2012年12月15日
第三十回 だるまさん
だるまさん
だるまさん
にらめっこしましょう
笑うと
負けよ
あっぷっぷ
にらめっこに強い人、弱い人、どちらにしても、
「だるまさん」の“うた”は多くに人に親しまれて
きました。
この「にらめっこ」は幼い頃には、家族や友だちと
よくしたものです。
「あっぷっぷ」で百面相!
どんな表情をして相手を笑わせるか、笑わしたら勝ち。
相手の表情が面白すぎて笑ってしまったら負け。
ある意味の我慢比べですが、
遊び上手な子どもたちには、なんでもかんでも遊びに
なっちゃうのです。
「にらめっこ」も楽しい遊び。
ところで、この「だるま」の名前は何処から?
それは、達磨大師からの発想といわれています。
禅宗の始祖である達磨大師。
鎌倉時代に日本に禅宗が伝来し、
その時に達磨大師の肖像画ももたらされてきました。
その肖像画に描かれていた、大きく見開いた目!
まさに「目を剝く」表情。
その絵から、「だるまさん」と親しまれるように
なりました。
絵には、坐った達磨大師のお姿は、頭から襞の多い朱の衣。
手足は襞の中。
ただただ見えるのはお顔のみ。
濃い口髭に、固く結ばれた口。
そして、大きく見開かれた「目を剝く」表情。
子どもたちは真似したくなっちゃいますね。
そんな「だるまさん」で思い出すのは、
子どものころによく家に飾ってあった大きな目玉の
「縁起だるま」。
最初は、まず一年後のだるま市まで願いがかなうように、
向かって右の白目の瞳を書き入れます。
そうすれば、「だるま」の開眼。
魂が「だるまさん」に宿ることになります。
そして、甲斐あって願いがかなうと、祈願達成!
左の白目に瞳をぐっと書き入れます。
願いがかなわなかったらどうするか。
大丈夫ですよ。
願いがかなわなくても、一年間無事に過ごすことが
できれば、左目を書き入れる人もいるそうですから。
それは、どちらも、達磨大師の姿勢にあるのです。
いかなる困難も克服して精進する姿勢を達磨大師は
お持ちです。
その姿勢にあやかるのです。
どんなに失敗しても、また起き上がり挑戦する。
その「七転び八起き」ができる人間になるため縁起を
かつぐのです。
この「縁起だるまの」の発祥地は群馬県高崎市の
少林寺達磨寺。
お正月の七草の縁日には「だるま市」が立ち、
縁起ものの「だるまさん」を求めに多くの人々が
集まってくるのです。
この「だるまさん」の発祥について、
『なつかしの わらべ歌』 川原井泰江著では次のように
述べられています。
「江戸時代、浅間山の大噴火をはじめとする天変地異が
続発し、天明の大飢饉となりました。
農民の危機を救おうと、九代住職東獄和尚は達磨大師像の
木型をつくり、その像を張り子にして縁日で売るよう
人々に知恵を授けました。
それがだるま市の起源」と。
ではでは、「にらめっこ」しましょう。
笑っちゃ負けよ。
うふっ、うはっ、はっは!
― わらべうたの旅 ― は、今回で最終回となりました。
長い間お付き合いくださいまして
誠にありがとうございました。
来期には、また新しいテーマでお目にかかることとなります。
よろしくお願い申し上げます。
資料:『なつかしの わらべ歌』 川原井泰江著 いそっぷ社
2012年12月01日
第二十九回 大寒小寒
大寒(おおさむ) 小寒(こさむ)
山から小僧が 泣いてきた
何んといって 泣いてきた
寒いといって 泣いてきた
寒くなってきましたね。
冬の山からは冷たい風が吹きおろしてきます。
この木枯らしを歌ったものです。
江戸時代から、
狂言などにも「大寒小寒・・・・・」の
謠(うたい)文句があるとのことで、
この“うた”は「わらべうた」の代表的なものの一つ
なのです。
『わらべうた 日本の伝承童謡』町田嘉章・浅野健二編
には、次のように述べられています。
“行智「童謡集」に
「大さむ小さむ・・・・・なんとてないてきた、
さむいとてないてきた」”と。
また、“尾張童遊集に「寒い時いふ詞」として
「ををさむ小さむ猫の皮ひッかむれ、
又山から小僧がないて来た」”とあります。
この“わらべうた”は、その他、
東北から九州地方まで広く全国的にうたわれていた
そうです。
群馬・神奈川等では、
冬の風の寒い日には、
羽織を裏返しに頭から被り、
「大寒小寒」と呼び合いながら
辻々を駆け廻る習俗もあるのだとか。
楽しそうじゃないですか。
寒さを吹っ飛ばす楽しい遊びでしょうか。
また、「寒い寒いと言って泣いて来た」の次を
「寒いけりゃ当れ、当れば熱い、熱けりゃ後へ去れ、
後へ去れば蚤が食えばくっ潰せ、
くっ潰せば苦いやい、苦けりゃ水飲め、
水飲みゃ腹が痛い、腹が痛けりゃ薬飲め」
なんとなんと“尻取り文句”にして歌っているところも
あります。
それは、栃木、群馬、埼玉、東京、神奈川、大阪、福岡
ということです。
ところで、すこし前のこと、
財団の事務所の裏に“たぬき”が現れました。
前川千恵子さんがその姿を見事にキャッチ!
どうぞご覧下さい。
“たぬき”も「わらべうた」にはたびたび登場する仲間ですね。
では、“たぬき”と一緒に歌いましょう。
♪大寒(おおさむ) 小寒(こさむ)
山から小僧が 泣いてきた
何んといって 泣いてきた
寒いといって 泣いてきた
資料:『なつかしの わらべ歌』 川原井泰江著 いそっぷ社
『わらべうた 日本の伝承童謡』
町田嘉章・浅野健二編 岩波文庫
2012年11月15日
第二十八回 雀雀ほしんじょ
雀(すンずめ) 雀 ほォしんじょ
どの雀 ほォしんじょ
○ちゃん雀(すンずめ) ほォしんじょ
羽(はァね)無(ね)ンで 呉(けェ)らいね
羽コ呉(け)らはで 飛んで来い
川あって 行(いィ)がれね
橋架(か)ァけで 飛んで来い
山あって 行がれぬ
山くずして 飛んで来い
前回、「すずめ」が登場しました。
今回も「雀」が登場する歌で、
「子とろ遊び」・「子買い遊び」・「子貰い遊び」とも
いわれるものです。
弘前地方で歌われたもので、
「ほォしんじょ」は「欲しい」の意味です。
「○ちゃん雀」は誰でも好きな相手の名前をつけて
呼びますよ。
この歌は、平安朝時代の古い子どもの遊びで、
比比丘女(ひふくめ「子を捕(と)ろ子捕ろ」の昔の呼び名)
に、すでにそのもとがあるそうです。
『わらべうた・日本の伝承童謡』町田嘉章・浅野健二編では
次のように解説されています。
「恵心僧都が閻羅天子故志王経の経文の意を取り、
地蔵菩薩が獄卒の率いる亡者を奪ったのを、
獄卒が取りかえさんとするのに擬えて創めたものという」と。
恵心僧都とは、平安時代に『往生要集』を著した天台宗の
僧で、浄土信仰に大きな影響を与えた人です。
あの紫式部の『源氏物語』にも少なからず影響を与えたともいわれています。
その恵心僧都が経文より発想したのが、この歌の根本に
あったのです。
当時、宗教と人々の日常とがいかに密接な関係にあったか
しのばれますね。
そして、
また、江戸時代に童謡をまとめた行智の童謡集によると、
「子をとろ子とろ、どの子がめづき、
あ引との子がめづき、さあとって見やれ」とあります。
その遊び方は、
まず一人が鬼になります。
そして、他の子どもたちは互いの帯の結び目に手をかけて
つかまり、順番に縦につながり、
一番前列の子どもが大手を広げてうしろの子どもを
かばいます。
鬼になった子が、その子の前に立って、
「子とろ、子とろ、どの子をとーろ」といって囃すと、
先頭の子が、
「ちいちゃとって、みーなさいな」といいながら、
鬼が一番後列にいる子を掴まえようとするのを、
とらせまいとして、
右に避けたり、左に避けたりして、
鬼からとられないように防ぎます。
弘前地方のものもたのしいですよ。
子どもたちが、二列に並び向かい合って歌問答。
♪ 山あって 行がれぬ
山くずして 飛んで来い
それが終わると、
指名された子どもが、
自分でブーンといって飛んで来るのです。
楽しそうな「子取り遊び」ですね。
資料:『なつかしの わらべ歌』 川原井泰江著 いそっぷ社
2012年11月01日
第二十七回 しりとり歌
すずめすずめ なにしにここへきた
はらへって やってきた
はらへったら 田をつくれ
田をつくれば 泥はねる
泥がはねたら 洗え
洗えば 冷たい
冷たきゃ 火にあたれ
火にあたれば 熱い
熱けりゃ さがれ
さがれば 寒い
寒けりゃ 酒を飲め
酒を飲めば 酔っぱらう
酔っぱらえば 寝てしまえ
寝れば ねずみにひかれる
ひかれるなら 起きろ
起きれば 夜鷹にさらわれる
このわらべ歌は秋田県で歌われたもので、
歌うときは、かけ合いで歌っていました。
秋田は米作りの土地ですね。
すずめもちゅんちゅん飛び回っていることでしょう。
そして、冬には雪が降り積もり、寒い日が続きます。
そのような日には、大人たちは体を温めるために
お酒を飲んで過ごすこともあります。
しかし、子どもたちの中にはなかなか寝付けない子どもたち
もいます。
そうすると、
「夜になってもなかなか寝ない子どもは、夜鷹にさらわれてしまうよ」と
言い聞かして眠らせていたこともあったのでしょう。
この「しりとり歌」には、土地の人々の日々の生活への想いが宿っているようです。
このような「しりとり歌」を歌われたことがありますか。
また、「しりとりゲーム」で遊ばれたことはありますか。
「しりとり」とは、文章なり単語の語尾をひっかけて、
次の句をつなげるもの。
たとえば、
まず「秋」といえば、次は「きゅうり」、そして
「りんご」「ごぼう」・・・・・と
単語の語尾の音をつなげて続かせていくものです。
これをうまくつなげていくと、
遊び仲間の間に元気が出てきて、
発する言葉にリズムが生まれ楽しくなります。
しかし、つづける単語の最後が「ん」がつくものを
選んでしまったとき、
たとえば、「みかん」。
その時、その単語をいってしまった子どもの負けになり、
ゲームが終了します。
また、このような「しりとり歌」もあります。
白いうさぎや蛙、幽霊、また電気や豆腐がでてくるのです。
さよなら三角
さよなら三角
また来て四角
四角は 豆腐
豆腐は 白い
白いは うさぎ
うさぎは はねる
はねるは 蛙
蛙は 青い
青いは 柳
柳は 揺れる
揺れるは 幽霊
幽霊は 消える
消えるは 電気
電気は 光る
光るは 親父のはげ頭
明治初頭の文明開化の頃の歌です。
なんだか何度か聴いたことがあるような歌ですね。
資料:『なつかしの わらべ歌』 川原井泰江著 いそっぷ社
2012年10月18日
第二十六回 夕焼けこやけ
夕焼け こやけ
あした天気に
なあれ
みなさ〜ん、空が紅に染まる夕焼けはお好きですか。
美しい夕焼けを眺めるとなんだか心は別世界につつまれますね。
以前、旅に出て瀬戸内海の小さな島に滞在したとき、
その島の小高い山に登って、
空から海に沈んでいく太陽の美しさに圧倒されたことがあります。
そして、生きているというのはなんと素晴らしいことかと
思ったのです。
今回の夕焼けの唄は、
そのような夕焼けの中で「あした天気になあ〜れ」と
歌います。
それはお天気占い!
歌いながら、自分の履いている靴やサンダルを
ポォ〜ンと空に向かって蹴り上げます。
落ちてきた履物が地面に落ちたら、
さてどうなのでしょう。
表か裏か?
この表裏でお天気占いなのです。
落ちた履物が表を向いていたら明日は晴れ!
裏になっていると、そう、雨なのです。
では横向きに立ったらどうしましょう。
そのときは曇りなのです。
よく天気予報に、晴れのち曇り雨とあるように、
晴、雨、曇りが占われるのです。
この「わらべうた」で、履物を蹴り投げるのは、“お願い”
なのです。
「夕焼けこやけ あした天気になあれ」と。
それもそのはず、「夕焼けになったら、次の日は晴れ」と
言い伝えられてきているので、そこからこの歌詞ができたようですね。
天気予報じゃないですが、当たる確率はいいのです。
つまりは、願いがかなうことが多いのです。
明日の天気を占うにはいろいろ方法があるといいますが、
父は古傷が痛むと「明日は雨かも」とよく言っていました。
『なつかしの わらべ歌』 川原井泰江著では、
昔からの言い伝えとして次のようなものが書かれています。
・猫が耳までこすって顔を洗っていたら、雨。
・からすが鳴き騒ぐと、雨になる。
・雀がにぎやかにさえずると、晴れる。
・かたつむりが木に登ると、雨が降る。
・雨蛙が低いところにいると、晴れ。
・蛇が木に登ると、雨が降る。
・くもが巣を作ると、晴れる。
・赤とんぼが高く飛ぶと、明日は晴れ。
・夜、蛙が鳴くと明日は晴れ。
・ありが忙しく動いていると、雨になる。
・ありがたくさん出てくると、晴れる。
・魚がはねると雨になる。
沢山ありますね。
言い伝えということですが、結構当たるそうです。
皆様の経験ではいかがですか。
「僕は晴れ男」とか、「私は雨女」とか、
仲間と出かけるときに言う人がいますね。
それがよく当たったりするから不思議です。
まあ運命みたいなものでしょうか。
では歌ってみましょう。
明日、晴れていい天気になるように祈りながら!
資料:
『なつかしの わらべ歌』 川原井泰江著 いそっぷ社
2012年10月01日
第二十五回 烏勘三郎
烏(からす) 烏(からす) 勘三郎(かんざぶろう)
うが家(え)コ 何処だべ
小沢(こざわ)の松原
うが家(え)さ 寄って
小豆まんま 三杯(さんべェ)
白いまんま 三杯
ガーオガオど かっぽげ
この歌は弘前の唄です。
「ガーオガオ=ガアー、ガアー」と鳴き声が濁るのはハシボソガラスで、
「カアー、カアー」と鳴くのはハシブトガラスです。
その名のとおり、ハシボソガラスはスマートで、
ハシブトガラスはくちばしが太くておでこでています。
この歌は、空が真っ赤に染まる夕焼け頃、
ねぐらに帰ろうと、ガアー、ガアーと鳴いて飛んでいくのを見て、
子どもたちが囃し立てる唄なのです。
昔の子どもたちは仲間たちとカラスを見ると追っかけて囃し立てていたのですね。
なんだかその姿が目に見えるようです。
「勘三郎」とは鳥の異称。
擬人法から勘三郎と呼んだのでしょう。
また、カラスの頭の「カ」から勘左衛門とかも呼んで、
親愛感をあらわしていたと思えます。
そういえば、このようなこともいわれますね。
「鳥はカアカア勘三郎、雀はチュウチュウ忠三郎、
鳶は(とんび)は熊野の鉦(かね)叩き、一日叩いて米三合」
「うが家(え)コ」の「うが」は方言で「おまえ」のことです。
「何処だべ」は、「何処だや」の意味。
「かっぽけ」は、これも方言で「かっこめ」の意味で、
大急ぎで食べることです。
カラスの唄はわりと多く残っています。
福島では、
烏(からす)何処さ行ぐ
烏 烏 何処さ行ぐ
天寧寺の湯さ行ぐ
手に持った(の)何だ
粟米 粉米
俺にちっと呉んにゃいが
呉れれば 減る
減ったら 作れ
作れば 冷(つ)みでェ
冷(つ)みだが あだれ
あだれば 熱ッち
熱ッちが 退げ
退げば 痛い
痛げりゃ 鼬(いたち)の糞つけろ
呉んにゃいがは、「呉れないか」の意味です。
冷(つ)みでェは、「冷たいなら」。
熱ッちがは、「熱いなら」。
カラスは何処へ行くのでしょう。
それは、東山温泉です。
温泉に入るカラスとはどんなカラスでしょうね。
これは擬人法で、みんなの良く知っている人物だったのかもしれませんね。
天寧寺は若松市の東南の郊外にあり、もとは北会津東山村です。
また、奈良ではこんな歌も、
烏(からす)こい
烏(からす)こーい 餅やろぞ
十二の餅と 柘榴三つと
代え代えしよ
宙で取ったら 皆やろぞ
足で取ったら 皆かえせ
昔は、正月に餅をついた時、小さな餅をこしらえて
カラスにやりに行ったのでしょうか。
それにしてもカラスと食べ物がからむ歌詞が多いですね。
カラスはきっと食いしん坊と思われていたのでしょうか。
知能指数が高く、学習能力もあり、
そして、子どもへの愛情もたっぷりの鳥なのです。
大正時代にもカラスの愛情たっぷりな素敵な歌が作られています。
それは野口雨情作詞の童謡『七つの子』です。
皆様もよくご存知ですね。
七つの子
野口雨情
からす なぜなくの
からすは山に
かわいい七つの
子があるからよ
かわい かわいと
からすは なくの
かわい かわいと
なくんだよ
山の古巣に
いって見てごらん
丸い目をした
いい子だよ
この歌はやはりいいですね。
資料:『わらべうた 日本の伝承童謡』
町田嘉章・浅野健二編 岩波文庫
『なつかしの わらべ歌』 川原井泰江著 いそっぷ社
2012年09月14日
第二十四回 うさぎうさぎ(月)
うさぎ うさぎ 何見てはねる
十五夜お月さま 見てはねる
皆様よくご存じの「うさぎ うさぎ」の唄。
江戸時代から歌われてきたそうです。
子どものときに、聞かされませんでしたか。
月には兎が住んでいて餅をつくと・・・・・。
そして「ぴょんぴょんはねる」と。
そのたびに、月を眺めて確かめたりして。
その表面の模様が兎の餅つきに見えたりして!
子どものときは素直な心、すっかり信じ込んで、
想像力はどんどん膨れ、
月の兎と夢の中で戯れたりして・・・・・。
今の子どもたちはどうでしょうか。
月にまつわる歌は、“わらべうた”だけではありません。
子どもを愛した良寛さまが素晴らしい長歌を詠われています。
月の兎
いそのかみ ふりにし御代に ありといふ
猿(まし)と兎(おさぎ)と狐(きつに)とが
友を結びて あしたには 野山にあそび
ゆふべには 林にかへり かくしつつ
年のへぬれば ひさがたの 天(あめ)の帝(みかど)の
ききまして
それがまことを しらんとて
翁となりて そがもとに よろぼひ行きて 申すらく
いましたぐひを ことにして
同じ心に 遊ぶてふ まこと聞きしが ごとならば
翁が飢を救へと 杖を投げて いこひしに
やすきこととてややありて
猿はうしろの 林より 木のみひろひて 来たりけり
狐は前の 川原より 魚をくはへて あたへたり
兎はあたりに 跳びとべど 何もものせで ありければ
兎は心 異なりと ののしりければ はかなしや
兎はかりて 申すらく 猿は柴を 刈りて来よ
狐はこれを 焚きてたべ
いふが如くに なしければ 烟の中に 身を投げて
知らぬ翁に あたへけり
翁はこれを 見るよりも 心もしぬに 久方の
天をあふぎて うち泣きて 土にたふれて ややありて
胸うちたたき 申すらく
いまし三人の 友だちは いづれ劣ると なけれども
兎はことに やさしとて
からを抱へて ひさがたの 月の宮にぞ はふりける
今の世までも 語りつぎ 月の兎と いうことは
これがもとにて ありけると 聞く吾さへも
白袴(しろたえ)の
衣の袖(そで)は とほりて濡れぬ
この歌は、「今昔物語」に“月の兎”というお話しがあり、
そこから発想されたそうです。
お腹のすいたお爺さんに(実は神様なのですが)食べ物を与えるために
自分の身をささげた健気な兎。
神様は兎たちの仲の良さを試したばかりに、
こんなことになってしまった、と嘆くばかり。
自らの命を捧げた兎の優しい心をはっきりとみたのです。
そして、月の宮に手厚く葬ってあげようと、
兎を腕に抱え天へお帰りになった、というお話です。
やさしい兎のことを思い、涙している良寛さんが浮かんできます。
月を眺めながら歌ってみましょう。
うさぎ うさぎ 何見てはねる
十五夜お月さま 見てはねる
資料: 『わらべうた 日本の伝承童謡』
町田嘉章・浅野健二編 岩波文庫
『手毬』瀬戸内寂聴著 新潮文庫
2012年08月31日
第二十三回 蝙蝠(こうもり)こっこ
蝙蝠 こっこ えんしょうこ
おらがの屋敷へ 巣つくれ
晩方寒いぞ 風邪ひくぞ
坊やに絆纏(はんてん) ひっかけろ
蝙蝠 こっこ えんしょうこ
おらがの屋敷へ 巣つくれ
三日月さまは 細(ほーそ)いな
野良(のら)からおかァん まだかいな
蝙蝠 こっこ えんしょうこ
おらがの屋敷へ 巣つくれ
山梨で唄われた“わらべうた”です。
「蝙蝠 こっこ」の「こっこ」は「子ッこ」の意味とも、
また「来い」から転じたものでしょうか。
「おかァん」は「お母さん」です。
夏の夕ぐれに、「蝙蝠 こっこ」のような“うた”を
歌ったことはありますか。
この“うた”は農村などで、
長い竹竿の先に手拭をつけ、それを振りまわし、
飛んでいる蝙蝠を追いかけながら歌う「蝙蝠とりの唄」だそうです。
蝙蝠を捕るなんて、可哀そうですね。
映画などの「吸血鬼」のイメージがあるので、
すこし怖がられることもありますが、
血を吸う蝙蝠は種類も少なく、
ほとんどは「蚊」などを取って食べてくれるよき友らしいのです。
昔は、蚊食鳥(カクイドリ)とも呼ばれていました。
尾張には次のような唄もありました。
蝙蝠こういお茶持てこい
堀切回ッてお茶持て来い
関東地方では、
蝙蝠、蝙蝠、
草履やっから
早く来い
福島では
蝙蝠こっこ すっこっこ
向こうの水は苦いぞ
こっちの水は甘いぞ
なにか蛍の唄に似ていますね。
兵庫、和歌山、徳島、愛媛では、
蝙蝠来い、草履やろど、
雨降ったら下駄やろど
蝙蝠は夏の季語でもあります。
以前、「ゆうさりの茶会」に誘われたことがあります。
「ゆうさり」とは夕方頃のことですが、
蝙蝠も夕方から飛びはじめるのです。
その茶会にお伺いした時、
玄関の小間にある床の間の掛軸には、
これから灯を点そうとする行灯が描かれていました。
そして、帰るころには、
蝙蝠が飛んでいる絵に掛けかえられていました。
それは、これから帰るお客様の道案内を
蝙蝠がいたしますよとの、ご亭主の心遣いでした。
さて、歌いましょうか。
楽しく蝙蝠の歌を!
資料: 『わらべうた 日本の伝承童謡』
町田嘉章・浅野健二編 岩波文庫
2012年08月15日
第二十二回 四季おりおり やもよやもよ(蜻蛉)
やもよ やもよ
おとんに目(め)かけて
ござらんかん
過ぎゆく夏にトンボとりの歌。
蜻蛉といえば、蜻蛉(とんぼ)つりに夢中になった子どものころが
思い出されます。
子どもたちの夏の遊びです。
でも、今ではあまり見かけません。
蜻蛉が少なくなったせいでしょうか。
「やもよ」というのは方言で、蜻蛉のことです。
「おとんに目かけて」は、「おとりにめがけて」の意味。
「おとり」とは蜻蛉をとるために仕掛けた罠でしょうか。
「ござらんかん」は「やっておいで」。
やっておいで、おとりをめがけて、
そうすると蜻蛉はつかまえられるからね。
ではどうして蜻蛉をとらえるのでしょうか
この歌は佐賀地方の唄で、
佐賀では、「蜻蛉つり」は次のようにしたそうです。
「約二米の竹竿の先に糸をつけ、
その端に生きた雌の蜻蛉をつけて囮(おとり)にし、
昼間から夕方まで、蜻蛉の飛びかう田圃や原っぱで
振り回す」
(『わらべうた 日本の伝承童謡』町田嘉章・浅野健二編より)
このようにして蜻蛉をとらえるとき、
子どもたちが、みんなでうたう唄がこれなのです。
蜻蛉がどんどん空高く飛ぶようになって、
なかなか降りてこない時には、
降りて来いと誘う唄もありますよ。
高上り、水呉りゅう、
シャンコシャンコ
同じようなものには、
とんぼとろろ
汝(いし)の家が焼けたら
そこいらとまれ
これは茨城地方の唄です。
千葉では、
とんぶとんぶ
酒屋の粕食って
ちょいととまれ
新潟では、
とんぼととんぼ
おら母(チャチャ)の乳のいぼにとまれ
京都では、
トンボやトンボ ムギワラトンボ
シオカラトンボ もち棹もって
お前は刺さぬ 日向は暑い
こち来てとまれ 日陰で休め
高知では、
とんぼとんぼおとまり
あしたの市に塩辛買うてねぶらしょ
「蜻蛉つり」では空高く飛ぶ蜻蛉を呼ぶには、
水を飲ましたり、酒粕食わしたり、日陰で休めとか
塩辛買ってねぶらそうかなどと、一生懸命ですね。
では、唄ってみましょうか。
それには、田舎の田圃にいきましょう。
それがいいね!
資料:『わらべうた 日本の伝承童謡』町田嘉章・浅野健二編
岩波文庫
2012年08月01日
第二十一回 うしもうー(牛)
うしもうー かね噛(か)ましゅ
いやバーイ 杉の枝
牛ァかか もたれん
馬ンかか 借(か)っとらす
返(かえ)しゃ得(え)じ 鳴きよらす
最近は田畑で牛を見かけることはありませんね。
牛に替わって耕運機が活躍しています。
この“うた”は田畑の耕作に牛や馬が一役買っていた
頃にうたわれていた唄です。
『わらべうた 日本の伝承童謡』町田嘉章・浅野健二編
によると次のような意味になるようです。
のっそりと働いている牛が「モウー」と鳴き声を立てると、
近くで遊んでいた子供たちは一斉にこの唄で囃したて、
カネ、すなわち「馬のくつわを口にはめよう」と唄います。
そうしたら、
牛は「嫌だと鳴くに違いない。
それより鼻に通す杉の枝の方がいいというだろう」
杉の枝とは牛の鼻輪のことです。
続けて唄うには、
「牛はお嫁さんをもっていないよ」
カカとは妻のこと。一説には母とも。
「馬のお嫁(お母)さんを借りているよ」
そして、
「返せないで、あんなに鳴いているよ」
牛を取り巻く子どもたちや人々の生活が感じられます。
ほんとうに牛が身近な日常の風景に溶け込んでいたのですね。
この唄は佐賀県の鹿島地方から太良地方にかけて歌われていたようです。
鹿島は九州の西部にあり、
東は有明海に面したところで、
南部は多良(タラ)山が連なっています。
この土地では今でもお年寄りに唄われているそうです。
みなさん、「べいご」という言葉を聞かれたことはありますか。
牛のことです。
北海道や東北では牛は「べこ」といい、
新潟や山形では「おし」、茨城や千葉では「うしめ」、
山梨では「うしんべえ」、長野では「べえぼう」、
石川、静岡、愛知では「ばつこ、ぼつこ、うしんぼう」、
島根では「もうん」、宮崎や長崎では「うひ」、熊本では「うぅし」、
鹿児島では「べぶ」といったそうです。
東北の岩手にはこんな牛の唄があります。
べいご べいご つんべいご
山のべいごに負げんな
味噌くって肥えろ
酒のんでつくれ
秋田では、
べこべこ餅食(か)せる
小ちゃ餅やったけゃァ
いらねァて投げだ
大き餅やったけゃァ
いひひて笑った
面白い唄です。
宮城では、
べいご、べいご
豆食(け)え
生(お)がったら米食(け)え
群馬では、
牛もうもう
鼻っかけ
親に世話焼かして
それで角がまがった
親不孝するから角がまがったというのです。
これは牛の話でしょうか。
私たちのことを牛にたとえているのでしょうか。
福岡では、
牛ァ角(けん)なもたんだ
馬ン角(けん)ば借っとった
宮崎では、
牛ァかかもたれん
馬(うんま)かか借っとら
牛なのに「かか=妻」のことまで
心配してやっているのか、ひやかしているのか、
牛は子どもたちとこんなにも身近なのです。
牛と人との関係はとても深く、
私たちの農耕生活とともにはじまった牛との生活があります。
それは世界的にみると9000年前から始まっているそうで、
人間よりはるかに力の強い牛は、
機械のない時代にはとても貴重な労働力だったのです。
そのことに感謝して、
これらの“うた”を歌ってみるのもいいですね。
資料:『わらべうた 日本の伝承童謡』町田嘉章・浅野健二編