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2008年03月15日

“四季おりおり” 第六回 春分の日


昼夜の長さが同じ日。
太陽が真東から昇り、真西に沈む日。



お彼岸(ひがん)

日本古来の祖先信仰と仏教思想が合わさってお彼岸行事が生まれました。

仏教では西方に極楽浄土があると言われます。
春分の日は、浄土があるとされる真西に日が沈みます。このことにちなんで仏事が行われるようになったのです。

前後の一週間は「春のお彼岸」。

この期間、お寺では彼岸会(ひがんえ)という法要が営まれます。お墓参りをする方も多いですね。団子やぼた餅を作り仏前にお供えします。

「彼岸」とは、一切の悩みを捨て去った向こう岸です。それは穏やかな悟りの境地。

「此岸(しがん)」は、生死(しょうじ)の苦しみに迷う現世。

生死のなかの雪ふりしきる
どこでも死ねるからだで春風


生涯を旅で終えた俳人山頭火、その旅での心境を吟じた句です。

生死のことは、いつの時代でも問題ですね。

生死を超えた心に達するのは難しいですが、ある仏教書に書かれた次の言葉が忘れられません。

「生死を超えるとは、自らの生と死を一望のもとに見通し、生きていることも尊い意味をもっているが、死ぬこともまた尊い意味をもっていると言いきれるような、生死を超えた領域に心の視野を開くことです」と。

心に浄土をもちたいもの。

「お彼岸」はこんなことも考えさせてくれる日なのですね。
時々は、「彼岸」から「此岸」を眺めることも必要なのでしょう。いま生きている現実の苦悩を乗り超えるためにも。




山あれば山を観る
雨の日は雨を聴く
春夏秋冬
あしたもよろし
ゆうべもよろし


山頭火 句集『草木塔:山行水行』


漂泊の旅から生まれた境地。

人生も旅そのもの、春夏秋冬、あしたもよろし、ゆうべもよろし、と言えるように生きたいものです。

そして、

笠にとんぼとまらせてあるく
            山頭火


のです。


さあ、お彼岸の頃は桜の季節でもあります。



桜の季節に想う


明治23年(1890)の4月、日本を訪れたラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、『東洋における私の第一日』を書き残しています。

「日本の国では、どうしてこんなに樹木が美しいのだろう。
西洋では梅や桜が咲いても、格別に驚くほどのことではないが、日本においてはそれが全く驚くほどの美の奇跡になる。

その美しさは、以前にそのことについていかほど書物を読んだ人でも、実際に目のあたりにそれを見たら口がきけないくらい、妖しく美しいのである。

葉は一枚も見えず、ただ一枚の大きな薄い膜をかけたような花の霞なのだ。

ひょっとしたら、この神ながらの国では、樹木は遠い昔から、この国土に培われ、人にいたわられ愛されてきたので、ついには樹木にも魂が入って、あたかも男に愛された女が、男のために一層みずからを美しくするように、樹木もまた心を入れて、お礼心をあらわすものなのだろうか」(唐木順三著『日本人の心の歴史』より)


ハーンの目に映った日本の樹木の美しさ。その美しさは、樹木と人との間に交わされる親密な愛情にあるというのです。

そういえば『伊勢物語』にこのような歌があります。

世の中にたえて桜のなかりせば
  春の心はのどけからまし
        
             在原業平



(世の中に、桜というものがまったくなかったなら、春はのどかな気分でいられるだろうに)

春になると、桜の花のことを想い落ち着かなくなるのです。
いつ咲きはじめるのだろうか。
咲けば咲いたで、雨や風に散ってしまわないだろうか心配だ。
ああ、こうしていると、のどかな春の気分にもなれないよ、と嘆いているのです。

それにしても、いっそ桜などないほうがいいとは。
桜への想い、せつないですね。

桜を愛する心にも悩みはつきないもの。

「彼岸」から見た桜はいかがなものでしょうか。


桜の開花予想が気になりますね。

次回は、お花見に行きましょう。




資料
『日本の心を旅する』栗田勇著 春秋社

『花鳥風月のこころ』西田正好著 新潮社

『日本人のしきたり』飯倉晴武著 新潮選書

『日本人の心の歴史』唐木順三 筑摩叢書

『親鸞』梯實圓著 大法輪閣

posted by 事務局 at 00:00| Comment(0) |
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