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◇週刊つぶやき◇Vol.3 (お金、手続きに関するつぶやき) [2011年07月07日(Thu)]
ROAD事務局より、◇週刊つぶやき◇Vol.3をお送りします。テーマはお金や手続きに関すること。こうしてみると、「通帳、証書がなければ何もできない」とあきらめている方が多く、「何をする元気もない」と手続きを取ることさえままならない人々の声が聞こえてきます。また、「仮設にネットがなく仕事が探せない」という声もありました。東京で考え出されている様々な支援策がきちんと被災地の元へ届いているのか検証する必要があるでしょう。もし情報が届かないのであれば、その間をボランティアが走って埋めることも考えなくてはなりません。

-◇-◇-◇-◇-◇-◇-◇-◇-◇-◇-◇-◇-◇-◇-


○美容師をしている。家は全部流された。またお店始めるにも1000万円くらいかかるからやめることにした。もったいないけどね。(4月5日 七ヶ浜 女 70代)

○秋田とか行ったら住むことも出来るけど、3ヶ月後には出なきゃいけないし、この土地を離れたくないのね。国がせめて、半分でも出してくれたら、なんとか借りることが出来るんだけど。(4月8日 石巻 女 60代)

○一年半前に息子がパソコンを買ったんだけど流されちゃってね。物があれば保証があって修理も出来るんだろうけど、ものがなくなっちゃたからね。息子が探そうって言うんだけど、これじゃみつからないよね。(4月11日 石巻 女 60代)

○障害のある娘が居るので80歳までは養殖で頑張るつもりだったがもうダメだ。もう一度最初からやり直す若さも気力もない。若い人達は、別の職種にと考えている。漁師・養殖業はもう何年も復活出来ないと思う。障害のある娘に何も残せない。(4月21日 石巻 男 70代)

○仮設住宅に入れるのもいつになるのか、身内が2人亡くなっているが、通帳も保険証書も全て流されて、生き残ったものも大変だよ…(4月23日 石巻 男 60代)

○眠れないですね。先のことを考えると。港から1.2kmくらいの築20年の家も、ローンを残して流されましたからね。今は何もやる気が起きない。やることが多すぎて。違う地区に2Kのアパートを借りたんですけど。もう沿岸には住みたくない。残った家でも遺体が出たりしてるんで、同じ家にはもう住めない、という人もいますよ。TVで言われても何をがんばればいいのかわからないんですよ。(4月24日 石巻 男 50代

○自宅があった土地は地盤沈下でもう住めない。家の玄関まで波が来るようになり、家を建てるのは禁止された。集落がバラバラになる前にできるだけ集って(35人くらい)花見をする。(4月28日 気仙沼 男 不明)

○一時帰宅できるといっても一世帯2人まででは、金庫の開け方、証券の場所その他、分かるわけないから持ってこれない。(4月30日 郡山 女 80代)

○精神的に参っちゃって・・・2カ月も経ったからこんなんじゃダメなんだけど、お父さん見つからないとね。でも骨だけでも見つからないとお金どうのこうのってあるんだけど難しくて、何言ってるか理解できなくて。家はもうしょうがないんだけど、子供の生まれたときの写真とかが欲しいけど、海に近いからなーんも残ってないの。(5月16日 女川 女 60代)

○仮設ではインターネットが使えない。ケイタイしか使えない。仕事を探したりしたいのに、パソコン、インターネットがない。(6月14日 陸前高田 女 30代)
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○仮設ではインターネットが使えない。ケイタイしか使えない。仕事を探したりしたいのに、パソコン、インターネットがない。(6月14日 陸前高田 女 30代)

→「仮設にネットがなく仕事が探せない」というつぶやきについては、やはり仮設団地に集会所があって、そこでボランティア・センターのサテライトを置き、同時に情報提供をするということが急がれなければなりません。空き部屋でもいいと思いますが、各県知事さんが空き部屋をそういう使途にもOK!とさえ出せばできることですが?阪神淡路大震災では、仮設をつかって「ケアーハウス」を実験的にされたケースはあります。


→ 多彩な情報を被災者に確実に届けるという「情報サポーター」のようなスタッフが、仮設住宅を廻るような体制を築かなければ、情報は行き届かないでしょう。最低限、政府や自治体から出されているさまざまな救済策に関しては、紙ベースで配布するという作業は不可欠です。この情報サポーターを被災者の仕事にするということを提案して行かなければならないですが、すでにこのような活動を雇用対象として被災者が雇用されているケースはあるでしょうか?

 緊急雇用対策ですでにありそうですが?阪神淡路大震災の時は、広報を配布するのを雇用の対象にしていました。
Posted by: 震つなコメント  at 2011年08月18日(Thu) 10:20

○仮設ではインターネットが使えない。ケイタイしか使えない。仕事を探したりしたいのに、パソコン、インターネットがない。(6月14日 陸前高田 女 30代)

→「仮設にネットがなく仕事が探せない」というつぶやきについては、やはり仮設団地に集会所があって、そこでボランティア・センターのサテライトを置き、同時に情報提供をするということが急がれなければなりません。空き部屋でもいいと思いますが、各県知事さんが空き部屋をそういう使途にもOK!とさえ出せばできることですが?阪神淡路大震災では、仮設をつかって「ケアーハウス」を実験的にされたケースはあります。
Posted by: 震つなコメント  at 2011年08月18日(Thu) 10:20

○一時帰宅できるといっても一世帯2人まででは、金庫の開け方、証券の場所その他、分かるわけないから持ってこれない。(4月30日 郡山 女 80代)

→福島の場合は、家が無くなった訳ではないので、このケースのように確かに金庫にあることさえ判っていれば、関係機関にコピーなり、データは揃っているはずなのでやはり需要書類が必要ならば、掛け合うしかないでしょうかね?
Posted by: 震つなコメント  at 2011年08月18日(Thu) 10:19

○自宅があった土地は地盤沈下でもう住めない。家の玄関まで波が来るようになり、家を建てるのは禁止された。集落がバラバラになる前にできるだけ集って(35人くらい)花見をする。(4月28日 気仙沼 男 不明)

→まだまだ街の再建計画は確定していないと思いますね。厳しいけれど、焦らずによく見極めてから判断することを奨めなければならないですね。ケースは違いますが、新潟小千谷の塩谷集落の元区長さんが「焦らないでください!」という手紙を中越沖地震の被災者に出した話は有名なエピソードとして残っています。
Posted by: 震つなコメント  at 2011年08月18日(Thu) 10:19

○眠れないですね。先のことを考えると。港から1.2kmくらいの築20年の家も、ローンを残して流されましたからね。今は何もやる気が起きない。やることが多すぎて。違う地区に2Kのアパートを借りたんですけど。もう沿岸には住みたくない。残った家でも遺体が出たりしてるんで、同じ家にはもう住めない、という人もいますよ。TVで言われても何をがんばればいいのかわからないんですよ。(4月24日 石巻 男 50代)

→これまでのつぶやきも同じですが、とにかく最低でもマンツーマンで相談対応ができるような体制が急がれます。震つなではこれまでも、弁護士さんと連携して「暮らしの相談会」を開いてきたことがあるので、一度どこかの仮設団地で相談会をやる必要があるかもしれません。
Posted by: 震つなコメント  at 2011年08月18日(Thu) 10:18

○仮設住宅に入れるのもいつになるのか、身内が2人亡くなっているが、通帳も保険証書も全て流されて、生き残ったものも大変だよ…(4月23日 石巻 男 60代)

→こういうのも、根気よく、あきらめずにしかるべきところに行って再発行をお願いするしかないですね。一度弁護士協会に相談にいくことを奨めることかなぁ?
Posted by: 震つなコメント  at 2011年08月18日(Thu) 10:18

○障害のある娘が居るので80歳までは養殖で頑張るつもりだったがもうダメだ。もう一度最初からやり直す若さも気力もない。若い人達は、別の職種にと考えている。漁師・養殖業はもう何年も復活出来ないと思う。障害のある娘に何も残せない。(4月21日 石巻 男 70代)

→辛い話です。まだ具体化していませんが復興基金に変わる「特別交付税措置」というのが決まれば、こう言うケースにも支援策を提供するように提案できるのですが。先日まで議論になっていた特別交付金は自治体の最良で使えるようにというものでした。各々の自治体によって事情が異なるでしょうから、こうしてひも付きでないような使い道ができるのがいいですね!
Posted by: 震つなコメント  at 2011年08月18日(Thu) 10:17

○秋田とか行ったら住むことも出来るけど、3ヶ月後には出なきゃいけないし、この土地を離れたくないのね。国がせめて、半分でも出してくれたら、なんとか借りることが出来るんだけど。(4月8日 石巻 女 60代)

→3ヶ月後に出なければならないというのは、どういう制度かな?これっておそらく民間賃貸の話でしょう。「みなし仮設」として借りたところが、3ヶ月で出なければならないということでしょうかね?誰か詳しいこと知りませんか?
Posted by: 震つなコメント  at 2011年08月18日(Thu) 10:17