福井県内の各支援団体による報告がなされたが、最後に登壇した避難者であるTさんは、それまでとはまったく違ったトーンで、「福島は、今も目に見えない放射能の津波に襲われています。」と静かに語り始めた。南相馬市の寺院の住職であるTさん(30代)は、家族を連れて、福島市、会津、長野を転々としながら福井にたどり着いた。
だが、僧侶としての役割を全うしようと津波で亡くなった人々もいる地元、南相馬に戻る事を決断した。「福島に戻るという事は被ばく者になるという事です。自分の覚悟が決まるまで沢山の葛藤がありました。」と現在は家族を福井に残し、福島との往復の日々である。
先祖から受け継いだ田畑を守って、食べ物を自分たちで作って来た暮らしを根こそぎ奪われてしまった故郷を見て、「生きがいを失ってしまうと人間はどうしていいか分からなくなる。油断していると気がおかしくなりそうです。」という。
「それでも何とかしなくては。。」と思い、地域に残る人たち約60人と寺院の掃除をしたそうだ。「こうやって皆で掃除が出来て、ちょっと胸のつかえが取れた。」という人々の声にTさんは、「ぎりぎりの状態で、大事なところは、目に見えないこういうところなんだなあ。」と実感したという。
「いずれ子どもたちも福島に引き寄せられていくかもしれない。子ども達を被爆者にするって切ないですよ。胸が張り裂けそうです。」ととつとつと語るTさんの姿に会場からすすり泣きの声がもれる。
状況の似ている福井と福島を往復しながら、色んな想いを伝えさせてもらうのが自分の役割だというTさんは、「福島みたいになる前に福井の人にも気づいてほしい。動いてほしい。」と最後にメッセージを残した。
この福井のプロジェクト発足当初に開かれた交流会には僅か10人程度の避難者(12月15日現在、福井県には約500人)のみであった。だが、12月のこのフォーラムには、福井県内各地に避難している人々が70人ほど参加されていた。少しずつ避難者同士のネットワークが築かれつつある。