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2012年07月16日

第二十回 だいぼろつぼろ(蝸牛)

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だいぼろ つぼろ
おばけの山 焼けるから
早く起きて 水かけろ
       水かけろ


まだ梅雨の気配のする庭に下り立つと、
アジサイの葉に蝸牛(かたつむり)がいることが多いですね。
今回はちょっと残酷でむごい蝸牛と蛙の“わらべうた”です。

蝸牛の唄は全国的にあるのですが、
この「だいぼろつぼろ」は茨城の古河地方の唄です。
歌詞は私たちにとってすぐに理解するには少し難しいですね。
“かたつむり”にむかって言っているのでしょうか。
おばけの山が焼けるから
早く起きて水かけろ、
とは状況をよく知らないと
わかりにくいですね。
どんな状況で、どのように唄うのでしょうか。
それは、この唄を生みだした人たちや
この“うた”歌って遊んだ子どもたちの心と
交信しなければなりませんね。
それにしても、お化けの山焼けるとは、あまりにも幻想的!

「かたつむり」で思い出すのは、
後白河天皇と関係深い『梁塵秘抄』です。
そこには、

舞へ舞へ蝸牛 
舞はぬものならば
馬の子や牛の子に蹴(くゑ)させてん
踏みわらせてん
まことに美しく舞うたらば
花の園まで遊ばせん


この“うた”は、なぜか美しい風情がしてきますね。
子どもたちのロマンが感じられる“うた”になっています。
これは、いまでいう流行歌、当時“今様”といわれたものです。

しかし、一般的な蝸牛の唄では、

蝸牛(カタツブリ) 蝸牛
銭(ぜに)百呉(け)えら、
角コ出して
見せれ見せれ


秋田の“うた”です。
東京や千葉、神奈川では

まいまいつぶろ
湯屋で喧嘩があるから
角出せ槍出せ
鋏み箱出ァしゃれ


また、

でェくらでくら、
角出して踊らんと
向えの岸岩坊(きしがんぼう)が
蛇を追て来(こ)ッど


鹿児島の唄ですが、角を出させるために
なにか代償を与えようという魂胆が・・・・・
そして、喧嘩や火事でおびき出そうという内容のものまで
あります。

子どもながらの駆け引きや自分の思い通りに蝸牛を
動かしてやろうという考えが出ているのが
この“かたつむりのうた”には多いですね。
子どもに芽生えた自我が表現されている“うた”なのでしょうか。

類似した“うた”には、福島や茨城にもあります。

まいまいつぶろ
小田山焼けるから
角出してみせろ


また千葉では、

おばおば おばらァ家が焼けるから
棒もってこい 槍持って出てこい

“爺も婆も焼けるぞ”
なんて恐ろしい!

また、こんな“うた”も、愛媛にはあります。

カタタン、カタタン 角出しゃれ
爺(じい)も婆(ばあ)も焼けるぞ
早う出て水かけろ


なにか蝸牛に命令しているような“うた”ばかりでしたね。

蝸牛の後は蛙の“うた”です。
また、いろんなものが見れるかな、と思って、
箱根にいったとき、
そこで見たもの、いや聞いたものはカエルの鳴き声。
泊まった宿に小さな池があり、
そのあたりから夕方になると、
ゲロゲロというより今まで聞いたことのない鳴き声が
聞こえてきました。
そこで思い出したのが蛙の“うた”です。

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“ぴっきぴっき(蛙)”の“うた”を
続いて載せてみましょう。
山形の“うた”です。

びっきびっき(蛙)

びっき びっき いつ死んだ
ゆんべ酒呑んで 今朝死んだ
和尚さま頼んで まま上げろ


「びっき」とは方言で蛙のこと。
東北や栃木県新潟県、岐阜県、滋賀県、佐賀県などに
残っているそうです。

でも蛙さんが死ぬとは・・・・・。
やはり蝸牛の“うた”と同様に、
その“うた”が生まれた当時のことや、
その時代の人の心がよくわからないと
すぐさま理解するのはむつかしいです。

そしてこんな“うた”も、
新潟で歌われたのですが、

蛙(けいり)さん死んで
車前草(オンバコ)さん弔(とむ)れいに


京都では、

雨蛙どのは いつ死なさった
八日の晩に 甘酒のんで ついつい死なさった


それにしても、なぜ、蛙さんは死ななきゃならないのですかね。
次のようなことが『わらべうた・伝承童謡』町田嘉章・浅野健二著に
書かれていました。

「爰(ここ)らの子どもの戯(たはむれ)に、
蛙を生きながら土に埋めて
諷うていはく、ひきどののお死なった、
おんばくもってとぶらひにとぶらひに、と口々にはやして、
ふいの葉を彼(かの)うづめたる上に打ちかぶせて帰りぬ。
しかるに本草綱目、車前草(しゃぜんそう)の異名を
蝦蟇衣(がまい)といふ。
此国の俗、がいろつ葉とよぶ。
おのずからに和漢、心をおなじくすといふべし。
むかしはかばかりのざれごとさへいはれあるにや。
卯の花もほろりほろりや蟇(ひき)の塚  一茶」(おらが春)


う〜ん。
子どものたわむれに、生き埋めにされた蛙。
なんと可愛そうなのでしょう。
子どもは時に残酷なものです。
そしてくちぐちに蛙は死になさった、といい。
「とぶらひ」「とぶらひ」とはやしたて、唄い、
ふいの葉(オオバコの葉)を、
蛙を埋めた土の上にかぶせて帰っていったのです。
江戸時代の俳人小林一茶は、
生き埋めにされた蛙をかわいそうに思い、
一句詠みました。

卯の花も ほろりほろりや 蟇(ひき)の塚
                    一茶

亡くなった蛙の塚の上に卯の花が哀しんで
ほろりほろり涙を流すようにこぼれかかっている、と。

人間の持つ残酷性は、
はやくも子どものうちからあらわれて来るもの。

今回は、人間のもつ功利性と残酷な自我が表現された
“わらべうた”でしたね。

さて、みなさまはこれらの“うた”を歌うとしたら、
どのような気持ちで歌うでしょうか。

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資料:『わらべうた・日本の伝承童謡』
    町田喜章・浅野健二編  岩波書店
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2012年07月03日

第十九回 家の裏の黒猫(手毬唄)

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家(うウち)の裏(うウら)の黒猫が
お白粉(しろい)つけて 紅(べに)つけて
人(ひイと)に見られて チョイと隠(かく)す


隣の家に新しく引っ越されてきた家族には猫もいます。
家の前を通ると窓の処にちょこんと座り、
こちらをちょいと見つめます。
思わず立ち止まって、にらめっこ!
じーっと見つめるまなざしは、
「あなたは、だぁ〜れ」と言ってる様子。
こんな風に思わせる猫はとても人となじみのふかい動物ですね。
この“わらべうた”に歌われている猫は、
人でしょうか、猫でしょうか。
白粉つけて紅つけて、
うむうむ、はてはて・・・・・。

このうたは、香川県で歌われているもので、
2回以上反復して歌われるそうです。
この唄をうたいながら手毬をするのは楽しそうですね。

今回は、手毬唄の数々を楽しみましょう。

山形県の加茂町では歌の文句が少し変わります。

家の隣の三毛猫は白粉つけて紅つけて、
小さな橋を渡る時、・・・・・

となります。

京都では、

家の裏の黒猫が、お白粉ぬって紅ぬって、
紅がないので買いにって、
人に見られてチョッと隠せ


兵庫では、

うちの裏の黒猫が、鏡の前にちょいと坐り・・・・・

面白いですね、楽しくなります。
お猿さんの出てくる手毬唄もありますよ。
それは、「山王のお猿さん」といいます。

  山王のお猿さん  (手毬唄)

山王のお猿さんは 赤いお衣服(べべ)が大(だい)おォ好き
テテシャン テテシャン
夕べ恵比寿講(えびすこう)に招(よ)ばれて行ったら
お鯛の吸物 小鯛の塩焼き
一杯おすすら  すゥすら
二杯おすすら  すゥすら
三杯目には肴が無いとて腹を立て
ハテナ ハテナ ハテハテハテナ


なんとも愉快な唄ですね。
このような唄を歌いながら手毬をするなんて楽しすぎます。

山王は江戸麹町日吉山王神社ともいわれています。
この唄は東京地方の古いものですが、
今では山形や神奈川、静岡、長野、新潟、富山、京都、
大阪、宮崎などでも歌われ、
お手玉、毬つきなどの遊戯にも、
その時々に応じて使い歌われているそうです。

雀が登場するのもあります。

  清水の観音様 (手毬唄)

清水の観音様に 雀が三疋とまった
    その雀が 蜂(はアち)にさされて
    あいたた ブンブン
    あいたた ブンブン
    まずまず一貫 貸し申した


スズメが蜂に刺されるなんて、
などと言ってはいけません。
素直に楽しむことですね。
これは足利地方で歌われたそうです。


野菜や果物の出てくる唄もあります。

  いちじく人参 (手毬唄)

無花果(いちじく) 人参(にんじん)
山椒(さんしょ)に 椎茸(しいたけ)
牛蒡(ごぼう)に  無患子(むくろじュ)
七草(ななくさ)  初茸(はつたけ)
胡瓜(きゆうり)に  冬瓜(とうがん)


野菜尽くしの手毬唄という感じですね。
昔の子どもは、この唄を楽しく歌いながら、
野菜の名前とその難しい文字を覚えたのでしょう。
この唄の発祥は静岡のようですが、全国共通の唄です。

「向う横町の」と歌いだし、
普段の生活を想像することができる唄もあります。

  向う横町の (手毬唄)

向う横町(よこちょ)のお稲荷さんへ 壱銭上げて
ちゃんと拝(おが)んで お仙の茶屋へ
腰を掛けたら 渋茶を出して
渋茶よこよこ 横目(よこめ)で見たらば
米(こめ)の団子か 土(つち)の団子か お団子 団子(だァんご)
この団子を 犬にやろうか 猫にやろうか
とうとう鳶(とんび)に さらわァれた


江戸の庶民の姿が浮かびます。
この唄は手毬唄の中でも秀作の一つとのことです。
歌の意味は『わらべうた』町田喜章・浅野健二編によると
「明和の頃、江戸谷中、笠森稲荷神社頭の茶屋鍵屋の娘、
お仙の美貌を叙したもの」、
だそうで、
「鈴木春信の一枚絵にも描かれた」といいます。
そして、この笠森稲荷神社
「瘡の神として、まず祈願をこめる時に土の団子を供え、
満願の時効験あれば、米の団子を改めて供える風俗あり、
両側の茶屋は皆両様の団子を売った」
のです。

この唄は、地方によって歌い方は違うのですが、
山形県の米沢市では、

栗の団子か米の団子か、
だんごだんご、
まずまず一貫貸しました

と歌います。

東京でも昔は、
「お団子お団子」で切って、
「まずまず一貫貸しました」と歌ったそうです。
このお団子とは手毬の形から連想されたともいわれます。

そして、多くの娘がでてくる手毬唄も歌われていました。

  あっちの山から  (手毬唄)

あっちの山から こっちの山から
  赤い父(と)っちゃん 大人(おおにん)づれで
     一でよいのは 糸屋の娘
     二でよいのは 肉屋の娘
     三でよいのは 酒屋の娘
     四でよいのは 塩屋の娘
     五でよいのは 呉服屋の娘
     六でよいのは 蝋燭屋(ろうそくや)の娘
     七でよいのは 質屋の娘
     八でよいのは 鉢屋の娘
     九でよいのは 櫛(くし)屋の娘
     十でよいのは 豆腐(とふ)屋の娘
  豆腐かついで えっささ もっささ


なんとまあ〜、これもまた楽しい歌ですね。

一でよいのは 糸屋の娘で、
全部を数字の頭文字で、
一は、「ち」で、「とや(糸屋)の娘」と。
二は、「」で「くや(肉屋)の娘」と歌っていくとは・・・・・。
本当に面白いです。
これは、広島市の唄ですが、秋田・宮城・福島・長野・
福井・愛知・三重・京都・大阪にも同じようなものがあります。

同じように数字の頭文字の「一」の「い」一宮
「二」の「に」日光中禅寺と綴りながら、
観光案内のような手毬唄もありました。

  一番初めは  (手毬唄)

一番初めは一宮      二また日光中禅寺
三また佐倉の宗五郎    四また信濃の善光寺
五つ出雲の大社(おおやしろ)  六つ村々鎮守様
七つ成田の不動様     八つ大和の法隆寺
九つ高野の弘法様     十で東京心願寺(しんがんじ)


“わらべうた”は本当に庶民の暮らしを子どもたちに
教えるいい教材だったのですね。

これは岡崎地方の唄ということです。
こんなに多くの手毬唄、それを楽しみながら歌ってきた人々。
私たちは次の世代に伝えていかねばなりませんね。

では最後に、手毬の大好きな人向けに、
西日本で残っている古い伝承の唄を、

  わしの大事な (手毬唄)

わしの大事な お手毬(てまり)さァまは
紙に包んで 文庫に入(いィ)れて
お錠(じょう)でおろして お鍵で開けて
開けたところは イロハと書(かァ)いた
イロハ誰(誰)が書いた お菊が書(かァ)いた
お菊よう書く お袖の下(した)から
お渡し申すが合点(がッてん)か 合点(がッてん)か


それでは、今回もお好きな唄を歌ってみませんか。

つないでいきましょう、“わらべうた”を子どもたちへ。


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資料:『わらべうた・日本の伝承童謡』
    町田喜章・浅野健二編  岩波文庫
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2012年06月14日

第十八回 ホーホー 蛍こい

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ホー ホー 蛍こい
あっちの水は 苦(にーが)いぞ
こっちの水は 甘(あーま)いぞ

ホー ホー 蛍こい
    山路(やまみち) こい
    行燈(あんど)の光で
    又こいこい


蛍を見たのは何年前のことでしょう。
それは、都内のホテルで催された庭園でのほたる祭り。
昔は、夏の夜にでもなると、
ゆらりゆらり点滅しながら飛ぶ蛍を見ながら、
蛍に呼びかけたのです、蛍の歌を唄いながら・・・・・。
その子どもたちの向こうには川や草むらがありました。
いまでは子どもたちが安全に遊べる川や草むらは
なくなってしまっているようです。

蛍に呼びかけるときは、
笹竹や団扇をもって振り回しながら、

♪ホー ホー 蛍こい
 あっちの水は 苦いぞ
 こっちの水は 甘いぞ


と蛍狩りの“うた”を歌っていたのです。

この夏の風物詩ともいえる「蛍狩り」には、
水の澄んだ流れと夜空が必要です。
そして人々の和やかな心、
夕涼みを楽しむ気持ちが大切ですね。

では、子どもたちはどのようにして蛍を捕まえて
いたのでしょう。
『なつかしの わらべ歌』 川原井泰江著によると、

ほたるが飛びはじめる頃になると、
子どもたちは家の人に「菜種(なたね)ほうき」を
作ってもらいます。
「菜種ほうき」とは、菜種油を取った後の菜種殻を
1メートルほどの長さに束ねてほうき状にしたものです。
菜種殻のない場合は、
竹ぼうきや笹などを代用していたようです。
この菜種ほうきをほたるに向けて振り回します。
すると菜種殻にからまって飛べなくなったほたるや
払い落されたほたるは、子どもにも容易に取ることが
できたのです。


また、“自然破壊のよって河川が汚れ、蛍の飛び交う川は
少なくなり、というより皆無に等しくなって
「ほたる狩り」の文化も消滅した
”と書かれています。

本当に残念なことです。
しかしながら、この蛍を歌ったこの“うた”は、
「わらべうた」の中でも、
もっとも流行ったメロディをもっていました。
発祥は秋田県地方といわれます。

そして、この「蛍」を歌った“うた”
多くの地方で、さまざまな歌詞で歌われています。

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栃木では「蛍の親父」。

   蛍の親父

  ホ ホ 蛍 来い
蛍の親父は 金持ちで
夜は提灯 高(たか)のぼり
昼は草葉のお露のみ  
  ホ ホ 蛍 来い


岩手では、

蛍の親父は 金持ちだ
道理でお尻が ピカピカだ


となります。

佐賀では、

  谷川の水

ホ ホ 蛍こい
谷川の水呉(く)りゅう
谷川の水ァ 要らんこんな
堀(ほい)の水 ちい呉(く)りゅう
ホ ホ 蛍こい


地方によって方言やお国言葉がつかわれ、
独特の表現になりますね。
「呉(く)りゅう」は、「呉(く)れてやろう」の意味です。

沖縄では、

   じんじん

じんじん じんじん
酒屋(サカヤ)ぬ 水(ミジ)くゎて
落て(ウテイ)りょー じんじん
さがりょー じんじん


これは首里附近の唄だそうです。
歌の意味は、
「蛍よ 蛍よ酒屋の水飲んで 
落ちろよ蛍、さがれよ蛍」

八重山では、
あがれよ蛍(じんじん)
さがれよ蛍
と唄います。

また今ではほとんど歌われていない
有名な蛍の歌があります。
それは昭和7年に作られた小学唱歌。
作詞、井上赳、作曲下総皖一で、

       蛍

一、蛍のやどは川ばた楊(やなぎ)、
  楊おぼろに夕やみ寄せて、
  川の目高(めだか)が夢見る頃は、
  ほ、ほ、ほたるが灯をともす。

二、川風そよぐ、楊もそよぐ、
  そよぐ楊に蛍がゆれて、
  山の三日月隠れる頃は、
  ほ、ほ、ほたるが飛んで出る。

三、川原のおもは五月(さつき)の闇夜、
  かなたこなたに友よび集い、
  むれて蛍の大まり小まり、
  ほ、ほ、ほたるが飛んで行く。


なんだか懐かしい感じのする歌詞ですね。
『童謡を訪ねて』の著者太田信一郎氏は
「一番から三番までの歌詞には、
昭和の初期“蛍狩り”を楽しんだ人々の平和な情景と、
短い蛍の一生がそこはかとなく感じられます」

述べられています。

さあ、皆さまはどの蛍の歌がお好きですか。
幼い日を思い出して歌ってみましょう。  

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資料:『なつかしの わらべ歌』 川原井泰江著 いそっぷ社
   『わらべうた・日本の伝承童謡』
      町田喜章・浅野健二編  岩波書店
   『童謡を訪ねて』太田信一郎著 富士出版
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2012年06月01日

第十七回 指きりげんまん

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指きりげんまん うそついたら
針千本飲ます 指きった!


おそろしい、針千本なんて飲めません!

今回は「まじない歌」。
それは、
これを唱えれば何も怖くない、とか。
勇気凛凛になる、とか。
気力に溢れ、一気に元気になる、とか。
それとも、少し恐ろしいこともある歌なのか。
「わらべうた」は様々な面を持ちますが、 
この「指きりげんまん」という歌は、
友だちとの約束を守るための言葉で綴られています。
それは、小指と小指を絡めながら約束を守ることを
誓う言葉なのです。

♪指きりげんまん うそついたら
針千本飲ます 指きった!

と唱えると、
お互いにどんなことをしても
約束を守ろうとする気持ちが湧くのです。

こうやって書きはじめると、
幼いころに「指きりげんまん」をした友だちの顔が
浮かんできます。
「うそついたら 針千本飲〜ます」と。

しかし、その言葉をよく使ったのは大人。
子どもを叱る時の決まり文句でした。
子どもにとっては大変恐ろしい歌でもあるのです。

針を千本だって〜、

一本飲んでも危険な針。
それを千本も飲むなんて!
お腹が痛くなって大変だよ〜!
どうしよう・・・・・、うえ〜ん。

その上に、
「針を飲むと体の中をめぐりめぐってね、
死んじゃうからね」と言われて、
痛〜い、怖い〜。
その言葉を聴いた後は、
針が身体の中でどうなるのかとても心配でした。
想像しても子どもにはわからない、
どうなるのかな・・・・・。
思案に思案をかさねて、
ここを切って針をとりだすのかな、とお腹を見つめたり。
結局、わからなくて、どうしょうもなく、
泣き疲れて眠ってしまうのです、いつも。

その他、母がよく使った「まじない歌」は、

ちちんぷいぷい 痛いの痛いの 飛んでいけ

子どもはいつも飛び跳ね、
あっちへ行ったり、こっちに来たり。
それも前かがみでよちよちよち。
そこで何かのひょうしにつまづいて、
ひざっ小僧をすりむいて・・・・・、
うえ〜ん、痛いよ〜。
そんなときには、そうです。

ちちんぷいぷい 痛いの痛いの 飛んでいけ〜

すると、ひざっ小僧の痛さは、
不思議にもとれて、おもわず母の顔。
そのにっこりと笑う母の顔を見て、
子どもは愛情を感じてひと安心。
すっかり機嫌が直って、また元気に歩きだす。
そんな頃もありましたね。
子どもは暗示にかかりやすいのでしょうか。
いやいやそれだけではないようです。
そうすると、

いま泣いたからすが もう笑った。

これも「まじない歌」なのです。

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『なつかしの わらべ歌』 川原井泰江著には、
「ちちんぷいぷい」の効能がもっとあると書かれています。

忍者が姿を消す時も「ちちんぷいぷい」、
狐やたぬきが木の葉をお金に変える時も
「ちちんぷいぷい」と唱えます。
呪文を唱えながら、心の中でお願いすると
その願いごとがかなうのです。
何と素敵な言葉なのでしょうか。


そうですね。
子どもにとって夢の言葉です、ちちんぷいぷい!

そして、もし、いつまでも泣いていると、
もっと怖い「まじない歌」が・・・・・。

泣き虫毛虫 はさんで捨てろ

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うえ〜ん。
子どもにとって捨てられることこそ
恐ろしいことはありません。

そう、いじめられの言葉は、
「おまえは、橋の下から拾われてきたんだぞ!」
わぁ〜ん。
嫌な兄貴だったな。
いつも取っ組み合いの喧嘩。
いまは仲良しだけれどもね。
といったことはありませんか。

そういえば、「鬼は〜外、福は〜内」も
「おまじない」なのです。

そして、「くわばら くわばら」も。
これは、雷と関係があります。
何か恐れることがあったとき、使われますね。
くわばら、くわばら
よく歌舞伎などで聞く言葉です。

その「くわばら くわばら」には、
前述の『なつかしの わらべ歌』 川原井泰江著には、
こんな話が、

季節は、夏になり、雷様がゴロゴロ鳴ってくると、
「くわばら くわばら」といって
蚊帳(かや)を張って布団を敷いて中に隠れて寝てしまう。


とても懐かしいですね、「蚊帳」とは。
子どもの頃は、
夏の夜に蚊帳が張られ、
蚊から守られ、
その中で眠り込んだものです。

この話の続きは、

言い伝えにドジな雷様の話があります。
ゴロゴロ派手に雲の上でやっていたのはよかったのですが、
調子に乗りすぎて足を踏み外し、
農家の井戸の中に落ちてしまいます。


そう、調子に乗りすぎるのは駄目ですね。

それを見ていたおじいさんは、
井戸に蓋(ふた)をしてしまいました。


雷さんも大変なことに・・・・・。

空に帰れなくなってしまった雷様はおじいさんに
「わしは桑の木が大嫌いだ。
わしがお前の家の上に来たら、
『くわばら くわばら』と唱えろ。
二度とおまえの所には落ちない」と約束し、
やっと空へ返してもらえたというものです。


昔の人は、自分たちが体験してきたことを
「生活の知恵」としてきました。
桑畑という平らな土地には雷が落ちることが少ないと、
経験上知っていたのでしょう。
そして、子どもたちにそのことを伝えるために、
楽しい昔話にしたのです。

それにしても『くわばら くわばら』とは。
「くわのはら」、つまりは、桑の畑。
この言い伝えはうまく作りましたね。
くわばら くわばら、と二回繰り返すところなんかは、
実に巧みです。

では、「針千本」を恐れないで、
勇気をもって歌ってみましょう。

♪指きりげんまん うそついたら
針千本飲ます 指きった!


指きった! は、決心の言葉。
人生幾度決意の言葉を誓うでしょうか。


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資料:『なつかしの わらべ歌』 川原井泰江著 いそっぷ社
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2012年05月15日

第十六回 鬼さんこちら 手の鳴るほうへ

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今回は、鬼さんを呼ぶ“わらべうた”です。

鬼さんこちら 手の鳴るほうへ
鬼さんこちら 手の鳴るほうへ


人の心の中にも住むといわれる鬼。
最初に鬼にであったのは神社のお祭りです。
鳥居から境内まで並んだ屋台。
その中に沢山の玩具のお面が売られていました。
天狗やお猿さんにまじって鬼のお面も。
友だちがその鬼のお面をかぶり、
こわいぞ〜、こわいぞ〜、などと
仲間をおどかしたりしたものです。

鬼の面は古来より私たちのそばにありました。
怖い鬼も、
人の力を超えた存在として、
恐れられ、また、崇められていたからです。

鬼は怖いだけでなく、
ときには、その大いなる力をもって、人間を戒め、
災難から救い出し、悪霊を退治し、五穀豊穣をも
もたらすものだったのです。
私たちはその鬼の力が発揮されることを願い、
さまざまな郷土芸能を生み伝承されてもきました。

鬼と呼ばれてきたのは、
その土地土地の祖霊や地霊。
山岳宗教における鬼や山伏などに語られる鬼。
たとえば、鞍馬山で牛若丸に剣術を教えたとされる天狗。
また、仏教寺院などにみられる邪鬼。
社会から疎外され盗賊や凶悪な行いをして
人から鬼と呼ばれてしまった人たち。
怨みや恨めしさで鬼になってしまう人。
いろんな形で私たちの周りには鬼が存在するのです。

もっとも親しい鬼はなんでしょう。
それは、節分の鬼ですね。
家族と一緒に、
“鬼は外、福は内。福は内、鬼は外”などと叫びながら、
豆まきをしましたね。

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先日、友人と食事をしながら、鬼の話になりました。
日本には有名な桃太郎の「鬼退治」などがありますが、
それらの物語に潜む哀しい日本の歴史もあったようです。
友人の話によると、
社会から疎外され、生活もできずにいた人たちが、
盗賊になり、その人たちがしばしば鬼と呼ばれ、
討伐されたそうです。
その人々の哀しい歴史も
鬼のお話の一部にはなっているのです。

鬼の話は多いのですが、
大江山の酒呑童子は、
都から姫をさらって食べていたとされていますね。
「昔、男ありけり」ではじまる『伊勢物語』第六段には、
身分違いのいとしい女を背負って逃げる男の哀しい話が
あるのです。
それは、追っ手から逃げる途中、
あばら家に女を休ませ、自分は戸口を守っているうちに、
女を鬼に一口で食べられてしまったという話!
哀しくも恐ろしいお話なんです。
ですがですが、
昔の本は印刷ではありません。
物語は人の手で書き写しされ、
語り継がれ伝わってきたのです。
そこで、誰かが、
あなた知ってる、
私は知ってるよ、
この鬼ね、と、書き足され、
その鬼は、連れ出した女の兄さんたちだった、
とわかります。
兄さんが妹を奪い返しに来たのです。
そこで、兄さんが鬼!と・・・・・。
このように、いろいろな語り口でたち現れてくる鬼。

また、私たちは激しい嫉妬や怨みに憑りつかれたら、
怖い怖い生霊(いきりょう)になってしまうこともあるようです。
平安時代に生きた紫式部もそのことをよく知っていたのでしょう。
その著作『源氏物語』の中に、
源氏の妻・葵上(あおいのうえ)に憑りつく生霊の話があります。
それは、六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)の生霊。
源氏を愛するばかりに、高い教養をもつ女性であっても、
なんとしたことか、源氏の子どもを身ごもった葵上の夢枕に
夜な夜なあらわれ、呪い殺してしまうのです。
それは嫉妬心が鬼になったのです。
『なつかしの わらべ歌』 川原井泰江著では、

この愛の姿を「羞恥の鬼」「愛欲の鬼」と呼ぶことがあります。
と。

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光源氏を愛するあまり、葵上に嫉妬する心。
執念というのは深く恐ろしいものです。
自分の知らないうちに夜になると魂が身体を離れる、
とは、なんて恐ろしいことでしょう・・・・・。
身体を離れた魂は、人を呪い、殺すことまでしてしまう。
人の心は計り知れぬほど怖いものなのですね。
しかし、人の心は仏にもなります。

沢庵禅師の「不動智神明禄」には、

心こそ 心迷わす 心なれ
  心に心 心ゆるすな


という歌が載っています。
鬼も仏も私たちの心の中に住んでいるのです。
そのことがあるから、
「怖いもの、恐ろしいもの」にも
興味をしめすのが私たちなのでしょう。

そして、鬼になる遊びも生まれたのでしょう。
昔から子どもたちも

♪鬼さんこちら 手の鳴るほうへ

と歌っては
鬼ごっこを楽しんでいたのです。

この「鬼ごっこ」は、
実は、子どもが大人の遊んでいるのを見て
覚えていったようなのです。

エッ!オトナから学んだもの!
というのは、
『なつかしの わらべ歌』 川原井泰江著では
次のようなことなのです。

この遊びは、
遊郭での遊びが原点ではないかといわれています。
遊郭を訪れた大店の旦那や大名が複数の遊女を相手に
座敷で鬼ごっこをするものです。
鬼(たいていは旦那や大名)が手ぬぐいで目隠しをして、
優雅な雰囲気の中で遊女たちのはやし声や手拍子を頼りに、
次の鬼になる遊女を探し当てるまで続きます。
お酒も入っていて半分ふざけ気分ですから、
どちらも本気で鬼ごっこをしているわけではありません。


すると、

 好奇心旺盛な近所の子どもたちが、
あまりにも楽しそうな笑い声にひかれて遊郭を覗き見して
みると、普段は威張っている大人たちが子どものように
遊んでいます。
自分たちでもできそうな遊びです。
さっそく仲間を集めてやってみようと始めたのが全国に
広まったとされています


そんなことがあるのですね。

大人の遊びから始まった
「鬼さんこちら 手の鳴るほうへ」ですが、
子どもの遊びとしてわらべ歌とともに
伝承されてきたポピュラーな遊びです。


と。

さて、どのように遊ぶのでしょう。
皆様のおうちには、日本手ぬぐいはありますか。
目隠し用に使うのです。
「鬼」が次の「鬼」を探すときに目隠しするのです。
タオルでもいいですね。

そして、「鬼さんこちら 手の鳴るほうへ」の掛け声に合わせて
手探りで次の「鬼」になる子を探すことになります。

楽しい遊びですが、
目隠して「鬼」になっている子どものほうが
足元がわからず、怖いでしょうね。



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資料:『なつかしの わらべ歌』 川原井泰江著 いそっぷ社
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2012年05月01日

第十五回 かごめかごめ

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今回は、“わらべうた”にあらわされる想像力、
不思議な言葉が連なる“わらべうた”の発想力を
楽しんでみましょう。
それは長い年月の伝承が生み出した言葉の魔術といわれます。

かごめかごめ
かごの中の鳥は
いついつでやる
夜明けの晩に
鶴と亀とすべった
後ろの正面だあれ


江戸時代から伝わる「鬼遊び」うた。
この“うた”の歌詞は、
様々な意味を含んでいます。

“うた”のはじまりは、
「かごめ かごめ(しゃがめ しゃがめ)」という言葉が
訛(なま)ったものだそうです。

エッ、鳥の“かもめ”ではないの!
鳥の“かもめ”と思っていましたが・・・・・。

「かごめ かごめ」は
「屈(かが)め屈(かが)め」の意味。
しゃがむ動作を命じて、
しゃがませることを意味しています。

この歌が生まれたのは、千葉県野田地方です。
醤油つくりで有名なところですね。
その町は、醤油の倉とレンガ造りの堀に囲まれています。
「かごめ かごめ」の語源はというと、
醤油を積んだ舟が掘割から江戸川の水路に出るとき、
水門をくぐらなければならないのですが、
そのとき、水門で身をかがめなければならないので、
「かごめ かごめ」といったのです。
そこから、この歌が生まれたといわれています。

そして、この“うた”が
長い歳月を重ねて伝わっていく中で、
歌い継ぐ子どもたちの想像力が
とても不思議な言葉のつながりを
つむぎ出していったのです。
まるで連想あそびのように・・・・・。

「うた」は、
「かごめ かごめ」を鳥のかもめへと連想させ、
「かごの中の鳥は」の歌詞へと続くのです。

  ♪かごの中の鳥は
   いついつでやる


「かごめ(しゃがめ)」が一気に、
鳥に飛躍し、
変化して、
「いつかごからでてくるの」と問いかける・・・・・?

そして、「夜明けの晩」へと転回するのです。

  ♪夜明けの晩に

夜が明けた「晩」とは!
不思議な言葉です・・・・・。

『なつかしの わらべ歌』 川原井泰江著では
次のように解説されています。

日が暮れて晩になり、
そして夜が明けるのが自然の摂理です。
夜が明ければ次第に太陽が輝きだすのであって、
晩がめぐってくることはありえません。
婉曲的に、「かごから出て遊べることはないよ」と
いう意味を示しているのでしょうか。

と。

かごの鳥は「いついつでやる」と、問いかけながら、
「かごから出て遊べることはないよ」
と続くとしたら、少し不気味ですね。

そして、

  ♪鶴と亀とすべった

またしても、歌詞は謎めいて、鶴と亀へ。

江戸時代の釈行智の『童謡集』の「かごめかごめ」では、
後半に「つるつる・・・・・」とあります。

かァごめかごめ かーごのなかの鳥は 
いついつでやる 夜あけのばんに
つるつるつッべェた なべのそこぬけ
そこぬいてーたーァもれ


う〜む、
つるつるつッべェた・・・・・

「つるつる・・・・・」が、
つまり「つるつるすべった〜」が、
これまた、鳥の「鶴」になったのですね。

やはり不思議な「うた」です。
そう思ってパソコンを立ち上げ、
ネットで調べてみました。
そうすると、この“わらべうた”には
怖くて哀しいお話ばかりが登場してきます。
やはり、不思議な“うた”なのです。
そして、ユーチューブでこの“うた”を聴いてみても、
なんとも物寂しく切ない歌声がきこえてくるのです。

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では、この“うた”を歌っての遊びは
どのようなものなのでしょう。
『なつかしの わらべ歌』 川原井泰江著では
次のようになります。

夕暮れに数人の子どもが集まり、
「ずいずいずっころばし」やジャンケンで鬼を決めます。
鬼になった子どもは、目隠しをして中心に座り、
鬼以外の子どもたちは、鬼のまわりに手をつないで
円陣を作ります。
 隊列がととのったら、
「かごめかごめ・・・・・」と歌いながら
鬼のまわりを回ります。
そして、「後ろの正面だーあれ」で回るのをやめ、
その場に座ります。
最後に鬼は、自分の真後ろになった子どもが誰なのかを
当てなければなりません。
鬼の真後ろに座った子どもは
動物の鳴き声を真似して声をだします。
それが誰かを鬼が当てれば、
当てられた子どもが次の鬼になります。


子どもの頃にこの“遊び”を楽しんだ人から話を聴くと、
この遊びをするのはいつも夕暮れ時だったそうです。
鬼と夕暮れ時、
なんだかやはり怖い思いを楽しむ遊びですね。

川原井泰江著でも
「このわらべ歌はなぜか、夕焼けの風景が似合います」と。

この謎の多い“わらべうた”も、
ここでは元気に鬼遊びとして楽しんでみましょう。

♪ かごめかごめ
  かごの中の鳥は
  いついつでやる
  夜明けの晩に
  鶴と亀とすべった
  後ろの正面だあれ


わあー、あたっちゃった〜。
次々と鬼になっていく子どもたち。
怖いです、やはり・・・・・。
鬼だぞ〜・・・・・。

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資料:『なつかしの わらべ歌』 川原井泰江著 いそっぷ社
   『童歌を訪ねて』太田信一郎著 富士出版
posted by 事務局 at 18:44| Comment(0) | わらべうた

2012年04月19日

第十四回 せっせっせ

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今回の“わらべうた”は、
季節の巡りを歌って楽しく遊ぶもの。
お寺の花子さんが、
かぼちゃの種をまいて、
花が咲くと、ジャンケンポンと遊ぶ“うた”です。
かぼちゃは春に種を蒔き、
夏から秋にかけて実を得ることができますね。

その“わらべうた”は、

   せっせっせ

   せっせっせの
   ヨイ ヨイ ヨイ
   お寺の花子さんが
   かぼちゃの種を
   まきました
   芽が出て
   ふくらんで
   花が咲いたら
   ジャンケンポン


わらべうた「せっせっせ」は、
「せっせっせの ヨイヨイヨイ」ではじまる
“手遊びうた”です。

『なつかしの わらべ歌』 川原井泰江著によると
その遊び方は、

まず、「せっせっせの ヨイヨイヨイ」と歌いながら
お互いの手に取り合って、始める動作をします。
いよいよ歌にはいります。
「お寺の花子さんが かぼちゃの種をまきました」で、
両方の手を合わせ、種の形を作ります。
作った種の形を歌に合わせて変えていきます。
「芽が出てふくらんで、花が咲いたら」まで
二人一緒の動作になります。
そして最後にジャンケンをして勝ち負けを決め、
終了します。


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ユーチューブで、
この“うた”を聴いてみようと思ったら、
デイサービスでおばあさんたちが
小学唱歌の「茶摘み」を歌っておられました。
これも「せっせっせの ヨイヨイヨイ」で遊べる歌です。
何人もの人が並んで坐り、
お互いの手のひらをリズムに合わせて
交差しあって遊びます。
画面ではお年寄りの方々が
楽しそうに歌って遊んでおられました。
その小学唱歌の「茶摘み」の歌は、
みなさまご存知でしょう。

♪夏も近づく 八十八夜 
野にも山にも 若葉が茂る
あれに見えるは 茶摘みじゃないか 
あかねだすきに 菅(すげ)の笠


曲のテンポが遊びのポイント!
テンポが速まると、面白さが増してくるのです。

面白いといえば、
最初に書いた“せっせっせ”では、
負けた子の面白い罰もありますよ。
罰ゲームですね。

勝った子はこんな“わらべうた”を歌うのです。

お寺のつねこさん
階段のぼって
こーちょこちょ


意味深な歌詞ですね。
つねこさん、
階段のぼる?
えッ、
こーちょこちょ!

『なつかしの わらべ歌』 川原井泰江著では
次のように遊ぶのです。

ジャンケンに勝った子が、負けた子の手を取ります。
「お寺のつねこさん」で手のひらをつねります。


つねこさんとはつねることなのですね。

「階段のぼって」で腕を脇まで人差し指と中指で
上っていきます。


階段とは、腕なのでした。

腕を脇まで、人差し指と中指で上っていくとは、
面白いですね。

そして、

脇の下に到着したら「こーちょこちょ」と
くすぐるのです。


脇の下に到着したら「くすぐる」
それも「こーちょこちょ」と。
こそばいですね。
なんと面白い“うた”なのでしょう。

この「お寺のつねこさん」は、
幼い子どもをあやすのにも
歌われたのですよ。

おなじように
「一本ばし こーちょこちょ」という歌も
あるのです。

 一本橋 こーちょこちょ
たたいて すべって
おでこ ぴん


この歌は、
相手の手のひらに一の字を書くのです。
そして、
くすぐって、
叩いて、
すべった手はそのまま額を突っつくという遊びです。

川原井泰江著では

優しくやれば幼い子をあやすこともできるでしょう。

とあります。
“わらべうた”には楽しい“うた”がいっぱいですね。
さあ、みんなで歌って楽しみましょう。

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資料:『なつかしの わらべ歌』 川原井泰江著 いそっぷ社
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2012年04月01日

第十三回 花咲爺(はなさかじじい)

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お花見の季節となりました。
桜の花はもうご覧になりましたか。

今回は、昔ばなし歌の「花咲爺」です。

 うらのはたけで ポチがなく
 しょうじきじいさん ほったれば
 おおばんこばんが ざくざく ざくざく


この歌はおとぎばなしを題材としたもので、
1901年(明治34)、『幼年唱歌(初の下)』に発表されました。
作詞は石原和三郎。作曲は田村寅蔵です。

歌は次のように続きます。
  
 いじわるじいさん ポチかりて
 うらのはたけを ほったれば
 かわらやせとかけ がらがら がらがら

 しょうじきじいさん うすほって
 それでもちを ついたれば
 またぞろこばんが ざくざく ざくざく

 いじわるじいさん うすかりて
 それでもちを ついたれば
 またぞろせとかけ がらがら がらがら

 しょうじきじいさん はいまけば
 はなはさいた かれえだに
 ほうびはたくさん おくらにいっぱい

 いじわるじいさん はいまけば
 とのさまのめに それがいり
 とうとうろうやに つながれました


多くの人々に愛されてきた「花咲爺」さん。
日本には勧善懲悪の物語が大好きな人が多いからと
いわれます。

絵本『はなさかじじい』(谷真介・文 高橋信也・絵)の解説では
次のように述べられています。

――『はなさかじじい』の話は(中略)
「隣の爺型」に分類されており、
おなじ話型の話としては『したきりすずめ』
『鳥のみじい』『さる地蔵』『雁取りじい』などが
あります。
――主人公の善良なじいやばばの家の隣に
性悪なじいとばばを配置して、
ある出来事によって
心のやさしい善良なじいとばばの幸せを、
まねばかりする性悪なじいとばばは失敗するという
きわだった対照によって、
人間の善悪、幸不幸が語られます。


この昔ばなしの大切なところは、
「白い犬」
「枯れ木に花を咲かせましょう」だと思われます。

では「花咲爺」のお話はどのように展開していくのでしょう。

細部は、語られる地方によって少しずつ変化していますが
大筋は次のようなものです。

むかし あるところに、
こころのやさしい正直者のお爺さんとお婆さんが
住んでいました。
ふたりには子どもがいませんでしたので、
ずっとずっと子どもが欲しいと思っていたようです。
ある日、お爺さんとお婆さんは、道端に白い犬が
捨てられているのを見つけました。
(ここのところは、お婆さんが川で洗濯をしていると
川上から白い子犬が流れてきたというお話もあります。)

お爺さんたちは子犬がかわいそうに思い、
わが子のように育てようと家に連れて帰ることにしました。
(この犬を拾うというお話の原型は東北に多くあるようです。)
おじいさんたちは、自分たちよりも子犬に美味しいものを食べさせ、
大きくな〜れ大きくな〜れと、大切に育てました。

犬はどんどん大きくなりました。
ある日、お爺さんは犬を連れて山へ柴刈に出かけました。
犬は元気に山へ駆けていきます。
そして、お爺さんが薪(たきぎ)をあつめていると、
犬が「ここ掘れ、ワンワン」としきりに吠えるのです。
不思議に思ってそこを掘ると、
小判がザクザクと出てくるではありませんか。
お爺さんはびっくりして、神さまに感謝しました。

古くから犬は神のお使いという言い伝えがあります。
山に柴を刈りに行くお爺さんは山の民でしょうか。
また、この「犬が吠えたところに何かが埋まっている」
という考えは中国からきたそうです。
昔ばなしのなかには古くからの言い伝えが
いっぱい詰まっていそうですね。

小判を授かったお爺さんとお婆さん、
喜んで小判を神棚に置いておきます。
そこに、隣のいじわる爺さんがやってくるのです。

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『花鳥風月の科学』松岡正剛著では、
隣の爺さんは「火をもらいに入ってくる」となっています。
簡単には火をおこせなかった昔は、
「火を貸してくれませんか」と隣に頼みにいったのです。
「火もらい」は「隣の家は何をしているのかな」と気になるとき、
隣家に入るためのいい口実だったのです。
日本の民家ではこのように火種をもらいにいくことは
日常の事だったのですね。

当然、隣の欲ばりの爺さんは、
はやくも小判のことを聞きつけていたのでしょう。
しょうじき爺さんの大切な愛犬を、
なんだかんだと言って連れて行ってしまうのです。

隣の爺さんは犬を借りても大切にはしてくれません。
可愛がりもしません。
粗末な食事しか与えません。
そんななか、犬が何もしないので、
この欲張りで意地の悪い爺さんは、
犬を引っ張って山へ出かけます。
でも、いつまでたっても
「ここ掘れ、ワンワン」と吠えないので、
犬をたたいてむりやり「ワンワン」となかせました。
「うむ、ここだな ここだな」と爺さん土を掘ると、
でてきたのは、かえる、むかで、蛇や石ころばかりです。
金貨は一枚も出てきません。
爺さんは腹を立て、犬を殺して埋めてしまいました。

よくばり爺さんのこの非道な行為!
話を聴いているこちらが腹を立てかねませんね。

嘆き悲しんだ善良なお爺さんとお婆さん。
犬を埋めたという松の木のところにいくと、
その松の木はみるみるうちに大きな樹に育っていました。
犬が夢に出てきて、この木を切って臼にするように告げたので、
お爺さんたちはこの大きく育った松の木を
犬の思い出として臼にすることにしました。
そして、お餅をつくろうと臼をついたとき、
ひとつきすると小判が、ちゃりーん!
ふたつきすると、ちゃりーん、ちゃりーん。
大判小判が臼の中にあふれ出ました。

噂を聞いた隣のよくばり爺さん、
臼を借りて一儲けとばかりにやってきて、
むりやり臼をかついで帰っていきました。

けれども、臼をつけどもつけどもゴミしか出てきません。
またまた腹を立て、臼を叩き割って燃やしてしまいました。

愛犬を可愛がっていたお爺さんは深く深く悲しみました。
やるせない気持ちで臼を燃やしたかまどから白い灰をひきとり
家に帰ろうと、とぼとぼ歩きはじめると、
風がそよいで、灰がふわっと舞い上がりました。
するとすると飛び散った灰をかぶった道の枯草は、
花をぱあ〜と咲かせました。
おじいさんは驚きました。
「これは、これは不思議。もっと花を咲かせよう」と、
大きな桜の枯れ木にのぼり、
「枯れ木よ、花咲け〜」とおもいきり灰をまきました。
するとどうでしょう、
枯れた桜の木は再び花ざかりとなったのです。
おじいさんは隣の木にも登っては灰をまき、
あたりを花で満たしました。
このめでたいお爺さんの行いは、噂になり、
殿様に呼ばれ、その御前で灰をまいて花を咲かせました。
「見事、見事じゃ。日本一の花咲爺! ほうびをとらせよう」
殿様も大喜びです。

これをみていたよくばりじいさん。
「わしもほうびにあずかろう」と
かまどに残った灰をかきあつめ、殿様の前で灰をまきました。
ところが、花が咲くどころか、殿様に灰がかかり、
目にも入って大変なことになってしまったのです。
そこで、「ぶれいもの」と家来に縄で縛られてしまいました。

このようなお話です。
欲をはりすぎると人は不幸になりかねませんね。

人を幸せにする神のお使いの「子犬」
また、考えてみれば「枯れ木に花を咲かせる」とは、
再生の意味を持っているのではないでしょうか。
いま日本は、震災復興のみならず、あらゆるところで
あらゆるものが再び元気に生まれかわらなければ
ならないときです。

“おさなごころ”に戻って、
「枯れ木に」花を咲かせてみませんか。
さあ、“はなさかじじい”を元気に歌って・・・・・。
可愛い子犬に出会えるかもしれませんね。


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資料:『なつかしの わらべ歌』 川原井泰江著 いそっぷ社
   絵本『はなさかじじい』谷 真介・文 高橋信也・絵 ポプラ社
   『花鳥風月の科学』松岡正剛著 淡交社
posted by 事務局 at 17:28| Comment(0) | わらべうた

2012年03月19日

第十二回 「いもむしごろごろ」

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いもむし ごろごろ
ひょうたん ぽっくりこ


啓蟄(けいちつ)の日も過ぎて、もうそこに春。
いもむし(チョウやガの幼虫)も、
うごめいてくる頃です。

地方によっては、
「・・・・・ぽっくりこ」の後に
「げじげじが 足だした」と歌われているのも
あるそうです。


幼稚園に通っていたころ、
よくこの“うた”を歌ってみんなと遊びました。

それは、
この“わらべうた”からつくられたと思われる童謡、
「いもむしごろごろ」だったかもしれません。

いもむし ごろごろ
ひょうたん ぽっくりこ
ぽっくり ぽっくり ぽっくりこ

ででむし のそのそ
かきねを よっちらこ
よっちら よっちら よっちらこ 


小林純一作詞、中田喜直作曲です。

歌いながらの遊びは、
一人一人の子どもがしゃがみ、
前の子の腰に手をかけ、
一列に並んで連なって這うようにして歩くのです。

それはまるで、いもむしのよう・・・・・。
そうです、
まるでいもむしが這っているように進むと
楽しくなるのです。
まるでむしになったよう。
変身しようとする心は想像力を高めるそうです。
でも過度な変身願望は危険だそうですが、
すこし、何かに変身するのは楽しいものなのです。
それが、“いもむし ごろごろ”

この遊びは浮世絵の中にも描かれていますよ。
歌川広重の『風流をさなあそび』がそれです。
公文教育研究会の「子ども浮世絵ギャラリー」
下記で観ることができます。
http://www.kumon.ne.jp/kodomo/ukiyoe/ukiyoe2/1/ukiyoe_8.html

「凧揚げ」「ジャヤンケン」「こま回し」「水鉄砲」
「相撲」「竹馬」「将棋たおし」など、
十六もの遊びが楽しく描かれているのですが、
そのなかに「いもむし ごろごろ」が入っています。

“いもむし”がでたら、
野原には様々な草花が咲きはじめることでしょう。
古代の人々は花の香りに
春がやってくるのを感じたといいます。
風に乗ってやってくる春の香り!
花を目で見る前に香りで感じる春だったのです。

花がひらく春は心もやさしくなり、あたたく感じます。

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いい歌があります。
それは、

   ひらいたひらいた
 
 ひらいた ひらいた
 何の花が ひらいた
 れんげの花が ひらいた
 ひらいたと思ったら
 いつのまにか
 つーぼんだ

 つぼんだ つぼんだ
 何の花が つぼんだ
 れんげの花が つぼんだ
 つぼんだと思ったら
 いつのまにか
 ひーらいた


この歌の中で
「ひらいたり、つぼんだりするれんげの花」は蓮の花。
昔は、子どもたちがよく遊んだお寺の境内には
小さな池があって
蓮の花が美しく咲いていたのでしょうね。
蓮はお釈迦様の花。
極楽浄土が見えてきます。
子どもたちはその極楽浄土で遊んでいたのでしょう。

では、歌いながら遊んでみましょう。

 ♪ひらいた ひらいた
 何の花が ひらいた
 れんげの花が ひらいた
 ・・・・・


『なつかしの わらべ歌』 川原井泰江著によると、
一人で遊べる手遊びは、
「両方の手を合わせて花のつぼみを作ります。
そのつぼみを歌に合わせて開いたり閉じたりして、
れんげの花に見立てて遊ぶのです」


集団で遊ぶには、
「円陣を作り、隣の人どうしで手をつなぎます。
やはり、歌に合わせてつないだ手を上にあげ円陣を
外に大きく開いていくと花は開き、円陣の中心に
皆が集まって小さくなると花は閉じます。
いたってシンプルな遊びで、幼い子どもから大人まで
楽しめます」


今回は
“いもむし”になったり、
“れんげの花”になったり、
楽しく遊べそうです。

ということで、
さあ、皆さま
「ひらいたり、つぼんだり」して、
お花になって遊んでみましょう。

♪ひらいた ひらいた
 何の花が ひらいた
 れんげの花が ひらいた
 ひらいたと思ったら
 いつのまにか
 つーぼんだ

♪つぼんだ つぼんだ
 何の花が つぼんだ
 れんげの花が つぼんだ
 つぼんだと思ったら
 いつのまにか
 ひーらいた


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資料:『なつかしの わらべ歌』 川原井泰江著 いそっぷ社
  
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2012年03月01日

第十一回「守さ子守さ」

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守さ 子守さ
昼寝が大事ヨ ホーヨーオ
晩げ遅うまで 門に立つ
ハリコヤ スイタカ ジュンサイ

なんぜこの子は
なぜこに泣くかヨ ホーヨーオ
乳が足らぬか 親なしか
ハリコヤ スイタカ ジュンサイ

向う山をば
ちんばが通るヨ ホーヨーオ
傘が見えたり 隠れたり
ハリコヤ スイタカ ジュンサイ


先回の子守唄(眠らせうた)の次は、“遊ばせうた”です。
赤ちゃんの守りをするために雇われた守子の
何とも言えないやるせなさが歌われています。

昨日は赤ちゃんが夜泣きして
遅くまで外でおんぶしてあやさなければ
いけなかったので、よく眠れなかったよ。
今日は赤ちゃんが寝ているうちに昼寝をしておこう。
なぜこんなに泣くの、
お乳が足らないの、
おまえには親がないの、
お乳もさっきもらったばかりじゃないの。


この“うた”は下記のところで試聴できます。
藤本容子さんが歌っておられます。
切なく美しい歌声です。
『音大工http://www.otodaiku.co.jp/yoko/interview02.html

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“わらべうた”の種類はさまざまありますが、
『わらべうた研究ノート』本城屋 勝著によると、
第一類 子守歌
  (一)眠らせ歌
  (二)遊ばせ歌
第二類 口遊歌
第三類 遊戯的口遊歌
  (一)天体気象歌
  (二)動物歌
  (三)植物歌
  (四)歳事歌
  (五)雑歌
第四類 遊戯歌

この分類は、「歌われる目的の第一義は何か」ということによって決められたそうです。

今回の「守さ子守さ」は、
雇われた子守の子どもが
自らのために歌ったのです。
背中に背負った赤ちゃんが泣くと、
「なぜ泣かせるの」と叱られたりして、
泣きたいのは自分なのです。
守子の辛い心情。
慰めたくなるのは自分なの。

「守さ子守さ晩げ(日暮)が大事、朝は寝起きはなお大事」
「守さ子守さ、楽そうで辛い、親にゃ叱られ、子にゃ泣かれ」
「守さ楽のよで楽じゃない、朝は早(はよ)から叩き起されて、
晩は四つまで門に立つ」
「守は辛いぞ、霜月師走、雪はちらつく、子はぐずる」

そして、
「守さ子守さ、なぜ子を泣かす、泣かせまいとの守じゃもの」
「守さ頼むなら、ちんばを頼め、歩くたんびに子が黙る」
と。
『わらべうた・日本の伝承童謡』 町田嘉章・浅野建二編より 

そして、新潟には、
次のような“うた”があります。

   守っ子

守っ子というもの 辛(つら)いもの
雨が降る時ゃ 宿が無い
  おかかにゃ叱られ
  子にゃ泣かれ


子どもに泣かれてしまうと本当に大変です。
鹿児島、奄美大島には、
「泣くないよ(泣くんじゃないよ)」とくりかえし歌う、
「泣くないよ坊ややよ」という美しい“遊ばせうた”が
あります。

  泣くないよ坊ややよ

泣くないよ坊ややよ
   泣くないよ坊ややよ
     泣くないよ坊ややよ
母様(あんま)やよ何処(だち)もうち 
母様(あんま)やよ芋堀(とんふ)りが
野良(はる)ち行ちゃんど
芋堀(とんふ)りが行ちゃんど

泣くなちーば 泣きゅるよ
泣くなちーば 泣きゅるよ
      ヨーハレ愛子(かな)よ


お母さんが畑に芋堀に行っているのですね。
「すぐに帰ってくるからね」、と家族の人。
お婆ちゃんでしょうか、お姉さんでしょうか、
坊やをあやしているのでしょうね。

この“うた”も試聴できます。
『音大工http://www.otodaiku.co.jp/yoko/interview02.html
あまりにも美しいので切なくもうっとりしてしまいます。

それにしても、子どもとは可愛いものです。
佐賀、唐津地方に、
母親が子どもに抱く愛情を、
子兎と母兎の愛情に託して歌った“うた”があります。

   小山の子兎

こんこん小山(こやま)の子兎(こうさぎ)は
なぜにお耳が長(なご)うござる
おッ母(か)ちゃんのぽんぽにいた時に
   長い木の葉を食べたゆえ
   それでお耳が長うござる

こんこん小山の子兎は
なぜにお目々(めめ)が赤(あこ)うござる
おッ母ちゃんのぽんぽにいた時に
   赤い木の実を食べたゆえ
   それでお目々が赤うござる


本当に“わらべうた”は美しいですね。
そして、
「月の出端の美しい月を見てみんなで遊びましょう」と歌う
とても美しい“遊ばせうた”が、沖縄の八重垣島にあります。

   月ぬ美しゃ

月(ツキ)ぬ美(カイ)しゃ 十三日(トウカミカ)
みやらび美(カイ)しゃ
          十七(トウナナ)つ
 ホーイ チョーガ


有名な八重垣童謡です。
お月様の美しさは十三夜、
乙女の可愛さは十七歳、と歌っていますね。

みやらび(ミヤラビ)とは少女の意味です。

沖縄の月を見たくなりました!

月.jpg


資料:
『音大工http://www.otodaiku.co.jp/yoko/interview02.html
  有限会社 音大工
『わらべうた研究ノート』本城屋 勝著 無明舎出版
『わらべうた・日本の伝承童謡』
  町田嘉章・浅野建二編 岩波書店
posted by 事務局 at 20:21| Comment(0) | わらべうた