「役割を考える」[2024年11月01日(Fri)]
仕事に悩んだ時には、誰かに相談する。そうできるのは、すでにわりと苦しんだ後ですが、自身を振り返ってみると、いつも初動はそうだったと思います。たとえば、エステやバー、思わぬ場所で心の傷みを漏らしたりもします。当たり障りのない愚痴をぽろりと。そして、家族や友人もまた、いつでも味方であり、良き方向へと促してくれる大切な支えでした。 打ち明ける相手は、会社とは外側の人たち、いつも頼りにするのは「仕事と関係のない人たち」が多かった気がします。
JCはどうでしょうか。JCの存在とは。支援先の方々から見て、関係者であり部外者である。職場にくる他人。気持ちの中で、そんな解釈ではどうでしょう。かつて仕事に悩んだ私自身が頼りにした外側の人たち。その人たちが自分の近く(職場)にやってくる。そんなイメージでしょうか。 対象者や企業担当者にとって、JCのこのあいまいな位置が、相談すべく他人との程よい距離感だと思うのです。はっきりとしているのは、味方であること。
JCは、障がいのある方、その方と共に働く方々、悩める皆さんのもとに駆けつけます。どちら寄りでもなく、どちらにも添う。その真ん中に立つ、皆のハッピーの味方ですね
私には、仕事で悩む人たちの力になりたい思いがあります。過去の自分を助けたいように。
働き方は生き方で、仕事がもたらす充実は人生の充実につながると思っています。仕事が苦しいと、生きるのが辛いです。
JC支援を通じて願うのは、働きづらさで悩む時、仲間のことで悩む時、少し誰かと共有すること、少し荷物を軽くすること。その人が傷み尽くす前に、そこに登場できる存在でありたいということです。
その人の人生に触れるそれはとても深刻で、とても尊いかかわりです。自身の誇りと原動力がそこにある気がします。そしてそうやって、活動を通して救われているのは自分の方だといつも感じています
静岡拠点 伊東彩乃
JCはどうでしょうか。JCの存在とは。支援先の方々から見て、関係者であり部外者である。職場にくる他人。気持ちの中で、そんな解釈ではどうでしょう。かつて仕事に悩んだ私自身が頼りにした外側の人たち。その人たちが自分の近く(職場)にやってくる。そんなイメージでしょうか。 対象者や企業担当者にとって、JCのこのあいまいな位置が、相談すべく他人との程よい距離感だと思うのです。はっきりとしているのは、味方であること。
JCは、障がいのある方、その方と共に働く方々、悩める皆さんのもとに駆けつけます。どちら寄りでもなく、どちらにも添う。その真ん中に立つ、皆のハッピーの味方ですね
私には、仕事で悩む人たちの力になりたい思いがあります。過去の自分を助けたいように。
働き方は生き方で、仕事がもたらす充実は人生の充実につながると思っています。仕事が苦しいと、生きるのが辛いです。
JC支援を通じて願うのは、働きづらさで悩む時、仲間のことで悩む時、少し誰かと共有すること、少し荷物を軽くすること。その人が傷み尽くす前に、そこに登場できる存在でありたいということです。
その人の人生に触れるそれはとても深刻で、とても尊いかかわりです。自身の誇りと原動力がそこにある気がします。そしてそうやって、活動を通して救われているのは自分の方だといつも感じています
静岡拠点 伊東彩乃