私の4月からの生活は相変わらずはっきりしないままで、母は風邪で、おめでたい雰囲気はまったくありませんでしたが、それでも私にとって友達と一緒に卒業を迎えられたことは嬉しいことでした。

卒業式から帰ってきて打ち上げのために制服を着替えていると、母が「今日お父さんが帰り遅くなるらしくって。お母さんまだ調子悪くて淳(弟)が心配だから、行かないでくれないかな?」と言いに来ました。「卒業したって会いたい人とはいつでも会えるじゃない。他の人とはまたいつか同窓会で会えばいいじゃない。人生長いんだから。」と。

「お母さん、それは違うよ。今日は私にとって大切な日なんだよ。」と思いましたが、口に出すことはできませんでした。母にとってはなんでもない日でも、私にとっては人生で一度きりの高校生活最後の日。友達と過ごす最後の日。だけど、弟の命と比べたら、どうでもよい日でした。友達に打ち上げに行けなくなったことを伝える電話をしたら涙がこぼれました。でもどうすることもできませんでした。


夜になって、予定より早く父が帰ってきました。飲み会の席で娘の卒業式の話になり、打ち上げに行けなかった事情を知った同僚の人が「それはだめ。娘さんにとっては大事なイベントなんだから行かせてあげなくちゃ。」と父を送り出してくれたということでした。「大事な日だと思っていいんだ。」その人の言葉が私の背中を押し、私は家を飛び出しました。

当時はまだ携帯電話もなく、みんながいるお店の最寄り駅と店名しかわからない状態で、たどり着ける気はしませんでした。それでも私は走らずにはいられませんでした。初めて降りた駅の暗い夜道を走りながら、私は何をやっているのだろうとだんだん情けなくなりました。

数時間前は友達とたくさん写真を撮り「また夜にね〜」と笑顔で手を振っていたのに、今どうしてこんなところを必死で走っているのだろうと、どうしようもなく悲しい気持ちになり、心が折れそうになった頃、聞きなれた友達の声が漏れ出ているお店を発見しました。もうお開き直前でしたが、たどり着けたのでした。

小さな小さなお店で、駅から近いわけでもなく、どうしてたどり着けたのか、今思っても不思議です。執念だったのでしょうか(笑)。みんなに「あっ、来た!」「来れてよかった!」と、わいわいと迎えてもらって、一緒に写真を撮って、ちゃんとお別れを言い合って…15分ほどでしたが、本当に来られて良かったと思いました。


もしたどり着けていなかったら、高校の卒業式を思い出すたびに悲しい気持ちになるところでした。顔も知らない父の職場の人の優しさが、私の「高校生らしい1日」を守ってくれたことに、今でも本当に感謝しています。思えば、つらい時、悲しい時、いつも誰かの優しさが私を救ってくれていました。
Posted by だいひょ at 09:00 | もう1人の主役(コラム) | この記事のURL