「みかん花のハチミツ」は養蜂マイスターの手で [2009年07月07日(Tue)]
![]() ミツバチという小さな昆虫が花にとまり、その身体を通して生まれる黄金色の蜜。一万年以上もの昔、人々はこの甘い蜜を、大気から露のように生まれてくる神の恵みだと崇めていました。 現在では、栄養価の高い食品というほかに、殺菌、消炎、造血などについても研究が行われているようです。 日本でハチミツの生産が始まったのは、なんと飛鳥時代。 やがて時代が下り、西洋ミツバチが輸入されて養蜂技術 が進み、昭和40年には8,495トンものハチミツが生産され ていました。 でも現在はその3分の1まで減少し、国産ハチミツのシェア は全消費量の5%を割っているそうです。・・・そんな零細業 界ですが、しまなみ海道で結ばれた愛媛県の島々にも、あ わせて8〜9軒の養蜂を営んでいる人がいます。 「蜂? そりゃカワイイわい。」と話してくれたのは、大三島 上浦町の藤原清司さん(70才)。 ![]() きた友人に「蜂を分けてやるから木箱をもって来い。」と誘 われたのがきっかけでした。 当時はお金も無く、買う物も 今のように溢れておらず、自給自足は当たり前の時代。 甘い物も欲しかったし、「ハチミツは体にいいぞ」と聞かされて、木箱をひとつ作り友人の元へ出かけました。タダでくれると思っていたところが、結構な金額を請求されてビックリ。いまさら 「要らん」 とも言えず、虎の子をはたいて蜂を持ち帰ったそうです。 「でも、それが良かったんかもしれん。」と、藤原さんは昔を振り返ります。 「真剣に世話して、3年後には、独学でようやく蜂を2箱に増やすことが 出来たんよ。コツが分かると、面白味が出てきてなぁ・・・」 その後、プロの養蜂家との出会いもあって、養蜂の世界へと踏み込んで いったのだそうです。 ![]() 「ひとつの巣に女王蜂は一匹。働き蜂は全部メスで、幼虫や女王さまの世話係、門番、蜜集めの仕事をして2〜3週間ほどで死ぬ。」 「オス蜂は少数で繁殖だけの目的で生まれるんやけど、女王蜂と交えるのはたった一匹だけ。その直後に死んでしまう。」 「ほかのオス蜂は、蜜や花粉をもらってしばらく巣で暮らすけど、 そのうち巣から追い出されて死んでしまうんよ。はかなかろ?」 女王蜂だけが生命を謳歌するのかと思いきや、 「今朝は、古い女王蜂を4〜5匹潰してきた。」と藤原さん。 「えっ!女王蜂がおらんかったらどうなるんですか?」と驚くと、 ![]() ・・・飼われた女王様もつらい世界ですねえ。 今、世界の各地で蜜蜂の大量失踪や大量死の現象が起こり、農家が大打撃を受けているそうです。 藤原さんの養蜂場では、10年程前から蜂の体にダニがつき始めたことが、今一番の問題だそうです。 中国から黄砂に乗って飛んでくるダニは、人に例えるとソフトボール ほどの大きさもあり、これが蜂に吸い付くとお陀仏になるんだそうで す。深刻化する前に手を打つ必要に迫られています。 「もし蜂が地球上からいなくなると、人類は四年以上生きられない」 ・・・アインシュタインの予言の一説です。 蜂は作物の受粉に深く関っていて、私たちが口にする食品の 三分の一はその助けを借りたものだそうですから、あながち 大袈裟ではないかもしれません。 ところで、ハチミツといえば「レンゲ」が主流でしたが、減反や 農業技術の変化で 「レンゲ蜜」 は減っているそうです。 でも藤原さんが作るハチミツはミカン蜜。 ![]() 遠方のお得意さんも「藤原さんのハチミツに出会ってからは、もう他のには手が伸びません。」と太鼓判を押しているそうです。 一匹の蜜蜂が、短い一生をかけて集めるハチミツは、なんとティースプーンでたったの一杯にしかすぎません。 藤原さんの「愛情」と、しまなみの「恵み」にあふれたハチミツは、ひときわ味わい深く貴重な味がすることでしょう。 【フジワラ養蜂場】 794-1403 愛媛県今治市上浦町甘崎1986 代表 藤原 清司 TEL0897-87-2347 Fax0897-87-3650 http://www.island83.jp/index.html Reported by Kazunari Utsunomiya |























僧侶のような雰囲気をかもし出す小田浩成(こうせい)さん(62歳)。

「でべそおばちゃんの店にようこそ!」
通常、自宅の既存の台所を活用し、食事を提供する形態では
レモンの風味がただよう料理は絶品。
料理の締めくくりは、レモンゼリーとレモン紅茶。
(でべそおばちゃんの店)
初めての岩城島でのサイクリング。
さて、私たち一行がまず目指すことに決めたのは、

石文化を発信しようと

大島に『できかけ教室』という場所がある。古民家風の平屋。『A3文庫』という学習塾と、塾長・吉井游児(ゆうじ)さんによるアート活動の場などになっている。
「10年ほど前まで儂(わし)は、松山市周辺でグループ展に参加したり、個展も開催したりしてみて、それはそれでけっこうオモシロかった。けれど、正直言うと、儂らの作品の性質からして、搬入搬出時などのおびただしい労力や思い入れは、たかが2週間程度の開催期間では、まるで引き合わないのだ。やがて儂は、自分自身のメディアを持ちたいとマジで考え始めた。数年を経て自分のイメージにほど近い道ばたに建つ『できかけ教室』を作りはじめた。こちらは、既存の美術館と比べ、地元の人たちを除きマグレの来場者だが、開催期間等の時間的制約からは完全に自由。
上記から、吉井氏の人となりが伝わると思う。長期企画展の作品は、屋外や壁などを利用して展示されているため、道ばたからよく見える。そのまま通り過ぎてゆく人もあれば、わざわざ引き返して立ち寄る人もいるそうだ。吉井さんがいらっしゃれば、作品に込めた思いなどを教えてくれる。しばし吉井ワールドに浸ってみてはいかがだろう。解説後、軽い頭痛を覚えながら改めて観ると、妙に納得して吉井ワールドに はまってしまうだろう。入場は無料。
呆丹窯(ほうたんがま)の主・重松史二(ふみつぐ)さんのプロフィールに記されていた言葉。

不景気の波は、芸術の世界も直撃していて、知り合いのギャラリーが相次いで閉館したこともあり、以前のようなハイペースで作品が売れることはないそうだ。
大島にある福蔵寺 15代目住職・河野之伴さん(51歳)は、15年間のサラリーマン生活をへて、家業であるお寺を継がれた。「サラリーマンをしていると色色って、ぐるっと回って結局 落ち着くことに落ち着いた感じかな…」と河野ご住職は笑う。