産業遺産を秘めた“四阪島” [2009年11月12日(Thu)]
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みなさん、四阪島をご存知ですか?
しまなみ海道の大島から、南東へ約10kmの沖合いに浮かぶ島です。 ![]() 新居浜市の山中に、日本四大銅山の一つといわれた別子銅山が開抗したのは、 1691年(元禄4年)。今から320年近く前、江戸時代が3分の1ほど過ぎた頃でした。 銅を精錬する際に、有害な亜硫酸ガスが発生します。 それは人体や環境に深刻な被害をあたえるため、 精錬所は、山から海岸へ、そして無人島へと 時代とともに移転して行きました。 明治38年、住友が四阪島を買いとり、そこに精錬所が移されました。 無人島だった四阪島は、これを契機に大きく発展を始めます。 島を埋め立て、社宅を作り、学校が建ち、商店街ができ、 海底ケーブルが通り電気も点きました。 最盛期の大正時代には、人口は5500人を越え、日本一の銅精錬所となりました。 ですが、精錬所を四阪島に移設したことは、その煙害がかえって 広範囲にひろがるという皮肉な結果を招いてしまいました。 住友はその煙害の克服に向けて多額の費用をかけ、研究を重ねてゆきます。 数々の試みを繰り返し、大煙突から吐き出される硫酸ガスが止まったのは 昭和14年のことでした。近代技術を注ぎ込んだ硫酸処理装置が、 ようやく煙害問題を克服したのです。 四阪島を開島してから、40年の月日が流れていました。 かつて繁栄を誇った四阪島、現在の人口はゼロ。 工場の一部は今も稼働中で、50人ほどの工員が会社所有の船で 新居浜市から通っているのみです。 ![]() 木立に囲まれた島の中には今でも、階段状の社宅跡、 商店街、病院、学校、神社・寺院、娯楽施設などが、 ある日を境に、時間を止めたままのかたちで残っているそうです。 実はこの四阪島、 一般航路が無く、観光で訪れることは出来ません。 社有地のため、上陸することも出来ません。 今回、自分は観光業に携わる方々に同行させてもらい、 チャーター船で行って来ました。 上陸は出来ないのですが、海上から島をぐるりと回って見るだけでも その迫力と、歴史的な重みがヒシヒシと伝わって来ます。 開坑以来、270年間掘りつづけられ、住友財閥の基礎をつくった 別子銅山。その銅を精錬し続けた四阪島。 その工業化の恩恵を受けて、今私たちは暮らしています。 ![]() 四阪島にそびえる「大煙突」を、公害問題の象徴と見るか、 日本近代産業化の名残りと見るか、それは訪れる人次第でしょう。 Reported by Kazunari Utsunomiya |






















































