「尊敬する人は誰ですか」
私は昔からこの質問をされると答えに窮してしまいます。就職活動を
していたころ、ある企業から送られてきた書類にこの質問があり、
「ジミー・コナーズ」と書いてしまいました。アメリカのテニス選手です。
1970年代に活躍し、私のあやふやな印象では、いつも決勝で
ビヨン・ボルグ選手に負けていた人です。なんでこの人の名前を
書いたのか、今となっては全くわかりません。たぶんテニススタイル
にあこがれていたんでしょう。。。
就職してからも社内外を通して、問いに対する答えは見つからず、
今に至っています。
まさか、自分より優れた人間なんていない、などと尊大な考えを
抱いていたわけではありません。
たぶん、「人は人、自分には自分のやり方があるから」と思って
いたのではないかと。
だから誰かの生き方や方法を手本にすることにあまり興味がなかった
のだと思います。
ただ、会社である人に出会ったことで、二つのことを学びました。
瞬間湯沸かし器のような人で、一般に言われるところの「人格者」とは
タイプが違う(申し訳ありません!)のですが、この方から学んだ
二つのことは今でも心に残っています。
一つは、責任を取る、ということ
もう一つは、人を育てる、ということ
責任を取る
私が感じた日本企業と欧米企業の違いの一つが、責任の所在です。
何かトラブルが起きたとき、日本企業では、「誰のせいか、を問題に
しているんじゃない。原因をはっきりさせて、以後同じ過ちを繰り返さない
ことが一番重要だ。だからこの会議を開いている」という論理が
成り立ちます。その後の処遇で「責任を取らされたのかもね」という
人事がある場合もありますが、はっきり責任の所在を明らかにすることは
あまりなかったと思います。
欧米企業では、原因をはっきりさせる=責任の所在を明らかにする
=人事評価に加味される、こととなります。
「生産スケジュールが過密すぎる」
「取り引き先が納期を守らなかった」
「品質基準が必要以上に高すぎる」・・・
いろいろな言い訳をしますが、結局問題発生の責任者という重荷を
誰かが背負うことになるのです。
そんな風土のなかで、
「それは自分に責任があること。君たちが苦しむことじゃない」
と言ったのがその人でした。
「えっ、そんな『カッコいいこと』を言う人、本当にいるんだ」
というのが第一の印象でした。
今までのイメージとのギャップがちょっと大きかった、
というのも偽らざる感想ですが。
私の人生でこの手の台詞を聞いたのは、これが最初で最後、
ましてや自分で言ったことなどありません。
私たち以外に数名いたかいないかの内輪の場でのこと、
公式の会議でお偉方の前で発言したわけではありません。
でも、本人はサラッと言ってのけてましたが、結構凄いセリフだなぁ、
と後になってからじわじわ心に浸み込んできました。この言葉で
自身の重荷がかなり軽くなったことはしっかりと覚えています。
ドラマみたいに、スタッフ一丸となって問題に取り組めば最後は
奇跡みたいなハッピーエンドが待っているわけではありません。
多くの場合は、かなり落ち込む状況が待ち構えています。
そんな中で「自分に責任がある」って言えるのは、相当度胸が
すわっていないとできないことだと思います。
この一件があってから、「責任」という言葉をかなり深く考えるように
なりました。
かなりの影響を与えてくれたひと言でした。