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【東日本大震災】レポート No.143 [2011年11月28日(Mon)]
被災地NGO協働センターです。
5月末より岩手県の「遠野まごころネット」で活動している
スタッフ増島智子のレポート、
「『まけないぞう』がつなぐ遠野ものがたり」をお送りします。

→写真はブログへ http://miyagijishin.seesaa.net/article/237473427.html 

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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり 11月25日(金)
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ひとり一人のそれぞれの「3.11ここに生きる」

ご報告が遅れ申し訳ありませんが、先月22日、東京国際映画際が開催されました。その中で女性国際映画際があり、「まけないぞう」が取り上げられた映画の上映会が行われました。それは、現在ニューヨーク在住のロイターの記者で
、ドキュメンタリー映画監督でもある我謝京子さんの「3.11ここに生きる」でした。我謝監督は、若いときに日本のドキュメンタリー映画の先駆けとなった女性監督の羽田澄子さんに憧れ監督を目指し、2009年「母の道、娘の選択」でデビューしたそうです。今回の「3.11ここに生きる」は、福島、宮城、岩手などで復興に関わる女性を取材したものでした。

映画際当日は、「まけないぞう」は我謝監督に招待され、東京のmakenaizoneの応援団の代表青木正美先生と一緒にグリンカーペットを歩きました。初の晴れ舞台で「まけないぞう」はmakenaizoneメンバーのみなさんに晴れ着を着せてもらい緊張の面持ちで、応援に駆けつけてくれたみなさんの声援に応えながら歩みを進めていました。

監督は3.11の東日本大震災発生後、ドキュメンタリー映画の作成にとりかかりました。
内容は、被災地では女性たちの復興への思いを聞いてまとめたものでした。また監督は今後10年間に渡って、彼女たちの復興を記録するそうです。この映画で岩手県に入ったのは、7月22日、釜石市の避難所、陸前高田の仮設に取材に行きました。釜石の避難所では、男性の作り手さんKさんに会いに行きました。元高校教師のKさんですが、「まけないぞう」に夢中で、「僕が作ったぞうさんは、あまり上手ではないけど、それでもお世話になった人にプレゼントしたら、とても喜ばれたよ」と笑顔で応えてくれました。
いまでは優秀な先生です。

もう1ヶ所は、陸前高田の仮設の作り手さんに会いに行きました。ここでは、3人の作り手さんがいるのですが、女性のKさんは、津波でご主人が流されました。以前のレポートでメッセージを紹介しましたが、以前は家からもあまり出ずに、なんだかいつも暗い顔つきで、ちょっと心配な人でした。それでも少しずつぞうさんを作ってくれました。最近では、回収に行ったら初めて仮設のおうちの中にいれてくれて、お話をすることができました。
亡くなったご主人の遺影が笑顔でとてもすてきな方でした。聞くとご主人は写真が嫌いで、たまたま親戚の方が偶然にも撮ったその一枚だったそうです。Kさんは「まさかこんな仮設で暮らすことになるなんて、まけないぞうを作るなんてね〜」と・・・

「まけないぞう」と一緒に一枚写真を撮らせてくださいとお願いすると、「えー最近笑ってないから」とつぶやいたのがこの一枚です。ほんとに少しずつですが、笑顔が出てきました。またここに「まけないぞう」が被災者に寄り添い、笑顔を届けてくれました。
最初に出会ったときは、こんな笑顔を見ることができる日が来るなんて想像もできませんでした。改めてこの笑顔に出会えてこみ上げてくる気持ちを抑えられません。

もう一人のIさんは、同じ仮設に住んでいて、最初は避難所で出会いました。私がまだ岩手に入る前に、別の人にぞうさんを教えてもらい、神戸に送ってもらってそれをチェックし、岩手を届けるというやりとりをした方です。最初はどうもうまくできなくて、こんな感じでした。

それで、ここを直してくださいと紙に書いて届けたら、うまく伝わらず、「もう作らない!」と怒ってご機嫌を損ねてしまいました。それでも岩手に入ってからもう一人の方と作り方をおさらいし、その方を通して、Iさんに作り方を伝えてもらったら、上手にできて、ぞうさんづくりを再開してくれました。でも「私はもう年だし仕事なんて嫌だよ!」と最初は言われてしまいました。それでもお願いして内職としてやり始めると、「ぞうさんでもらったお金は孫にアイスキャンディーでも買ってあげる、孫がサッカーの試合に行くときにお小遣いで持たせてあげる」などうれしそうに話してくれるようになりました。

今では、最初の頃に作ったぞうさんを見て「これじゃ、注意されても仕方ないよね〜、でもこれは記念だから、かわいくなくてもとっておく」と大切にしまってあります。
最近では、「いつまでぞうさん続くの?」と心配そうに訪ねるので、「たくさん支えてくれている人たちがいて、足りないくらいですよ」と伝えると、安心して「じゃ死ぬまで仕事するか」と笑いながら話してくれました。

映画の中では「この国を支えているのは、女性や!」という元気な言葉を聞きました。被災女性たちのひたむきな生きる姿勢に心打たれ、被災者一人ひとりの「3.11 ここに生きる」があるんだなと改めて感じました。ぜひ、みなさんお近くの映画館にきたらぜひご覧ください。

この場をお借りして、監督の我謝さん、青木さん、makenaizoneのメンバーのみなさんに心よりお礼申し上げます。ありがとうございます。これからも、被災地でそれぞれの「3.11ここに生きる」に寄り添いたいと思います。

まけないぞうの一言メッセージ。
毎日楽しんで作ってます。これがなかったら何するの?みなさんにつかってもらいたいです。がんばるぞう!まけないぞう!イシ子だぞう!
(2011/10/31 女性 陸前高田 高田高校第二グラウンド仮設)

Posted by RSY事務局 at 15:49 | 2011年 東日本大震災 | この記事のURL | コメント(0)
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