
前回は、聖徳太子像からよりよく生きる方法を
考えてみようと思いました。
そして、出会った言葉は、
世間虚仮(せけんこけ) 唯仏是真(ゆいぶつぜしん)
(世間は虚しい仮のもので、ただ仏のみが真実である)
今回は、この世間虚仮のことを考えてみたいと思います。
☆
聖徳太子の時代、斑鳩(いかるが)の暮らしは
どのようなものだったのでしょう。
春になれば野原には美しい花が咲き、
木々の緑に風がそよぎ、
小川には小魚が、
秋になれば木の葉が美しく紅葉したことでしょう。
雨や嵐の日もあれば、
青い空から暖かい陽光のふりそそぐ穏やかな日もあり、
夜になると満天の星空が・・・・・。
それなのに、この世は仮の姿。
人の世の出来事は!
歴史の年表を開いて見ましょう。
587年、蘇我氏と物部氏との争い、物部氏滅ぶ。
592年、蘇我馬子が崇峻天皇を殺害。
直接に手を下した東漢直駒も馬子によって殺害される。
593年、聖徳太子が20歳で摂政となる。
権力争いは、その後も続きました。
643年、山背大兄王らが蘇我入鹿に攻められ斑鳩宮で自殺。
645年、中大兄皇子・中臣鎌足らが蘇我入鹿を大極殿で殺害。
入鹿の父蝦夷は自殺。
658年、阿部比羅夫が蝦夷を討つ。
有間皇子が謀反の疑いで殺される。
672年、大海人皇子が大津京で大友皇子を滅ぼす(壬申の乱)。
673年、大海人皇子が即位して天武天皇となる。
『日本書紀』が編纂されている時代にも。
686年、天武天皇没。
大津皇子が謀反の疑いで捕らえられ絞殺。
『万葉集』には、大津皇子の哀しい歌が残されています。

大津皇子、死を被りし時に、
磐余(いはれ)の池の堤にして涙を流して作らす歌一首
ももづたふ磐余の池に鳴く鴨を
今日のみ見てや雲隠りなむ
(磐余の池に鳴いている鴨を、今日を限りに見て、
自分は死んでいってしまうのだろうか)
『和歌の解釈と鑑賞事典』井上宗雄・武川忠一編より
7世紀は古代の天皇国家の完成期。
皇位継承を中心とする種々の政争が相次ぎました。
山背大兄皇子・古人大兄皇子・有馬皇子・大友皇子・大津皇子など政争のうちに若くして死んでいった皇子のいかに多かったことか。
およそ1世紀の間に起こった悲しい出来事です。
庶民の暮らしはどうだったのでしょう。
世の中の道

山上億良(660〜733年)の残した歌があります。
『万葉集』にある長歌です。
少し長いのですが、とても大切だと思いますので引用します。
「貧窮問答歌の歌一首 あはせて短歌」
風交じり 雨降る夜の 雨交じり
雪降る夜は すべもなく
寒くしあれば 堅塩を 取りつづしろひ
糟湯酒(かすゆざけ) うちすすろひて・・・・・中略
(風まじりの雨の降る夜の、さらに雨まじりの雪の降る夜は、
どうしようもなく寒いので、
固まった塩を少しずつ取りかいてはなめ、
糟湯酒をすすりながら・・・・・)
我よりも 貧しき人の 父母は 飢ゑ寒ゆらむ
妻子どもは 乞ひて泣くらむ
この時は いかにしつつか 汝が世は渡る・・中略
(自分よりも貧しい人の父や母は腹をすかせて
寒い思いをしていることであろう、
妻や子どもは食べ物を欲しがって泣いていることだろう。
このような時は、どのようにしておまえさんは
世の中を過ごしていくのか)
以下現代訳の歌意で、
天地は広いというけれど、
私に対しては、狭くなってしまったのだろう。
日月は、明るいというけれど、
私に対しては照ってはくださらないのでしょうか。
人々が皆そうなのであろうか、
あるいは、私だけのことなのでしょうか。
たまたま人間として幸運にも生まれてきたのに、
他人と同じに自分も労働しているのに、
それなのに、綿も入っていない布の袖なしの、
海草のようにぼろぼろに垂れ下がっている、
ぼろ衣ばかりを肩にかけて、
つぶれて曲がった小屋の中で、
土の上に藁を解き敷いて、父や母は枕の方に、
妻や子どもは足の方に寝かせ、
囲みあって悲しみ溜め息をつき、
かまどには煙も立たず、
米甑(こしき:米を蒸す道具)には蜘蛛が巣がかかって、
御飯の炊くこともすっかり忘れてしまって、
ぬえ鳥が細々とした声で鳴くように、
細いうめき声を立てているのに、
まるで「ただでも短い物の、さらにその端を切る」と
いうように、笞(むち)をもった里長(さとおさ)の声は、
寝屋処までやって来て呼び立てている。
――これほどまでどうしようもないものだろうか。
世の中の道というのは。
最後の嘆きは、胸を打ちます。
“かくばかり すべなきものか 世の中の道”
短歌が続きます。
世の中を厭しとやさしと思へども
飛び立ちかねつ鳥にしあらねば
(世の中を辛いと思い、恥ずかしいと思うけれども、
飛び立って遠くへ行くことができないことよ、
鳥ではないから)
『和歌の解釈と鑑賞事典』井上宗雄・武川忠一編より
貧窮を克服できない世の中というものは恥ずかしい。
億良は深く考えます。
「どうしょうもないもの」が世の中かと。
現実的に貧窮の救済方法を見出せなかったこの世の中と自分。
それをどうしても、“恥ずかしいと思う”。
億良はさぞやせつなく辛かったことでしょう。
ここにえがかれている農民の姿は、
特別な一部の人たちだけのものではなかったようです。
税を払えない人々は土地を捨て、逃げるしかありません。
この歌は、貧窮を救う立場の国司である億良が詠んだのです。
国司でも救済することのできないほどの貧しさ。
歌には億良のくやしい気持ちが現れています。
政治に深くかかわっていた仏教も、
儒教的政治理念を掲げていた政府も、
何ら庶民の貧窮の苦しみを救済することはできなかったのです。
考えてみれば、
聖徳太子は、
このような世の中を、
少しでもよくしようとする理想の人として
語り継がれてきたのかもしれません。
その聖徳太子が推古天皇に講じたとされる
仏教の教え『法華経』。
その『法華経』を信じていた20世紀の詩人で童話作家の
宮沢賢治は次のように言いました。
世界がぜんたいに幸福にならないうちは
個人の幸福はあり得ない。
(『農民芸術概論綱要』)
賢治がこのように考えたのは、
「この現世の人間世界は、どうしようもなく地獄である」
と認識していたことの裏返しだといわれています。
白蓮のごとく

『法華経』を仏教の梵文(ぼんぶん)原典から漢訳した
鳩摩羅什(くまらじゅう)は、
題名を「妙法蓮華(みようほうれんげ)」と訳しました。
「正しい教えの白蓮」、
「白蓮のごとき正しい教え」です。
春がめぐりくれば花が咲き、
秋になれば木の葉が紅葉する、
その自然のありようが
法(のり)のみすがた。
その教えは、一切のものの
ありのままの真実の相(すがた)を
あらわすものといわれます。
「蓮華」は、
梵語の意味では「白蓮」。
白蓮とは白い蓮の花のことです。
白いものはなによりも清らかさをあらわします。
“蓮の花は美しい、
しかし、“蓮の根は泥の中に埋もれている。
それでいて、泥に染まらぬあの美しい花を咲かせる”と。
人は、生まれてから死ぬまで、
迷いの多い日々の暮らしの中で、
ともすれば喜怒哀楽に振り回されがちです。
それだからこそ、
美しいもの、清らかなものにあこがれ、
美しく、清らかなものを生みだすことができるといわれます。
仏教の教えの中に、
「煩悩即菩提」という言葉があります。
煩悩があるからこそ悟りも生まれる、と。
その悟りとはどのような境地をいうのでしょう。
次回は、
仏教の経典を求め、自らの命をかけて、
天竺(インド)にでかけた唐の僧・玄奘(げんじょう:三蔵法師)の
情熱に向き合いたいと思います。
孫悟空が登場する『西遊記』の世界です。

資料:
『和歌の解釈と鑑賞事典』井上宗雄・武川忠一編 笠間書院
『聖徳太子』田村圓澄著 中公新書
『仏教を歩く・聖徳太子』朝日新聞社
『スーパー日本史』益田宋・中野睦夫監修 古川清行著 講談社
『法華経を読む』鎌田茂雄著 講談社学術文庫
『日本美 縄文の系譜』宋左近著 新潮選書