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2010年04月15日

第七回 仏陀 (ブッダ)


その1 めざめた人

「あれを見よ!」と
シッダールタは小声でゴーヴィンダに言った。
「あの人こそ仏陀だ」 略

仏陀はつつましく考えにふけりながら歩いていった。
その静かな顔は楽しそうでも悲しそうでもなかった。
かすかに心の中に向かってほほえんでいるように見えた。

『シッダールタ』ヘッセ/高橋健二訳より


ブッダの姿を今によみがえらせたヘルマン・ヘッセ。
その美しい描写は心の中に刻み込まれます。

ひそやかな微笑をたたえ、静かに、安らかに、
健康な幼児さながらに、仏陀はそぞろ歩いていた。
すべての僧と等しく、厳格な定めに従って、
衣をまとい、足を運んでいた。
しかしその顔は、その歩みは、
その静かに伏せたまなざしは、
その静かにたれた手は、
さらに、静かにたれた手の指の一つ一つまでが、
平和と完成を語っており、求めず、まねず、
しおれることのない安らかさの中で、
しおれることのない光の中で、
侵すことのできない平和の中で、
穏やかに呼吸していた。


仏教の始祖・ブッダがいま目の前を歩いているよう気がします。

前回は、玄奘三蔵、ブッダの国への求法の旅。
当時、玄奘がたずねた祇園精舎(ブッダ説法の地)は、
すでに廃墟となっていました。

  月の光は冴ゆれども
  精舎のあとは寂びはてぬ
  貧しき人を、はた、病み人を
  救いし聖者、いまいずこ?!

『ザ・西遊記』呉承恩著作 全訳・村上知行より


今回は、人が生きていくうえで、
もっとも大切なこころの持ちようを説いた
ブッダの生涯にふれてみたいと思います。

ブッダとは、インドで「真理を覚り、体現した覚者」の尊称であり、
「めざめた人」のことを意味します。



ゴータマ・シッダッダ

ブッダが生き、活躍したのは紀元前5世紀頃のインドです。
誕生は、定説では紀元前463年。
本名は、「ゴータマ・シッダッダ」
ゴーダマは、「最上の牛を持つ者」、
シッダッタは、「すべてを成し遂げた人」と言う意味で、
シャーキャ(釈迦)種族のなかの、農耕民の一氏族です。
父・シュッドーダナは、シャーキャ種族の長、
または、王ともいわれています。

ブッダのことを釈迦と呼ぶのも、シャーキャ族の出身だからです。

手元に大型本『ブッダの世界』(中村元編著)があります。
開くと「シャーキャ族の地、ネパール=タラーイ」の写真。
ヒマラヤの美しい峰峯が遠くに見え、
車を引く牛たちが夜明けの路を歩んでいます。
解説には、その姿は、「2500年の昔も今も変わりはない」と。
少年時代のブッダも、
夜明けの路を行く牛たちを眺めていたことでしょう。
タラーイ盆地はヒマラヤの裾野、現在のネパール領の南端です。

この地に、ブッダの生まれたルンビニー園があります。
インド国境から8キロほどネパールに入った農村。
大きな菩提樹の側に、ブッダの母のマーヤー夫人堂が建ち、
そこには、ブッダ生誕を表す浮彫りが祀られています。



幸せな少年時代、しかし・・・・・

ブッダが幼年時代を過ごしたのは、
豊かな平野にあるシャーキャ族の都カピラヴァストゥ。
学んだのは、語学、算数、天文、地理。
弓や刀などの武器の使い方、戦いの方法、馬術なども。
それに、相撲の四十八手。
当時の姿が、ガンダーラ地方から出土した彫刻に
残っています。
それは、馬に乗って学問処に行き、学友と一緒に学ぶ姿。
当時、武術は、戦いのためだけではなく、
聟選びのための競技としても行なわれました。
妃ヤショーダラーを得るとき、シャーキャ族の若者たちと、
弓の技能を競った伝承が残されています。

そして、シッダルダ(若き日のブッダ)の生活は、
春、夏、冬の季節ごとの、過ごしやすい別邸があり、
多くの付き人もいました。

まだ出家していないころの私は、
苦しみというものを知らなかった。
幸せな生活をほしいままにしていた。
父の屋敷には池があり、
青い蓮華、赤い蓮華、白い蓮華が美しく咲いていた。
私の部屋には、カーシー産のビャクダンの香りが
いつも心地よく漂っていた。
衣服もすべてカーシー産のりっぱな布で
仕立てられていた。 略

このように私は富裕な家に生まれ、
幸せな生活を営んでいたにもかかわらず、
内心では決して満足していなかった。

『増支部経典』抄訳 (『人間ブッダ』田上太秀著より)


物質的に恵まれた生活も、学問や武術も、
心に満足を与えなかったとは・・・・・。
ブッダは、生後7日にして母マーヤーを失っていました。
以後、母の妹マハープラジャーパティに育てられています。
母の死は、少年の心にどのような影響を与えていたのでしょう。

農耕祭に参列したときのことです。
畑を這う小さな虫を眺めていると、
小鳥が飛んできてすぐにその虫を食べてしまいました。
するとこんどは、
大きな鳥が襲ってきてその小鳥を食べてしまったのです。
あっという間のことでした。

「ああ・・・・・なんということだろう
瞬く間に、命が次々に失われた。
いったい、生きるということに
どんな意味があるのか。
生き物は、なぜ生きて、なぜ死ななければならないのか。

『増支部経典』(『釈迦の本』学研より)


弱肉強食の世の中。
苦しげに農具を引く牛や、
一日中、働きつめて疲れた様子をみせる農夫に
心をいためる若き日のブッダ。

老いや病や死の苦しみをみつめ、
それらが、すぐにも自分の身に迫ってくることを感じとり、
坐禅をして考え込む日々が多くなったそうです。

生きることの真実を見極め、
究極の安らぎの境地を求める心がめばえたのでしょうか。
いつかは出家してその境地に達したいと思うようになったのです。

出家を決心したのは、
妻・ヤショーダラー妃に男子が誕生した後のことです。
生まれたわが子につけた名前は、「ラーフラ」。
その意味は、「束縛」、「障害」です。



29歳、家庭を捨てて、求道の旅へ

この青年ブッダの旅立ちの物語ほど
私たちの胸を躍らせるものはない。
仏教という大河の源流が、
その一滴のしたたりからはじまるのだ。
体一つで家を出離したブッダは、
それから六年間の筆絶につくしがたい苦行生活に
身を投じるのである。 略

感動するのは、
29歳の家庭持ちの男性が、
生活上の必要からでなく、
人生の真理を求めたいと
再出発するにいたる内面のドラマである。

『仏教のこころ』五木寛之著より


古代インドには、「出家」する風習があったとはいえ、
父や養母や妻と幼い子を捨て、体一つで家を出る決意とは、
その心の葛藤は、はかりしれなく深く激しいものだったでしょう。

深夜、愛馬カンタカに乗って、密かに宮殿を出ると、
夜明けには、アノーマー河のほとりに着き、
剣をはずし、みずから髪を切り、身に着けた装身具を手渡し、
従者チャンナに告げました。

父上に申し上げてほしい。
生死の問題を根本的に解決するために
私は出家します。
生きとし生けるすべてが
限りない悩みと苦しみから解放されて
最高の安らぎを得るために、
修行の旅に出ます。
私は、最高にして無上の“悟り”を体得するまで
決して国に帰ることはありません。

『釈迦の本』学研より


ナーガルジュナ=コンダ出土の一連の浮彫りには、
うちしおれて帰城した従者と愛馬。
そして、知らせをうけるシュッドーダナ王。
右端には、悲しみにくずれおちるヤショーダラー妃。

『ブッダチャリタ』(釈迦の生涯を謳い上げた叙事詩)に、
ヤショーダラー妃の悲しみが詠われています。

善業・功徳(ダルマ)をともに積む伴侶であった私を捨て、身よりなき女にしておいて、功徳を積もうと望んでも、この伴侶なしに苦行(の功徳)を享受しようなどと望むような人には、どうして功徳なんかあるものか。
(『ブッダチャリタ』第八章。アシュヴァゴーシャ作 原実訳
『釈迦とイエス』ひろ さちや著より)


ヤショーダラー妃の怨みの言葉です。
古代インドでは、
一定の年齢に達したら、夫婦そろって出家する風習があり、
宗教的隠棲生活をすることがあったのです。
それを待たないで、自分だけ出て行くとはと・・・・・。

一介の出家修行者となったゴーダマ・シッダッタには
どのような苦行が待っていたのでしょうか。
そして、父や養母や妻子のその後は!

つづく




資料:
『シッダールタ』ヘッセ/高橋健二訳 新潮文庫
『仏教のこころ』五木寛之著 講談社
『ブッダの世界』中村元編著 学習研究社
『原始仏教』中村元著 NHKブックス
『人間ブッダ』田上太秀著 第三文明社 レクルス文庫
『ブッダ』監修・奈良康明 実業之日本社
『釈迦とイエス』ひろ さちや著 新潮選書
『釈迦の本』学習研究社
『ザ・西遊記』呉承恩著作 全訳・村上知行
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posted by 事務局 at 10:56| Comment(0) | 仏陀 (ブッダ)
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