• もっと見る

2008年12月15日

“四季おりおり”第二十四回 年の暮れ



年の市と大晦日

そろそろ「年の市」が立ち、お正月の用意が始まります。
年の市は、江戸時代から盛んになり、
多くの人が集まる神社やお寺の境内や門前に立つようになりました。

それではちょっと年の市に出かけてみましょう。

目を引くのは、粋な図柄のさまざまな羽子板です。

羽子板は、邪気や悪いものをはね(羽根)のけ、福をもたらすとして
年末に贈るようになったそうです。
歌舞伎の役者や美人などの押絵の羽子板。
日本特有の美しさにひかれますね。
今年は、オリンピックの金メダリストやノーベル賞受賞者、
日本の総理大臣やオバマ次期大統領等も登場し、
ニュースにも取り上げられていました。

大晦日ももうすぐです。
心身を悩ます煩悩(ぼんのう)を打ち払うという除夜の鐘を聞き、
年越しそばで長寿を祈りましょう。



「四季おりおり」も、とうとう一年を巡りました。
一月に、「春は友、夏は友、秋は友、冬も友だちです」と書きまし
たね。
これは江戸時代の俳諧師・芭蕉が言っていることです。

西行の和歌における、
宗祇の連歌における、
雪舟の絵における、
利休の茶における、
その貫道する物は一なり。
しかも、風雅におけるもの、
造化にしたがひて四時(しいじ)を友とす。

                           『笈の小文』

(西行の和歌、宗祇の連歌、雪舟の絵、利休の茶などに
貫いている根本の精神は共通するものがある。
造化という「天地宇宙をつくり動かす根源の力」を信じ、
四季を友とした)

四季を友として生きていくことは、
人生を豊かにするために大切なことです。




新たな風景に向かって

私たちは、月や太陽の周期を基にして一年、一月、一日、二十四時間、六十分と、分割して暦や時計を生み出し社会生活を送っています。

忙しく過ごしていると、私たちの喜怒哀楽に関係なく、
時間や季節は自動的に進んでいきます。
気がつくと、機械的に明日が今日になっていませんか?

季節を楽しむ想いがなくなると、暦は日々の行事を進めるためだけのものとなってしまいます。



五官を鍛えましょう

古代人は春の訪れを、
野原に漂う花の香りで気づいたといわれます。

意識してもしなくても、
私たちは大自然のリズムにそって生きています。

さあ今、カーテンを閉じ、電灯を消して、
暗闇の中に自分を置いてみましょう。
胸の鼓動は聞こえますか。
耳を澄まし、目を凝らし、鼻を利かしてみましょう。
全身の皮膚感覚も使ってみましょう。
暗闇は母の胎内の記憶をよびさますはずです。

五官(全感覚器官)を使って、気配を探りながら暗闇を歩いてみましょう。
暗闇のなかで、自分のいるところを再発見してみましょう。

あなたの部屋は、原始の森。
いや、21世紀のあなたの森です。

窓を開けて夜空を眺めてみましょう。
冬の空は澄んでいます。
星も見やすくなっていることでしょう。

晴れた日の夜、
満天の星空を見つめ、感動したことはありませんか。

凄いと想える美しさは、
なぜか涙を流させてしまうことさえあります。

涙は宇宙と共鳴する私たちの心のかけ橋です。
心のかけ橋は、五官を鍛えることによってかけることができます。

街が明る過ぎて星が見えないとき、
そんなときは、早く眠ってしまうことです。
そうすれば、朝早く目が覚めるでしょう。
太陽とともに朝を迎える。
これも、自然のリズム。
星は夜に輝き、人は昼に輝きます。


「私は嵐のくる何時間も前に、においでそれが分かります。
始めは、私の皮膚が待ち受けるようにかすかに震えるのに気を付け、鼻の穴に気持ちを集中させます。
嵐が近づくと、私の鼻は広がり、
洪水のような土のにおいが濃くなっていくのが感じられます」

と語っているのは、かのヘレン・ケラーです。

ヘレン・ケラーはちょっと特別かもしれませんが、
大自然のリズムにそって生きれば、
誰でも自然の変化に敏感になるかもしれません。

原始時代の森では、生きるためにヒトは自分の感覚だけが頼りでした。
苛酷な環境の中ではちょっとした現象でも、
読み違えることは死に直結していたからでしょう。
感覚を研ぎ澄ますことは、
生きるための基本的条件だったのです。

現代に生きる私たちも、五官を常にリフレッシュしておきましょう。
そうすれば、自然の変化を全身で感じ取ることができそうですね。
「私たちの眼や鼻、耳、口などの感覚器官は、
何百万年という気の遠くなるような時間の流れのなかで、
しかも生と死の瀬戸際で、研ぎ澄まされてきた貴重な宝」
なのです。


人間は様々な時代を乗り越え、
現代まで命を生きつないできました。
私たちも子どもたちに、
「四季おりおり」の楽しみを、伝えていきたいものです。


今年一年おつき合いいただきありがとうございました。

来年は新しいテーマを通して、お会いすることになります。
どうぞお楽しみに!





『造化の心』栗田勇著 白水社

『日本人のしきたり』飯倉晴武著  青春出版社

『日本人の心の歴史』唐木順三著 筑摩叢書

『気の人間学』河野十全著 青葉出版
posted by 事務局 at 11:04| Comment(0) |

2008年12月01日

“四季おりおり”第二十三回 冬の美しさ



雲の掛け布団

12月になると日照時間も短くなりますね。
大気も冷えてきます。
晴れた日の夜は、月夜の大霜といわれるように冷え込みも一層強くなります。
「雲の掛け布団」がないからです。
陽光で暖かくなった地表の熱は赤外線として大空に放射されます。
雲はその熱を吸収して地面に戻してくれるのです。
このように「雲の掛け布団」があることは、地表の暖かさを守ってくれます。

風の弱い夜は、冷気が地面にとどまるので、気温がぐっと下がり、霜もよく降るようになります。
大切にしている鉢植えは地面に置いたままにしない方が良かもしれません。



冬景色

寒くなると周りの風景も様変わりします。
公園の木々も葉を落とし、木立の向こうにある建物も姿を現します。
あゝ、あのような家が見えるのだと気づくのもこの季節。
春夏秋冬、さまざまな自然の美しさを見せてくれながら
季節は巡っていきます。

枝にゆれる一枚の紅葉が、風に吹かれて今にも散りそう・・・
しみじみとした想いにとらわれてしまいます。

花が散り、葉が落ちる季節の美しさや、氷や雪景色の美しさは、
文学、連歌、能、茶の湯を愛する人々の心に深く影響をあたえています。



冬枯れのけしきこそ、秋にはをさをさ劣るまじけれ。
汀(みぎは)の草に紅葉の散りとどまりて、
霜いと白うおける朝、
やり水より煙の立つこそをかしけれ。


                         (徒然草第十九段)

(冬枯れの景色というのは、秋に比べても少しも劣ってはいない。
水際の草に紅葉が散り残り、霜がすごく白く降りてくる朝は、庭に引き
入れた細い流れのやり水から煙が立っているのはとても良いものだ)

と、冬の風情をほめているのは兼好法師。

朝早く公園を散歩すると、昨夜の雨にぬれた木の幹から白い煙が立っていました。
逆光の中で煙立つ大樹のなかに立っていると、壮麗な感じがしてきます。

冬の朝、空気が冷たいからこそ起きる現象ですね。
朝日に暖められた幹から蒸発する水蒸気が、
冷たい空気にふれて細かい水滴になり、白く見えるのです。

水は季節によってさまざまな顔をみせてくれます。



水の持つ表情を、四季おりおりに言い表した心敬という人がいました。
僧侶として権僧都までになった心敬は、また連歌に堪能でした。

水というものは四季折々の情感をもっている。
心ののどかな春の水も、なんとなく不便(ふびん)なところがあるし、
夏には冷えた清水に情は深いし、
秋の水となれば、心を冷冷清々とさせてくれる。
冬の水となれば、これは氷に尽きよう。
薄氷、氷柱、露霜などの風情は、まったく艶(えん)そのものである。


                         『心敬法師・ひとりごと』


冬は氷になった水が良いと言っていますね。
その美しさは艶だと。



子どものころ、池の氷や軒下のつららを見て
とても美しいと思ったことはありませんか?
思わずつららをポキッと折ると、痛いように冷たい。
あっという間に手の温もりで溶けてしまいましたね。

氷のかけらは魔法の宝石。
その美しさは次の瞬間には溶けてなくなってしまいます。
まるで魔法をかけられているかのように。
もう消えてしまった、透明で、冷たくて、あやうい氷の美しさ。

という言葉は、みやびで華麗な美しさを意味していました。

しかし、心敬の言うはそれまでと違う意味をもっていました。
みやびなもの、はなやかなもの、あでやかなものではなく、
冬の美しさを、枯淡で寒々とした氷の風情を、
心敬はあえてと表現したのです。

心敬は、応仁の乱の時代に生きました。
「昨日の主君は今日の敵、今日の友は明日の仇」となる時代。
十年も続く戦、京の都が灰燼に化すほどの、まるで地獄のような時代。
王朝文化から伝わった「あはれ」「はかなし」の心情も、
平家物語の「無常」の美感もなく、
「無常の風が無常のまま吹き荒れていた」のです。

そういう中にあって心敬は、わずかな生きがいを幽玄と艶の美しさを愛
することに求めたのです。
冬の美しさを、冷え寂び(ひえさび)と表現することによって・・・。
それを深めることで、自らの生き方に、さらに連歌にと結実します。
ふるまいやさしくして、
幽玄に心をとめなさい、
人の情けを忘れずに、
と説くのです。

辛い人生の日々のなか、氷のあやうさを美しいと感じた心敬。
冷え寂びの美を見つめることで、人生を喜びに変えたい。
日々をなるものにしたかったのではないでしょうか。

厳寒の冬を過ごせば、春の到来を喜び、
春をいとおしむことができるのです。
季節の春夏秋冬を全身で感じながら、
人生の春夏秋冬を自在に生きることができるのです。



12月7日は暦の上で大雪です。
雪が多くなる時期に入ります。

日本にはさまざまな雪の暮らしがあります。
大雪は豊作の兆しともいわれます。
雪が春から夏にかけて豊かな水を用意しますから。
雪国は豊かな水に恵まれ、独特な文化や産業が育まれます。
しかし、豪雪から根雪となるような生活は大変でしょうね。
艶なるものと楽しんで見ることができるでしょうか。




資料:
『季節の366日』倉嶋厚著  東京堂出版

『日本人の心の歴史』唐木順三著 筑摩叢書

『花鳥風月の心』西田正好著 新潮選書

『徒然草』西尾 実・安良岡康作校注 岩波文庫

『季語の底力』櫂美知子著 生活人新書
posted by 事務局 at 10:41| Comment(0) |

2008年02月15日

“四季おりおり”第四回 梅の花:春告草

梅まつりの季節です。



春を呼ぶ花

長い冬が終わりを告げる頃、咲き始める梅。





梅一輪一輪ほどの暖かさ

             嵐雪







嵐雪は江戸時代前期の俳諧師。
松尾芭蕉の高弟です。

梅一輪には一輪ほどの、わずかな暖かさがある。寒さはまだ厳しいけれど、確実に春の予感をとらえた、素晴らしい歌ですね。

梅とともにやってくる春。

凛として、一輪でも存在感のある梅の花。

花言葉は「高潔、忠実、気品」です。



梅の宴

梅は、奈良時代、遣唐使が中国から薬用として持ち帰ったのが最初と言われています。

そして、たちまち日本人の心をとらえた梅の花。かの『万葉集』には百数十首、梅が詠われた歌が載っています。

天平二年(730)、大伴旅人は大宰府の長官であったとき、梅花の下で宴をひらきました。
招かれた山上憶良は詠います。


春されば まず咲く宿の 梅の花
  独り見つつや 春日暮さむ



主人の大伴旅人の歌は、


わが園に 梅の花散る ひさかたの
 天(あめ)より雪の 流れ来るかも




どのような宴だったのでしょうか?
梅の花に見入って歌を詠みあう万葉の男たち。

「花見」と言えば、桜ではなく梅のことだった時代が見えてきます。

そう、はるかな万葉の時代、春の花といえば「桜」ではなく、まず「梅」だったのです。

当時の人びとは梅の花を手折っては、髪に挿し、袖にいれ、杯に浮かべて楽しみました。
それだけではありません。病にかかって、疲れの癒えない大伴家持は、体力と気力の回復を願って詠います。

春の花 今は盛りに 匂ふらむ
 折りてかざさむ 手力(たじから)もがも



花をかざして健康と長寿を祈る。それは、この美しい花には神霊が宿っていると思われていたからです。

そう言えば何事につけ、私たちは大切な人に花を贈ります。それは、花の持つ生命力に自らの願いを託しているからですね。



梅の香り

時代がくだって平安時代になっても、「梅」は「春」の季節感を代表するものであり続けました。特に人びとに愛される理由となったのは、その芳しい香りです。

花といはば、かくこそ匂はまほしけれな

「花というならこのくらいいい香りがしてほしい」とは、『源氏物語』の主人公、光源氏の台詞です。

『古今集』にもこんな歌があります。
梅を贈る時に添えられた歌です。

梅の花を折りて人におくりける

君ならで 誰にか見せむ 梅の花
  色をも香をも 知る人ぞしる
               紀友則



美しい梅の色も素晴らしい香りも、本当にわかってくれる人にこそ見せたい。
そして、自分の真価も知る人ぞ知るのだという思いを花に託して詠っているのです。

歌うだけでは物足りず、人びとは梅の香りに似せた梅花という薫物(たきもの)を求めました。

薫物とは香料の配合によって好みの香りをつくり、その芳香を楽しむものです。

黒方(くろぼう)、梅花(ばいか)、荷葉(かよう)、侍従(じじゅう)、菊花(きっか)、落葉(おちば)と名付けられた「六種の薫物(むくさのたきもの)」と呼ばれるものがあります。四季の香りをこめたものです。

梅花は特に春の香として人気のあるものでした。




心を繋ぐ

梅の香りと言えば、こんな物語もあります。
久しぶりに訪ねた家で、おそらく恋人であった
女主人に恨みごとを言われた貫之は、こんな歌をつくりました。

ひとはいさ 心もしらず ふるさとは
 花ぞむかしの 香ににほひける 
                 紀貫之


「そうはおっしゃるが、さあ本当はどんなものものですか、お心のうちはよくわかりません。けれども、この家の梅は、私を疎遠(そえん)にしないで、昔ながらに香っているじゃありませんか」


返歌はこうでした。

花だにも 同じ香ながら 咲くものを
 植ゑたる人の 心知らなむ


「花だって、同じ香りで咲く誠実さを持っているとおっしゃるのに、この花を植えた私の気持もわかってくださらないの」

なかなかのやりとりですね。最後には、二人は仲直り。梅の香りが歌を通して心を繋ぎます。




雅(みやび)な小学唱歌・「夜の梅」

『古今集』には、紀貫之の友人である凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)も歌を寄せています。

春の夜、梅の花をよめる

春の夜の 闇はあやなし 梅の花 
 色こそ見えね 香やはかくるる


春の夜に梅の花を見ようと思ったら、あいにく
月もなく何も見えない。しかし、香りは隠れようもなく薫ってくるのです。

だから、花にとっては夜の闇は「あやなし」(意味がない)なのです。
今と違って、夜は暗いから、匂いも強烈に感じられたのでしょう。

花を薫物の「梅香」をたきしめた女性と見立てる説もあります。何とも妖しく美しく、かつ知的な遊び心が感じられる歌ですね。


その後千年、梅の香への想いは今でも受け継がれているようです。

大正三年、「尋常小学唱歌」にも『夜の梅』がありました。

梢(こずえ)まばらに咲初(さきそ)めし、
花はさやかに見えねども、
夜もかくれぬ香にめでて、
窓はとざさぬ闇の梅


当時の子どもたちは、とても雅(みやび)な歌をうたっていたのですね。

今の子どもたちはいかがでしょうか。




資料:

『花を旅する』栗田勇著 岩波新書

『和歌の解釈と鑑賞事典』井上宗雄 武川忠一編
笠間書院
『芭蕉歳時記』復本一郎著 講談社選書メチエ

『入門歳時記』大野林火著 角川書店

『源氏の薫り』尾崎左永子著 求龍堂

『季語の底力』櫂未知子著 生活人新書
         
『花鳥風月のこころ』西田正好著 新潮選書
 
posted by 事務局 at 09:00| Comment(0) |

2008年02月01日

“四季おりおり”第三回 春を運ぶ心

心は弾んでいますか
2月3日は節分、4日立春、7日旧暦元旦



セツブンソウ



春を運ぶ「オニ」

古代日本では、オニは春を運んでくれる年神様であり、穀物神だったそうです。

その神は、新しいトシ(年・穀物)のタマ(霊・魂)を運んでくるとのこと。

それも、ちょっとかわった姿で現われると。

蓑笠をかぶり、顔も黒くぬったような姿。
大晦日の夜にやってくるナマハゲに似ていますね。

いつのころからか、≪異形≫の姿で現われるものは鬼とみなされるようになったのでしょう。



節分 


節分とは、季節の変る節目の前日のこと。
年間4回ですが、今は立春前日の節分だけが行事として残っているのです。

鬼を追い払う行事をたどると、奈良時代に中国からもたらされた追儺(ついな)という儀式にゆきつきます。
大晦日に、鬼の面をかぶった人を桃の木で作った弓矢で追い払い、邪気や病を打ち払うというもの。
平安時代には宮中で盛んに行われるようになりました。




豆まきの行事


豆まきは穀物信仰を背景とした清め祓いの行事のようです。

古来から、豆(大豆)は大事な穀物。

豆には霊力があると考えられていたのです。

に豆をあてるのは、神様と人間の良きコミュニケーション。

旧年中の穢(けが)れた古い魂を穀物=豆につけ年神様に返すのです。

そして、新しい年齢の数だけ新しい年魂=豆を食べることで、清浄な魂を身体に入れ、病に勝つ力をもらうということなのです。

まさに煎った豆は福豆。

そういえば、「豆をまく」のは、農作業で畑に豆をまくしぐさと同じですね。
そこには豊作を願う祖先からの心がこめられています。

だから、豆をぶつけられても、は年神様として福をもたらしてくれるのですね。

 
節分の翌日は立春です。


立春 春立つ日



 春たちける日よめる
袖ひぢてむすびし水のこほれるを
 春立つけふの風やとくらむ 
  (紀貫之)


『古今集』にある春のはじまりを告げる歌です。

「袖をぬらしてすくった水は凍ってしまっていたけれど、今日吹く春風にとけてゆくでしょうか」 

袖をぬらしてすくった水には         
楽しく遊んだ思い出の夏、
過ぎてきた秋、
水を凍らせる寒い冬、
氷や雪がとけ始める春、
四季が春風に託して詠われているのです。





春の風といえば東風(こち)




東風吹かば にほひおこせよ 梅の花

あるじなしとて 春を忘るな



菅原道真の有名な歌。

切ない想いがこめられています。

文章博士(もんじょうはかせ)で、右大臣までのぼりつめた道真。
しかし、突如大宰府に左遷されることになってしまったのです。

家を去るとき、「春の東風が吹いたならば、香りを風に乗せて大宰府に送っておくれ。梅の花よ。お前の主人がいないからといって、どうか春を忘れてくれるな」と詠ったのです。

梅に語りかける道真。

生き別れになる家族への想いも、大宰府で詠んだ漢詩に切々と表われています。

消息寂寥三月餘  
便風吹著一封書
略・・・

消息寂寥(しょうそくせきれう)たり 三月餘(さんげつよ) 
便風(びんぷう)吹きて著(お)く 一封(いっぷう)の書

  
妻からやっと手紙を受けとると、紙に包んだ生姜や、精進の食べ物として竹篭につめた昆布が添えられていました。

夫の身を案じる妻の手紙には、自らの飢え、寒さや苦しみは少しも書かれていない。そのことがかえって道真の心を苦しめたようです。

妻子の飢寒(きかん)の苦しびを言わず
これがために還(かへり)て愁へて 余(われ)を懊(なやま)し悩すなり





大宰府天満宮には、道真を慕い、飛んできたといわれる梅があります。
飛梅(とびうめ)といわれるもの。
あの庭の梅でしょうか。

道真の妻も飛べることなら飛んで行きたかったことでしょう。

梅の花とともに家族と過した時の流れはかけがえのないもの。

一本の梅の木も家族。








参考資料:

『日本のしきたり』飯倉晴武著 青春出版社
『現代家庭の年中行事』井上忠司著
講談社現代新書
『名句 歌ごよみ 春』大岡信著 角川文庫
『日本の詩・歌その骨組みと素肌』大岡信著
講談社
『古神道は甦る』菅田正昭著 たま出版
『花を旅する』栗田勇著 岩波新書
『和歌の解釈と鑑賞事典』井上宗雄・武川忠一編
                   筑摩書院
posted by 事務局 at 01:43| Comment(0) |

2008年01月15日

“四季おりおり” 第二回 心と歌

お正月を元気で過ごされましたか。心身に新たな活力がみなぎっておられることと思います。




四季感覚

世界でも稀なほど四季のはっきりした国、日本。このように恵まれた地に生きる私たちは、昔からさまざまな想いを季節に託し、季節と共に生きてきました。
平安時代、清少納言が書いた『枕草紙』は、こう始まります。

「春は曙。やうやう白くなりゆく 山ぎは すこし明りて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。夏は夜…秋は夕暮れ…冬はつとめて。雪の降りたるはいふべきにあらず」

 一日の時間の中で一番素敵なのは、春は夜明け、夏は夜、…冬は早朝(つとめて)」なのだそうです。

冬は早朝がよいのですね。今のように暖房設備が整っていない時代の寒さはさぞ厳しかったでしょうに、清少納言は冬の研ぎ澄まされた空気を愛していたのですね。艶やかな十二単(じゅうにひとえ)をまとって、白い息にかじかんだ手をあたためながら、清らかな空気の中にたたずむ美しい女人の面影が浮かんでまいります。春ならば春、冬ならば冬…めぐりくる季節を丸ごと五感で味わおうとする古人の心、見習いたいものです。


小正月


一月十五日は「小正月」。この頃、行われるのが「左義長(さぎちょう)」と呼ばれる火祭りです。お寺や神社の境内で正月の門松やしめ飾りを燃やすのです。その煙に乗って、天に帰るのは年神様(としがみさま)。棒の先に刺した餅や芋、だんごなどを火であぶって食べると、その年は無病息災で居られるのだそうです。




食べ物といえば、十五日には、小豆粥(あずきがゆ)を食べる習慣もありました。そこで思い出すことがあります。

今から千年前、平安貴族の紀貫之(きのつらゆき)が、任地の土佐から京都に帰り着くまでを日記に記しました。
これが『土佐日記』です。承平四年(934)一月十五日の項を見てみましょう。
「十五日。今日小豆粥煮ず。口惜しく、なお日の悪しければ、ゐざるほどにぞ、けふ二十日あまり経ぬる。…」
よほど小豆が好きだったのか? それとも「小豆の赤い色が身体の邪気を祓う」という言い伝えを信じていたのか?
折り悪しく天候も悪化。小豆粥を食べ損ねた貫之は船足が遅いと周囲に当り散らしていたようです。
貫之の連れの女の子が歌を詠みます。

“立てば立つ ゐればまたゐる 吹く風と
波とはおもふ どちにやあるらん”

(風が立つと波も立ち、風がおさまると波もまた静まる。風と波とは互いに気心のあった仲良し同志なのかしら)

 なんとも可愛らしい歌ですね。紀貫之もこれで心がなごんだようです。


「いふかいなき者のいへるには、いと似つかわし」(幼い子の歌としては、ふさわしい歌です)と記しています。




人のこころ

小豆粥にこだわった紀貫之は、当時、有名な歌人でもありました。
『土佐日記』を書く三十年ほど前に、あの『古今集』の「仮名序」(かなじょ)を記しています。後世の文学や芸道に絶大な影響を与えた文章です。

やまとうたは、人の心を種として、よろづの言(こと)の葉(は)とぞなれりける。世の中にある人、ことわざしげきものなれば、心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて、言ひいだせるなり。花に鳴く鶯(うぐいす)、水にすむかはづのこゑをきけば、生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける。

歌とは人のこころを種として生まれ、かぎりない言の葉(言葉)となったもの。心に感じるものごとを、見るもの聞くものに託して歌にするのは生者の本能。人間はいうに及ばず、空に舞う鶯や水に住む蛙さえも、耳を澄ませば皆、歌を歌っているではないか。

力をもいれずして、天地(あめつち)をうごかし、目に見えぬ鬼神(おにがみ)をもあはれとおもはせ、男女(おとこおんな)のなかをもやはらげ、たけきもののふの心をもなぐさむるは歌なり。

「歌」は力を使わず天地をうごかし、祖先の霊も感動させ、男女の恋の成就にも手を貸し、勇猛な武人の心も慰める…。人と自然、見えるものと見えないもの、男と女…歌によってあらゆるものが仲良しになれるというのです。




歌によって心と心がつながっていく、これこそが“やまと”=“日本”のこころ。
ほら、よく耳を澄ませば、小鳥の歌う声ばかりではなく、草や木の囁きまでも聴こえてくるでしょう。











草の祈り

一月二十五日(金)に、日本文化藝術財団主催の「創造する伝統・音楽のきずな『邦楽最前線』」が催されます。その中で演奏される「草の祈り」(作詞:蓬莱泰三)は、戦場に駆りだされて命を落とした若い兵士たちの歌です。

“その日には
 その日には
 虫たちよ わたしの葉陰で いこえ
 鳥たちよ わたしの上で うたえ
 幼子たちよ わたしの花をつんで あそべ
 娘たちよ わたしの花をかざして おどれ”

 悲しみだけでなく、不思議な救いを湛えた歌です。四季はめぐり、死者も大地を通して甦る。そんな大いなる流れとともに、歌がある・・・。

 そういえば、15世紀、京の都を焼け野原にした応仁の乱のとき、その悲しみを、当時の連歌師・宗祇は次のように詠みました。

“草木さへ ふるき都の 恨みにて”

 季節がめぐっても、悲惨な戦だけはめぐってほしくありません。





 
資料:『土佐日記』三谷榮一訳注 角川ソフィア文庫
   
    『日本のしきたり』飯倉晴武 青春出版社

    『古今集・新古今集』大岡信著 学研M文庫
posted by 事務局 at 08:09| Comment(0) |

2008年01月01日

“四季おりおり”第一回 お正月

明けましておめでとうございます。


四季のめぐり

自然の力に育まれ、四季を感じ、元気に生きる。こんなにすばらしいことはありません。


春は友、夏は友、秋は友、冬も友だちです。

 
“春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて冷(すず)しかりけり”とは、道元禅師の悟りの心をあらわした歌です。

日本人は四季のめぐりの中、自然につつまれ、喜んだり、怒ったり、哀しんだり、楽しんだりして生きてきたのですね。


伝統の節目・お正月

数多くの年間行事の中でもお正月は大切な行事です。 

玄関に飾った門松は、年神様をお迎えするためのもの。

そこには清々しい空気がながれ、気がひきしまります。

「明けましておめでとうございます」と家族や友人と交わす新年の挨拶もすこし神妙な気分です。

そして、まわりのなにもかもがあらたまって見えてくるのも不思議です。



父がおせち料理をいただく箸の袋に、墨の色も鮮やかに家族の名前を書いていたのが思い出されます。

お屠蘇(とそ)は大好きですね。邪気を払い不老長寿になれる薬酒ですから。

それにお年玉。お正月一番の楽しみです。
お年玉は豊かな実りをもたらす年神様が運んでくださる贈り物らしいですよ。 

そして、書初め、初夢、七草粥(ななくさがゆ)と年のはじめならではのことが続きます。




   “君がため春の野に出でて若菜つむ    
             わが衣手に雪はふりつつ”




『小倉百人一首』にある光孝天皇の歌です。
七日にいただく七草粥(ななくさがゆ)に使う若菜を摘んでいるのですね。
雪の中、若菜を摘んでひとに贈り、そのひとの幸せを願うのです。
やさしい心づかいが伝わってきます。




春の七草は、せり、なずな、ごぎょう、はこべ、ほとけのざ、すずな、すずしろ。

若菜は薬草でもあり、新春に食すと邪気をはらい、病気をなくすと考えられていたのです。


         (はこべ)

お正月にはこのように年のはじめのせいか長寿を願うことが多いですね。
若菜を摘むことができるのも恵み深い自然の力によるものなのです。
新しい芽が出て、新しい命が生まれ、本当に「めでたい」ですね。

また、年のはじめにお参りすれば「めでたさ」が倍増するとのこと。では一句。


“花咲く樹 身にまとうてや 初詣”


初詣の原型は家長が社寺に詣で、新年から1年間、家の竃(かまど)に使う新しい火種をいただきにいくことにあったようです。

私たちの祖先は古代より火と水によって新春を迎えたのものです。ケガレを清め、煩悩(ぼんのう)をはらう除夜の鐘の音を聞き、魂が闇をくぐりぬけ、新しい火を点け、生まれ変わった命を迎えるのです。火はさらなる命を育みます。

<闇をくぐる>ということがとても大切なことだとわかってきます。真っ暗な闇の中、鼓動しか聞こえないとき、人は一気に太古の魂にもどるのではないでしょうか。
宇宙の闇は「母の体内で体験した世界に通じている」ともいわれます。
太古の闇が出現する大晦日の夜を過す時、そこには普段の日々ではなく、大晦日という特別な時間と空間が呼び覚ましてくれる自分がいるのです。

また、水も大切です。
元日の朝早く最初に汲む水を若水(わかみず)といいますが、この精気あふれる水を飲むと一年の邪気をはらうことができるといわれています。

 このように、お正月を迎えると、古代から受けつがれた私たちの心身は、自然に“心の眼”を見開いて大切なものを見ようとするのでしょう。
そのとき、いつも見ている何気ないものまであらたまって見えてくるのだと思われます。

元日は“いのちとこころ”の再生の日でもあるのですね。



自然を大切にするこころ

このような四季のめぐりの中で元気いっぱいに生きていくのが私たちの願いです。

最近は地球温暖化のせいなのでしょうか、「明日は、夏・秋・冬が同居する一日でしょう」という天気予報がながれることさえあります。
地球もびっくりしているのかもしれません。












 “形見とて 何か残さん 春は花 
     山ほととぎす 秋はもみじ葉”






と、子どもたちと一緒に手毬やかくれんぼして遊んでいた良寛さんが詠っています。

私たちはこの大切な大自然の四季を子どもたちにしっかりと残していきたいものです。



参考資料:
『日本の心を旅する』栗田勇著 春秋社

『日本のしきたり』飯倉晴武著 青春出版社

『「気」の人間学』河野十全著 青葉出版
posted by 事務局 at 00:00| Comment(0) |