借上げアパートに暮らす人は2512人という。山形県全体では、8578人に膨れ上がり、新潟県の7344人を抜いて避難者最多県となった。この現象は、「せめて夏休みの間だけでも子ども達を避難させたい。」という親の切実な思いの表れである。
米沢市の5つの雇用促進住宅(各80戸)もほぼ入居済みでキャンセル待ちの状況で、山形市へと人々が流れて行く。(7月28日時点で山形市内に2945人)
米沢市では雇用促進住宅近くのコミュニティーセンター内に「米沢市避難者支援センターおいで」が設けられた。そこでは、南相馬市の臨時職員として雇用され被災者が常駐している。同じ被災者(避難者)であるという 事から毎日、様々な人々が相談にやってくる。
震災直後から避難者受け入れに奔走するボランティア山形(主体:クラブ生協よねざわ)では、支援センターそばで週1回のお茶会を開催し、バラバラになろうとしている避難者の方々をつなぐ活動を行っている。
直後の避難所で子どもさんと足湯に来ていたKさん(30代男性 南相馬市)に、お茶会で再会する事が出来た。現在の借上げアパートが決まるまでは「人間らしい生活を早く取り戻したい。」とメールをくれていたKさんだが、ようやく米沢での仕事も内定し、しばらくは米沢で暮らす覚悟をしたようだ。だが、いざ仕事が決まってもどこか戸惑いは隠せないようだった。
そんなKさんのような人々が多数いる一方で、南相馬市は市外に避難している市民に対して帰還計画を発表した。その計画は「避難自治体にいつまでも迷惑をかける訳にはいかない、仮設住宅も準備できたので自立の為に戻ってこい!」というものである。Kさんは、7万人の人口の内、4万人(高齢者も多い)が残る南相馬に「帰っても仕事もないし、何も出来ないよ。」、「セシウムが飛んでいる町のどこに住むの?」と言う。
また、20〜30km圏内の「緊急時避難準備区域」解除の協議(8月6日)発表にも「何を考えているのかまったく分からない。」というKさんだった。安全性の確保されないままの帰還計画や準備区域解除への動きに県外避難している多くの人は首をかしげている。