2016年08月22日
100人で語り合った島根の未来!大交流会実施報告!!
2016年07月16日
【イベント実施報告】しまねの追いコン2016春
2015年11月12日
活動報告 雲南市若者チャレンジ シマブロ活動発表!
シマブロご愛読の皆さまこんばんは。
事務局の小笠原です。今回のブログは活動報告です。
11月7・8日に島根県雲南市が市をあげて行った『チャレンジが連鎖する2days』の若者チャレンジのひとコマ『 地方で人が育つためには 』というテーマで開催された交流会。その場でシマブロ!が今までの活動を10分間のスライドにまとめ発表いたしました。
▼子ども×若者×大人 チャレンジが連鎖する2days 詳細↓↓
http://www.co-unnan.jp/2days-challenge/
せっかく頂戴した機会ですので、シマブロ!の現在までの取り組みと併せて、『 地方で人が育つためには 』についての思いを、愛と情熱を込めて発表させて頂きました。
発表内容の詳細はここでは割愛させて頂きますが、10分間の発表を通して最もお伝えしたかったことは、
.................................
素晴らしい能力もあって、
エネルギーも持て余しているのに、
機会に恵まれずにくすぶっている若者は地方にまだまだ沢山いる。
ほんの少しのきっかけと、
その思いに伴走してくれる誰かが居さえすれば、
人は自分を信じて、大きく成長できる。
.................................
という事です。
自分の様なものが分かった風な事を言ってしまったかも知れません。
しかし、会場にいらっしゃった方々へこの思いが少しでも届いていたなら嬉しいのですが、、、。
いづれにしても、何事も本気でやる事が大事だと思います。
シンプルなメッセージではありましたが、
発表を行った私は、本気で、このメッセージをお伝えしました。
雲南市の皆さん、貴重な機会を頂戴し、誠にありがとうございました。
会場にいらっしゃった皆さん、真剣な目で発表を聞いてくださりありがとうございました。
シマブロ!は活動を続けてまいります。
これからもよろしくお願いいたします。
2015年06月21日
一歩を踏み出せた!シマブロに届いた嬉しいお便り掲載!! 〜自分が変わる、仲間が変わる、地域が変わる〜
2015年02月28日
活動報告!10年後のしまねを考える〜未来の仕事を作る〜
2014年12月28日
100人が繋がった! ‘‘初めましてから始まる‘‘ しまね若者のつどい活動報告!!
2014年11月29日
【 ‘‘初めましてから始まる‘‘しまね若者100人のつどい2014冬 】開催します!!
2014年05月25日
「ふるさと」を作る
よろしくお願い致します。
●ふるさとを大切に
僕は島根に来てから「ふるさと」づくりに一生懸命だ。
Iターンを増やそう!というシマブロを書いていながら言うのもなんだけど、
僕は、生まれた地で生活をずっと送って行けるのであれば
きっとそうした方が人は幸せになれるだろうと思っている。
運命的に生まれ落ちた地に歓迎され、
周りとも色々ありながらも何となくうまくやれていて、
家族もその土地を気に入っているのなら、
きっと「ふるさと」で一生を終える事が幸せなことなのだろうと思っている。
(Iターンを増やそうというこのブログの主旨とは逆ですが!)
その方が、「ウン十年の友」も、お世話になったひとも、昔の彼女も、思い出の中学校も
いつも視界のなかにあって、自分が来た道をどこかに感じながら進んでいけるからだ。
連綿と続いてきた人生の道程を振り返りながら進んでいけることは、人間として幸せな事なのだと思う。
自分の価値観はどこで変わって、どんな想いを抱くようになったのか、自分自身を徐々に知っていく事ができるからだ。
●香川
僕の故郷は香川にあった。
しかし、もう香川に帰ることはないだろう。
だから僕は自分が「ふるさと」と思える場所をずっと探している。
そして、島根でふるさとを作ろうとしている。
香川は今ももちろん大好きで、
自分のソウルフードは讃岐うどんであることは一生変わらないだろう。
ウン十年の友もまだ香川にいるし、お世話になったひとも変わらず元気なようだ。
しかし、香川には既に拠点が無くなってしまっているため
帰ろうにもなかなか帰れないのが現実だ。
香川県高松市国分寺町というところに僕の実家はあったのだが、
10年前に空っぽになってしまっている。
姉と妹は勤めに県外へ出てそのまま結婚。
母は熟年離婚後、大阪へ勤めに出た。そして僕も京都の大学に出て就職。
父だけが香川に残っていたが、あるとき脳梗塞で倒れ緊急入院。
たまたま元旦で僕が一緒にいた日だったため病院へ搬送できたが
いつものように独りだったらと想像してゾッとした。
半年後、ほぼ毎週末誰かがお見舞いに行っていたのが功を奏したのか、
奇跡的にほぼ後遺症なく退院。
しかし、このまま独りで置いておけないと家族で話し合い父のアパートを岡山で借りる事に。
妹が岡山で就職していたので、その勤め先のスグ近くで暮らしてもらおうという事だった。
この時に家族が全員香川から出る事になったと同時に、僕たちは帰る拠点を失った。
当時は色々とバタついていたため深く考えなかったが、同窓会か何かで帰省したときに
「そうか、泊まるホテルを手配しないといけないんだ」となって、事の重大さに気づいた。
そして、思ったよりちょっと落ち込んだ(笑)
いやいや、実家が無くなることはずっと前から覚悟していた事だったし、
むしろ高校生くらいの時から家族に内緒で不動産屋さんを呼んで売値査定してもらっていた
くらいのもんだったので(我が家も色々ありまして 汗) さしてショックは無いはずだったのですが
いざ職場が県外にあって「当たり前」にそこにいた家族が誰もいなくなって
実家に違う人の表札がかかって、友達たちが自分の家に帰っていくかたわら
お金もないのでネットカフェで横になろうとする瞬間はちょっとシンミリしてしまった(笑)
まぁ、そんなこんなで、僕は新天地の島根でふるさとを作ろうとしているわけだ。
●島根
島根には仕事があり、受け入れてくれる仲間がいる。
何より、その仲間たちがみんな地域振興に真剣だ。
地域振興は、その土地の事が好きでなければできないことだ。
みんな自分の「ふるさと」の事を大事にしようとしているってことだ。
こんな僕だから、島根のソコにすごく惹かれる。
島根に来てから知った言葉
『若者・バカ者・ヨソ者』
どんどん元気になる地域にはこの3者が『必要』なんだって。
この言葉は僕のような移住者にとても勇気をくれる。
島根の人たちはその3者の事を大事にしようとしてくれている。
それはこのブログの記事たちを読んでみればスグわかることだ。
課題先進国の日本。
その中でも課題最先端を行く島根。
高齢化がどんどん進み、40年後には50%の人口になるかも知れない。
今年、ついに人口が70万人を切ってしまった。
でも心配するな。
『 革命は辺境から起きる 』
辺境にこそ革命のヒントが隠されていて、変革をおこすべく沢山の意志がうごめいているものだ。
まさしく島根の事だ。
●「ふるさと」を作る
生まれた土地でずっと生活を送れ人生を終われる方が僕は良いと思う。
しかし、何らかの理由で故郷を離れなければならなかった人や
なんとなく他の土地に惹かれる人がいるならば、是非島根に足を運んでみてほしい。
島根は『 若者・バカ者・ヨソ者 』を歓迎してくれる。
そして辺境ゆえに、変革を起こそうとうごめいている人たちが沢山いる。
ぜひ来てこの「胎動」を感じてみて欲しい。
そして、一緒にふるさとを作ろう!
2013年12月07日
ファイティングポーズと人間讃歌
このシマブロは島根の魅力を発信しよう!というコンセプトで
毎週記者さんがバトンタッチしながら書かれて行っているブログですが、
前回までの投稿で10000PV(閲覧数)を既に突破したようです。
素晴らしい事ですよね〜。
前回、私は、島根の魅力は「あの人が頑張っているなら応援しなきゃ」という風土だ、
という記事を書かせて頂きました。
そして、今回の投稿もIターン者としての経験・視点をベースに
「私の思うこの土地の魅力」を書かせて頂こうと思いますが、、、
え〜・・・アレです。
結構重たい、ダークな文面も途中に出てきますゆえ、
万が一お気に召さない表現があれば小笠原個人の戯言と思ってご容赦頂ければ幸いです・・・。
島根への移住は、仕事の転勤が理由でした。
その前に住んでいた岡山にいたころ、私はある出来事が原因で、自分でも気づかぬうちに
心にダメージを受け、逃げるように島根に引っ越してきたのでした。
島根は傷んだ私の心を、時間をかけゆっくりと癒してくれました。
ご縁を大切にする、あの人が頑張っているのなら何とかしなきゃ、
そんな「人間って素晴らしいな」という事に‘‘再び‘‘気づかせてくれる風土に僕は癒され、
再起を果たせるのでした。
2008年。
世界はリーマンショックという100年に1度とも言われる大不況に陥りました。
例に漏れず、私が所長を務めていた岡山の事務所も2009年2月13日、閉鎖に追い込まれました。
リーマンショックが始まって、半年が経つか経たないかぐらいの出来事でした。
入社当初から「将来は起業をして経営者になるのだ」と言っていた血気盛んな25歳の私は、
やっと巡って来たチャンスに全力を傾ける覚悟で仕事に臨んでいました。
ピーク時は150名を超える従業員を抱えていた拠点でした。
しかし、迫りくる大不況の波に抗う力は無く、ついには全従業員を集めて
「ごめんなさい。来月から、もう、仕事がないんです、ごめんなさい。」と
謝罪をする事態になっていました。
私ひとりのせいでは無い、という事は誰もが理解していましたが、
それでも怒りの矛先を見失った彼ら従業員からすれば、目の前の責任者へ感情をぶつけるしかなかったのでした。
誠意を尽くしていたつもりでしたが、
もしかしたら、今でも当時の従業員からは、恨みの対象として見られているのかも知れないですね。
そんな「敗戦」をきっした岡山から、会社は私1人だけを現地に残し撤退を決めました。
残された私は、アパートの1室に手作りの会社看板を掲げ、お仕事が無くなってしまった元従業員の方々のお世話をしたり
ご迷惑をおかけした関連業者の皆さまへ謝罪を続ける毎日を送っていました。
遠い地で、たった1人になってしまい、今日が何日なのかも分からなくなってしまい、
昼も夜もなんだか曖昧になってきて、ついには全ての情熱を傾けて来た自分の仕事に対しても
「この仕事に何の意味があったのだろうか。結局、誰も幸せに出来やしなかったのに」などと思うまでに
気持ちが落ちてしまっていました。
毎日、少しでも職場を元気にしたくて、絶対に後ろ向きな発言はしないと決めて
明るく働こうと努めていた自分は、もうそこには居ませんでした。
また、具合の悪い事に長引く不況のせいで、何日かに1回は携帯が鳴り、
「こんなに尽くしてきた自分も、ついに肩タタキにあった」という連絡が先輩方から入ったりして、余計に心を混乱させました。
もうワケが分からず、自分は被害者なのだろうか、いや、やっぱり加害者なのだろうか、などと
自分を安心させる材料を闇雲に探したり、いや、この職がいけないんだ、こんな仕事は無ければ良いのだ、と正義漢ぶって、
そんな仕事に全てを捧げて来た過去の自分を全部否定してしまって、余計に傷ついたりしていました。
自分自身がそんな状態になってしまっているが為に、結局お客様にも元従業員の皆様にも役に立つ事が全然出来ず、
更には言葉足らず・配慮足らずが事態を悪化させたりしてしまい、自分の力の無さばかりを毎日感じる日々を
暗闇の中送っていたのでした。
今、こうやって文章に直すと、情けないなぁなどと思ってしまいますが、
それでも当時の自分はそれはそれで一杯一杯だったワケです。
そんな独りの生活が5ヵ月ちょっと過ぎた頃、ようやく大体の整理がつき始め、
「もう辞めようかなぁ・・・。辞めたいなぁ・・。今なら誰にも迷惑かけないで済むし。」と思っていた時でした。
突然、出雲への異動の話が出るのでした。
大阪の本社から電話が入り、「明後日、出雲へ引っ越しして下さい」というのです。
出雲で受注が入り出し、人手が足りなくなってきたので応援に行け、という事でした。
その時、私はどんな返事をすれば良かったのでしょうか。
きっと私はバカなんだと思います。
誰も幸せにすることはできなかった、自分は無力だった、と思っていた私は、
「そうか、出雲には私を必要としてくれる場所があるんだ」と思い
「・・・分かりました。」という返事をするのでした。
当時、まだまだ社会不況は相変わらずでしたし、お金をあまり持っていない私には、
固定給が無くなれば生活していけない、という差し迫った理由も大きな要因でした。
「もう一回だ。」
そう誓い、ゼロからスタートをする決意をしました。
「どうせうまく行かないのなら、もう要らないと言われるまで思いっきりやってやる」
あんな不完全燃焼はもうコリゴリだ。
熱を注ぐなら、結果を出す。
振り返ってみれば、本気でやったつもりになっていただけかも知れない。
まだまだやれていない事が沢山あったかも知れない。
もう一回だ。
そんな想いを持って、私は出雲へ来たのでした。
とはいえ、実は、新天地でのヤブレカブレなファイティングポーズと相反して、
私の心の中はまだまだ過去に囚われていました。
職場で無心に仕事にあたっているつもりでも、気づけば岡山で体験したクレームや
誰かの心無い言葉が私を責めるのです。何度も何度も責めるのです。
自分は悪くない、一生懸命やったんだ、そんな事を自分に言い聞かせても
心の中の彼らは決して口を閉ざす事はありませんでした。
そんな彼らの声を時間をかけ、見事にお別れさせてくれたのが
出雲という土地が育んだ「ご縁を大切にする」という文化でした。
私は、自分でも気付かないうちに人間不信にも近い感情になっていましたが、
出雲で出会う多くの人達が「あなたに会えて良かった」と言ってくださる事によって
徐々に徐々に、気持ちが解きほぐされ、徐々に徐々に、柔らかい人間に戻る事が
出来て行ったのでした。
ここの土地の人たちは、いつも人と人との繋がりを大切にし
誰かと出逢う事を本当に価値ある事であると言葉にしています。
奥ゆかしい性格ゆえ、誰かの非難を公然とやる事もありません。
「それは田舎だけんだわねぇ〜。しがらみも多いけ〜ん。」と
出雲で出来た友達たちは言いますが、僕にはまだ良さばかりに見えており・・・。
必要以上に自分を責め続け、傷んでしまっていた自分には本当に癒しなんですよね。
人間って素晴らしいものなんだよ、という事をこの土地から教わりました。
次回はしまね起業家スクールとの出会いと、そこを通して学んだ大きな事を書きたいと思います。
引き続き、シマブロ!をよろしくお願いしま〜っす!!
2013年09月16日
あの人が 頑張っている音が聴こえる しまね県
しまねに移住して4年目、小笠原啓太と申します。
今回のシマブロを担当します、よろしくお願いします!
出身は香川県!うどんが大好きな30歳です。
専門はブラジル・ポルトガル語と製造現場の改善活動!
お仕事は在日ブラジルの方々が働く職場の所長さんをしております。
今回は、Iターン者的な視点でひとつヨロシク!という事で
シマブロ記者6人目のバトンを頂戴しました〜。
このシマブロは島根の魅力を発信しよう!というコンセプトで
毎週記者さんがバトンタッチしながら書かれて行ってます。
記者さんはこれからも増えて行く予定らしいので、楽しみにしてて下さいね〜。
さて、どうやらこのブログはPV(閲覧数)が既に5500を超えているそうですね。
いやはや、スゴイもんです。
単に(というと怒られるかも知れませんが;;)それぞれの記者が
それぞれの思う島根の魅力的な事を書いているだけ的なモノなのに(笑)
6回記事を上げただけで5500PVを超えちゃう。
私はこれこそ島根の魅力だなーなんて思います。
県外の方々がどれぐらい読まれているのか分かりませんが、
島根ってのは、こういう事がちょくちょく起こるんですよ。
つまり
「あの人が頑張っているのなら応援しなきゃ!」
っていうムーヴメントがちょくちょく起こるんです。
今までの記者さんたちを応援する方々や、その熱い想いに共鳴する方々の存在が
シマブロPV数をグンと伸ばしている大きな要因なのだろうと思います。
良い事ですよね〜。
あれ?私も記者の一人なのに我田引水が過ぎたかしら??いやいや。
私はお仕事の都合上、海外含めていろんな土地で生活してきましたけど
こんな風土を持った土地とは今まで出会った事がありません。
例えば、ある子持ちの主婦が「お料理教室をやりたい!」と言ったとする。
そしたら1週間後には支援者が5人集まって、30人の教室が実現したりする。
例えば、ある中年の男性が「自分の夢を描きたい」と言ったとする。
そしたら次の日には「あなたの本当の夢はなんですか」と聞きに来る人たちが40人いたりする。
例えば、ある県外人が「ブラジル人に友達をつくりたい」と言ったとする。
そしたら3ヵ月後には90人の島根県民が「力になるよ」と言って集まってくれたりする。
私は、この「あの人が頑張っているのなら応援しなきゃ!」という風土こそ島根の魅力じゃないかなーと思っています。
そうですね〜、数字だけを見ると島根ってのは移住するのにあんまり良い環境じゃないのかも知れないですね〜。
最低賃金は全国最安値だし、27年連続で60歳以下人口が減少してるし、限界集落は増加の一途だし、とか。
ついには吉田君なる「自虐ヒーロー(?)」が県民を代表しちゃったりしてます。
吉田君いわく、島根は『47番目に有名な県です。』とか、
『定休日じゃないです。人がいないだけです。』とか(苦笑)
でもですね、でもですね、島根には面白い人たちが沢山いるんですよ。
これが最大の魅力。
全県人口は70万人ちょっと。
だから繋がれる。
だから応援し合える。
顔が見えるから。
スグ会えるから。
なんて言うか、あの人があそこで頑張っている音が聴こえる、みたいな。
だから俺もがんばる、みたいな。
そういう風土がここにはあります。
たぶん、全国の「地方」って結構逆境が続いていると思います。
ご多聞に漏れず、島根もそうです。
だけど、ここには「なんとかするぞー」という気持ちを持った人たちが
人と人との繋がりを本当に大切にしながら、一生懸命立ちあがっています。
そんな魅力あふれる島根に是非来てみてくださいまし。
県外からやってきて、ガッツリ島根に魅せられているIターン代表(笑)がお送りしました!
次回をお楽しみにぃ〜◎
※写真は私の住む出雲市斐川町の朝の風景です。
「いま、会いにゆきます」ばりのひまわり畑の右奥に
斐川町伝統の築地松(ついじまつ:防風松)が見えます。
正面奥には出雲大社を抱える山々から立ち上る雲。
神聖な朝の静けさが伝わると嬉しいです。