ひろのカフェin関船を始めて9か月になりますが、
関係者のうち1名以外は広野町を訪れたことがありません
でした。
仮設入居者の皆さんのお話しを聞くだけでなく、現場を
見ておかないと、ということで3名で出かけてきました。
5,000名の町民のうち、現在町に住んでいる方は、
約1割でしょうか。正確な数字はわかりませんが・・・
そのかわり、原発事故収束のための作業員や技術者の
方々が、広野町の仮設に住んでいます。3,000名ほどいるよう
です。サッカー場や総合公園は、その方々のための仮設住宅で
うまっていました。
写真はちょっとわかりにくいのですが、二ツ沼公園の
仮設住宅遠景です。
町の中は、いたるところで除染作業が行われていました。
除染が終わった敷地は、地面の草がきれいに刈られて、
土がむき出しになっていました。
火力発電所の近くに、恐らく表面を削った土でしょうか。
黒い袋が積まれて大きな山になっていました。
これから、この処理をどう進めていくのでしょう。
11月に訪れたときよりは、町内の食堂はあちこちで
営業していました。除染作業員の方々が利用しているだと
思います。
ただ、スーパーは除染作業事務所?に使われているようで
買い物には不便な環境に思えます。
住民がほとんどおらず、見かけるのは作業服を着た
人たちだけ、という非日常な風景でした。広野町から
楢葉町に行く道は通行止めとなっています。
二学期から小学校を再開させたいとのことですが、
帰還する住民がどれくらいいらっしゃるのでしょうか。
新しくできたばかりと見受けられる家もいっぱいありました。
山と海、豊かな自然に囲まれた広野町。子どもたちが夏休みに
遊びに行くおじいちゃんとおばあちゃんのいる田舎、
そんな典型的な場所のように思えます。
戻ってここでまた暮らしたい
その願いが一日も早くかないますように。
Posted by ANDO at 10:12 | 東日本大震災 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)