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2012年07月16日

第二十回 だいぼろつぼろ(蝸牛)

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だいぼろ つぼろ
おばけの山 焼けるから
早く起きて 水かけろ
       水かけろ


まだ梅雨の気配のする庭に下り立つと、
アジサイの葉に蝸牛(かたつむり)がいることが多いですね。
今回はちょっと残酷でむごい蝸牛と蛙の“わらべうた”です。

蝸牛の唄は全国的にあるのですが、
この「だいぼろつぼろ」は茨城の古河地方の唄です。
歌詞は私たちにとってすぐに理解するには少し難しいですね。
“かたつむり”にむかって言っているのでしょうか。
おばけの山が焼けるから
早く起きて水かけろ、
とは状況をよく知らないと
わかりにくいですね。
どんな状況で、どのように唄うのでしょうか。
それは、この唄を生みだした人たちや
この“うた”歌って遊んだ子どもたちの心と
交信しなければなりませんね。
それにしても、お化けの山焼けるとは、あまりにも幻想的!

「かたつむり」で思い出すのは、
後白河天皇と関係深い『梁塵秘抄』です。
そこには、

舞へ舞へ蝸牛 
舞はぬものならば
馬の子や牛の子に蹴(くゑ)させてん
踏みわらせてん
まことに美しく舞うたらば
花の園まで遊ばせん


この“うた”は、なぜか美しい風情がしてきますね。
子どもたちのロマンが感じられる“うた”になっています。
これは、いまでいう流行歌、当時“今様”といわれたものです。

しかし、一般的な蝸牛の唄では、

蝸牛(カタツブリ) 蝸牛
銭(ぜに)百呉(け)えら、
角コ出して
見せれ見せれ


秋田の“うた”です。
東京や千葉、神奈川では

まいまいつぶろ
湯屋で喧嘩があるから
角出せ槍出せ
鋏み箱出ァしゃれ


また、

でェくらでくら、
角出して踊らんと
向えの岸岩坊(きしがんぼう)が
蛇を追て来(こ)ッど


鹿児島の唄ですが、角を出させるために
なにか代償を与えようという魂胆が・・・・・
そして、喧嘩や火事でおびき出そうという内容のものまで
あります。

子どもながらの駆け引きや自分の思い通りに蝸牛を
動かしてやろうという考えが出ているのが
この“かたつむりのうた”には多いですね。
子どもに芽生えた自我が表現されている“うた”なのでしょうか。

類似した“うた”には、福島や茨城にもあります。

まいまいつぶろ
小田山焼けるから
角出してみせろ


また千葉では、

おばおば おばらァ家が焼けるから
棒もってこい 槍持って出てこい

“爺も婆も焼けるぞ”
なんて恐ろしい!

また、こんな“うた”も、愛媛にはあります。

カタタン、カタタン 角出しゃれ
爺(じい)も婆(ばあ)も焼けるぞ
早う出て水かけろ


なにか蝸牛に命令しているような“うた”ばかりでしたね。

蝸牛の後は蛙の“うた”です。
また、いろんなものが見れるかな、と思って、
箱根にいったとき、
そこで見たもの、いや聞いたものはカエルの鳴き声。
泊まった宿に小さな池があり、
そのあたりから夕方になると、
ゲロゲロというより今まで聞いたことのない鳴き声が
聞こえてきました。
そこで思い出したのが蛙の“うた”です。

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“ぴっきぴっき(蛙)”の“うた”を
続いて載せてみましょう。
山形の“うた”です。

びっきびっき(蛙)

びっき びっき いつ死んだ
ゆんべ酒呑んで 今朝死んだ
和尚さま頼んで まま上げろ


「びっき」とは方言で蛙のこと。
東北や栃木県新潟県、岐阜県、滋賀県、佐賀県などに
残っているそうです。

でも蛙さんが死ぬとは・・・・・。
やはり蝸牛の“うた”と同様に、
その“うた”が生まれた当時のことや、
その時代の人の心がよくわからないと
すぐさま理解するのはむつかしいです。

そしてこんな“うた”も、
新潟で歌われたのですが、

蛙(けいり)さん死んで
車前草(オンバコ)さん弔(とむ)れいに


京都では、

雨蛙どのは いつ死なさった
八日の晩に 甘酒のんで ついつい死なさった


それにしても、なぜ、蛙さんは死ななきゃならないのですかね。
次のようなことが『わらべうた・伝承童謡』町田嘉章・浅野健二著に
書かれていました。

「爰(ここ)らの子どもの戯(たはむれ)に、
蛙を生きながら土に埋めて
諷うていはく、ひきどののお死なった、
おんばくもってとぶらひにとぶらひに、と口々にはやして、
ふいの葉を彼(かの)うづめたる上に打ちかぶせて帰りぬ。
しかるに本草綱目、車前草(しゃぜんそう)の異名を
蝦蟇衣(がまい)といふ。
此国の俗、がいろつ葉とよぶ。
おのずからに和漢、心をおなじくすといふべし。
むかしはかばかりのざれごとさへいはれあるにや。
卯の花もほろりほろりや蟇(ひき)の塚  一茶」(おらが春)


う〜ん。
子どものたわむれに、生き埋めにされた蛙。
なんと可愛そうなのでしょう。
子どもは時に残酷なものです。
そしてくちぐちに蛙は死になさった、といい。
「とぶらひ」「とぶらひ」とはやしたて、唄い、
ふいの葉(オオバコの葉)を、
蛙を埋めた土の上にかぶせて帰っていったのです。
江戸時代の俳人小林一茶は、
生き埋めにされた蛙をかわいそうに思い、
一句詠みました。

卯の花も ほろりほろりや 蟇(ひき)の塚
                    一茶

亡くなった蛙の塚の上に卯の花が哀しんで
ほろりほろり涙を流すようにこぼれかかっている、と。

人間の持つ残酷性は、
はやくも子どものうちからあらわれて来るもの。

今回は、人間のもつ功利性と残酷な自我が表現された
“わらべうた”でしたね。

さて、みなさまはこれらの“うた”を歌うとしたら、
どのような気持ちで歌うでしょうか。

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資料:『わらべうた・日本の伝承童謡』
    町田喜章・浅野健二編  岩波書店
posted by 事務局 at 11:43| Comment(0) | わらべうた
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