
季節を表す言葉や行事が書かれている暦があります。
23日は処暑(しょしょ)。
長く続いた猛暑もようやくゆるやかになるのがこの頃。
処暑の名称の解釈は、天明7年(1784)の「暦便覧」によると、
陽気とゞまりて初てしりぞき
処(やすまん)とすればなり
暑さがやむという意味なのですね。
処暑のような季節を表わす言葉は1年の間に24個あり、二十四節気(二十四気)と呼ばれています。
立春、雨水、啓蟄、春分、清明、穀雨、立夏、小満、芒種、夏至、小暑、大暑、立秋、処暑、白露、秋分、寒露、霜降、立冬、小雪、大雪、冬至、小寒、大寒の二十四節気。
季節のめぐり
暦はもともと季節の移り変わりを知るためにつくられたもの。
人間は生きていくための食物を得るためには、季節のめぐりを詳しく正確に把握しなければなりませんでした。
季節というものは、自然界の様子の変化です。
その変化をとらえる原始的な方法は、気候や風物などを観察することからはじまります。
けれども年によって、気候の変化は早かったり遅かったりします。
そこで、より正確な季節を決めるために、空に見える星の様子と季節の関係を見極めようとしました。
昔から星と人間との関係は深いのです。
天体の動きによって変化していく時間や季節。
西洋文化の源流の一つである古代エジプトでは、ナイル川の洪水の後、畑に種をまきました。
肥沃な土と水がたっぷりと流れ込む時期を知ろうとして、最も明るく肉眼でよく見える恒星シリウスを観察したといわれます。
1年の間にぐるっと回って同じ所に戻ってくるシリウス。
その回転を計算すると、およそ365日になることに気づきました。

東洋では、中国の帝堯(ぎょう)の時代、書経の堯典に記されているのは、
日は中、星は鳥、以て仲春を殷(ただ)す。
日は永、星は火、以て仲夏を正す。
宵は中、星は虚、以て仲秋を殷す。
日は短、星は昴、以て仲冬を正す。とあります。
「その意味は日中(春分)、日永(夏至)、宵中(秋分)、日短(冬至)の日の夕暮れには、それぞれ鳥・火・虚・昴(ぼう)の諸星宿(中国式星座)が真南方向に来ているから、この事実によって季節(四時)を正しく知ることができる」というのです。(『暦』広瀬秀雄著より)
中国で生まれた暦の基本は、月と太陽の運行をあわせ持った太陰太陽暦(たいいんたいようれき)でした。
季節の移り変わりだけではなく、月の満ち欠けも知ることができる暦です。
太陰太陽暦
地球が太陽の周りを1回転する期間を1年としたのが太陽暦です。
季節の移り変わりを把握するためには、この太陽年の季節循環の日数を知ればいいわけです。
1年を365・25日と決めることによって、今日は1年のうちの何日目かということがわかります。
でも365日、あるいは366日として記憶しながら数え続けるのは大変ですね。
日を数えるのにもっと短くて、しかも暦に使える星はないものだろうか・・・と考えた。
幸いなことに、月の満ち欠けははっきりと目に見えます。
この月の満ち欠けの周期を1ヶ月として、その12ヶ月を1年とした暦を太陰暦といいます。
月の形と日付の関係はどのようになっているのでしょう。

毎月のはじめの日を朔日(さくじつ)といい、「ついたち」と読んでいます。
第1日目を「ついたち」というのは、「月立ち」の意味であるといわれます。
「ついたち」の時は新月です。実際は、新月は太陽と同じ方向にあるため地上からは見ることはできません。
「月立ち」というのは月の旅立ちの意味でもあり、この日から月の旅がはじまるのです。
第3日目ぐらいには、夕方の西の空に、細い三日月が見えます。それから1日1日と日が経つにつれて、月は満ちてゆき、夕方に見える天上の位置は、東へ東へと移っていくのです。
上弦の月から、15日目ごろは満月になり、その後下弦の月となって、第22、3日目ごろは真南に見えてきます。
第29日目か第30日目は太陽に近すぎるので、月の姿は見えません。
この日が晦日。
晦日を「つごもり」というのは「月ごもり」の意味だといわれています。
晦日の翌日は、新しい月の第1日目となるのです。
月の満ち欠けの周期は、平均すると約29・5日。
それを12倍すると、約354・4日。
11日を加えると、ほぼ太陽年と同じ日数になります。
365日に足りない日数は閏(うるう)月をおいて補っていました。
太陰暦の日付は年によって、実際の季節とはかなりのずれが生じます。そこで暦を正すために組み入れられたのが二十四節気(二十四気)です。
「太陰暦の上に、一太陽年を刻み、それを二十四の期間に分け、それぞれの期間に季節の名前をつけて、季節を判断できるようにしたのが二十四気です。二十四気は太陰暦に刻み込まれた太陽暦なのです。その意味で私たちが旧暦と呼んでいる暦は、太陰太陽暦だったのです」(『季節の366日』倉嶋厚著より)

日本の暦
日本で暦ということばがあらわれるのは6世紀ごろです。百済を通じて中国の暦が伝わりました。
その暦は、太陽と月の運行を同時に取り入れた太陰太陽暦。
太陽による季節変化と月の引力は、動物や植物の生命のリズムに大きく関わっています。
暦を作った人々はそのことに気づいていたに違いありません。
「太陽と月の暦」は1200年以上にわたって活用され、日本の歴史と文化を紡いできたのです。
その後、明治5年(1872)に日本の暦は現在の新暦(太陽暦)に変わりました。
新暦と旧暦の良さをうまく使い分けることができれば、四季おりおりより楽しい日々となることでしょう。
私たちは太陽と月に守られて生活をしているのですね。
この大自然の営みを破壊したくないものです。

資料:
『季節の366日』倉嶋厚著 東京堂出版
『暦』広瀬秀雄著 東京堂出版
『こよみ』東京大学公開講座 東京大学出版会
『続々と、旧暦と暮らす』 松村賢治+風力5編著
監修・大阪南太平洋協会 ビジネス社