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2021年08月25日

とある自治会の暗黒奇譚 #06 「敬老会(対象者の把握)」

毎月1回開かれる自治会長会。

7月の自治会長会で出た宿題が

『後期高齢者の把握』

というものだった。

あんたも知ってのとおり、この国では75歳以上は後期高齢者というカテゴリーに分類されている。

では、なぜ、各自治会で後期高齢者の把握をするのか。





敬老会対象者の把握のため

毎年秋に開催される敬老会。対象は町内に住む75歳以上。

この時はコロナ禍真っただ中。集まってのお祝いはできないので、敬老会対象者に記念品を渡すことになっていた。

その対象者だが、今年75歳になる人もいれば、鬼籍に入る人もいる。となると、対象者リストは毎年更新する必要が出てくる。

秋の敬老会に向けて、夏の時期に後期高齢者の人数を把握する、というのが今回の宿題だ。





75歳以上を探すには

自治会長会では、昨年時点での75歳以上リストが配られた。

どこの組の、誰が、何年何月何日生まれか、という完全なる個人情報。これを最新版に更新せよ、という訳だ。

いや、そんなの行政から名簿か何かをもらえばいいじゃん、という声が聞こえてきそうだが、この国では2003年に個人情報保護法というshitな法律ができた所為で、そういうことができなくなった。

いや、厳密に言えばできなくはないのだが、手続きとかいろいろ面倒なので、うちの自治会では行政からの入手ルートは使っていない。

令和3年はこの作業は初めてだったので、そもそもどうやって把握するのか方法が分からなかった。

うちの自治会は世帯数約170。それを1軒ずつ回って聞いていくなんてアホの所業。効率のいいやり方が存在するはず。

しかし、令和2年はコロナ禍で記念品の配付すらしていない。なので、把握方法は引継ぎ資料にも具体的には情報がなかった。

ほかの自治会長に聞くと、

「自分のとこには詳しい人がいて、その人に聞けばほぼ把握できる」

というチート人材がいるという。

うちの自治会には、残念ながらそんなチート人材はいない。

把握方法は自分で考えるしかなかった。





手分けをしてリストを更新

唯一、手元にある情報は、自治会長会で配布された、昨年時点での75歳以上の名簿。A4裏表1枚に、1〜13組までの75歳以上の人の名前、生年月日、所属する組が書いてある。

これを1〜13組に分割して13枚のリストを自作。これを各組長に配って調べてもらうことにした。

加入世帯約170を自治会長一人で調べるなんていろいろ無理があるし、これくらいしか方法が思いつかない。

とはいえ、このやり方は初めてなので、おれ以外の12人の役員(組長)に作業内容を説明する必要がある。結局、各組長宅へリストを持参して説明。まあ、一人で170軒分調べることと比較すれば10分の1以下なのでラクはできた。

おれの組は5世帯なので即終わるが、30近くの世帯を抱える組は負担が大きい。特にはじめて役員(組長)をやる人にとっては、1軒ずつまわって聞き込みをするので大変だったと思う。

期日までにリストを提出してもらい、元のリストを更新して公民館に提出して完了。

最初にこれをやったときは「こんなこと毎年やるのか」と辟易したのを覚えている。





敬老会の意義

「こんなことをやらなきゃならんのは、敬老会があるからだ」

という Axis of Evil 的発想は各方面から怒られそうだが、そもそも敬老会とは何なのか?

この国には敬老の日という祝日があるくらいなので、高齢者を敬うということは疑問を挟む余地がないかもしれないが、思っちゃったんだからしょうがない。

インターネットで「敬老会 起源」と検索すると、諸説あるが、今の形……公民館に集まって長寿を祝う……になったのは、昭和22年の兵庫県多可郡野間谷村(現・多可町)に求めることができるようだ。

当の多可町は「敬老の日 発祥の町」ということを行政としても謳っており、専用ページがあるほど敬老会を推している。

ここの情報がほぼ原典になると思われるので、その内容を少し見てみたい。

@当時の村長が「老人を大切にし、年寄りの知恵を借りて村作りをしよう」という思いで敬老会を1947年9月15日に初めて開催

A太平洋戦争で子どもたちを戦地に送り、精神的に疲れていた親たちに少しでも報いてあげたかった

B養老の滝の伝説をヒントにした

Bの養老の滝については、どういう話かを超おおまかに言うと「親孝行の話」で、ヒントにしたというのは「養老」という言葉から「敬老」という表現を思いついた、ということだと思われる。知らんけど。

敬老会を発想するに至ったキッカケとしてはAであり、令和の敬老会にはこれはそのまま当てはまらない。@をどう思うかは読者に委ねたい。

「老人を大切に」するというのは分かるし「年寄りの知恵」を借りることも大切なことだ。

しかし現状としては、敬老会の多くは@の「老人を大切に」という部分だけで続いているのではないだろうか。





敬老会は必要か?

高齢者の数は年々増えているが、敬老会の参加人数はそれに比例して増えていないらしい。

知り合いの高齢者の中にも「敬老会? 行かないよ」という人もいる。

コロナ禍で数年中止したことで、そのまま敬老会を廃止したところも見聞きする。

一方で、今でも盛会な敬老会もあると思う。

敬老会に限らず、地域の運動会も同じように「やめる」ところと「以前と変わりなく盛り上がっている」ところがある。

後者はおそらく、開催目的をハッキリさせていないのだと思われる。やることが目的化してしまっているパターン。

特に、昭和の時代から続く地域行事というのは、このパターンに陥っている可能性がある。

「昔からやってるんだから、やめるわけにはいかない」

見直しを提案した人に対して、長老世代がそんな発言をした、ということを耳にすることもある。

すべてが合理・非合理で判断する必要はないと思うが「何のためにやるのか」はハッキリさせておきたい。

目的を考える際にヒントになるのが歴史、特に起源だと思う。「なぜ始まったのか」は目的とほぼ同義。

特に、時代が古ければ古いほど、今の時代とズレている可能性がある。(逆に、今の時代にも通じたり、今の時代だからこそ大事な観点があったりもするが……)

今回の敬老会の起源を考えると、少なくともおれの住んでいる地域では再考の余地ありだと思う。

06.jpg
先日食した、喫茶店の珈琲ゼリー(夏季限定)
posted by 島根 at 19:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 盆子原
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