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2008年11月15日

“四季おりおり” 第二十二回 冬へ


今日、街を歩いていると和菓子屋さんの店頭に「黄金もちあります」と写真入のポスターが張ってありました。酉の市(とりのいち)が開かれる季節になったなと、少し冷たい風を感じながら思いました。

今年の酉の市は三回で、
11月3日(水) 一の酉、17日(月)二の酉、29日(土)三の酉。

毎年11月の酉の日に、鷲神社(おおとりじんじゃ)で行われる祭礼を「おとりさま」と呼んでいます。
神社に市が立つので「酉の市」といわれます。
もともとは武運長久の神として武士の信仰を集めた鷲神社でした。
江戸時代になると、この市で農耕具を売るようになりました。なかでも熊手が「福をかき集める」、「金銀をかき集める」縁起物として人気がでました。
ほかにも縁起物の七福神、お多福面、宝船や黄金餅なども売られるようになります。
そうなると武運長久の神というよりも、商売繁盛、開運の神として広く信仰されるようになったのです。
庶民の力は強い!

縁起物は「安く買うほど縁起が良い」そうで、店頭では売り買いの値段のかけひきが行われます。値段が決まるとにぎやかに、威勢良く三本締めの手拍子が響きます。

寒さはますます深まり、枯葉も地面を覆うようになりました。



すべては大地にかえる

大地はさまざまなものがかえっていくところです。
人も草も大地にかえります。
は、のかえり着くところです。

落地生根(らくちせいこん) 落葉帰根(らくようきこん)
という言葉があります。
生きとし生けるものはすべて生命の根にかえっていく。
人もまた地上から去るのではなく、大地に還っていくのですね。
いのちあるものは、生命の流れの根元へもどるということです。

植物が枯れ、葉を落とすのは、寒さから身を守るための知恵なのです。
落葉はいずれ自分を肥やし、また枝と枝の間をひろげさせて、日光を受け入れます。再生の準備なのです。草も同様、枯れて地中で静かに次の季節を待つのです。
人間の人生だって考えてみれば同じです。いろいろな経験をつんで、成熟し、最期には、次の世代へと生まれ変わる引き継ぎ、自分の出発点・いのちのもと・大地に還ります。

11月22日(土)は暦の上で、小雪(しょうせつ)。雪の降り始める時期です。



冬の月

11世紀初頭の頃、花や紅葉のはなやかな色の世界よりも、雪と月との白一色の世界に心をひかれた人がいました。
光源氏は冬の月が大好きでした。
『源氏物語』「朝顔」の巻。

与謝野晶子現代訳によると、

「春がよくなったり、秋がよくなったり、
始終人の好みの変わる中で、
私は冬の澄んだ月が雪の上にさした無色の風景が
身に沁んで好きに思われる。
そんな時には
この世界のほかの大世界までが想像されて
これが人間の感じる極地の境だという気もするのに、
すさまじいものに冬の月を言ったりする人の浅薄(あさはか)さが思われる」
 源氏はこんなことを言いながら御簾を巻き上げさせた。
月光は明るく地に落ちてすべての世界が白く見える中に・・・略。


源氏はこの世界のほかの事(37歳で亡くなった藤壺のことなど)を思い出しています。月光にはえる雪景色のなか、時間は凍りつき、記憶と夢をのせ流れていきます。子どものとき、永遠の想い人である藤壺の見ている庭で雪まろげして遊んだことも思い出しているのでしょう。

そばにいる紫の上(むらさきのうえ)は

氷とぢ 岩間の水は 行き悩み 
   空澄む月の 影ぞ流るる


と口ずさみます。
2人は庭の池の水も凍って流れない、ただ白い雪の上を月の影だけが音もなく流れてゆく、現実を越えた世界にいるのです。
雪が二条院の庭に美しく降り積もった夜のこと。
日頃の源氏の行いを恨めしいと思っている紫の上を慰めていた源氏。
紫の上は悲しみを抑えることもできず、涙のこぼれることもあったようです。辛い心情が伝わってきますね

この源氏物語の冬の美しさの描写は、
中世・鎌倉や室町時代に見られるようになる冬の美を解する心につながるのです。

紫式部は「あはれ」「はかなし」から、新しい冬の色の世界が開けてくることを予期していたのでしょう。

日本文化のセミナーで、『冬の中に美を見出した日本人』というテーマがありました。

源氏物語の王朝文化の時代から、武士たちの権力争いの時代に移っていきます。後白河天皇と崇徳上皇の権力争い「保元の乱」、後白河上皇、平清盛等と藤原信頼、源義朝たちと戦い「平治の乱」に参加した武士たちが力を強めていく時代となります。

保元元年(1156年)に起こった保元の乱を綴った軍記物語の『保元物語』では、源義朝は「合戦の庭に出て、死(しぬる)は案の内のこと、生(いきる)は存の外のこと也」と言っています。戦場では死ぬのは当たり前、生き延びるのは
思いもよらぬこと。というのです。

平治元年(1159年)に起こった平治の乱を綴った軍記物語の『平治物語』では、藤原光頼が家来に向かって「自然の事あらば、人手にかけず光頼の頸(くび)をばいそぎとれ」と言います。
「自然の事」とは、「もしものこと・死」のことを意味しています。
合戦では死ぬことは覚悟のうえ、「自然の事」です。

死を「はかなし」とか「あはれ」と思う前に、覚悟が大事。
戦場では死と向き合い、認めよと、武士たちはいいます。
時代の意識もそうだったのでしょう。
中世・ 武士たちの時代は戦いの中から始まるのです。
戦いのなかでは「あはれ」より、感動する心情は「あっぱれ」に変わります。

そのような時、人々は世の醜さに追いつめられていくのです。
武士はその経験を通して、人生は生死無常と知ったのです。
無常とは、常ならず、すべてのものは常に変わっていくということです。
今の悩みは明日の喜びに変わるかもしれないし、
また、今の喜びは明日の悲しみに変わるかもしれないのです。

人々は無常の争いごとの中で、明日の新しい世界をみいださざるをえませんでした。
人生の苦しみを抜け出たとき、開けてくるのは別世界。

人生は季節のめぐりと似ています。
秋から冬へ、冬から春へ、夏へと廻っていきます。

春を迎えるには冬を経なくてはなりません。
このことを知れば、冬には冬の美しさがあることに人は目覚めていくのです。

この世の醜い争いごとも冬に降る白い雪の中に埋もれていきます。

大地にかえっていく万物の姿を、冬は一度白い雪で覆いつくし、また萌え出る大地の春を雪の下に準備するのです。
雪漫々の大地の下には春のぬくもりが用意されています。

紅葉のいろどりや鹿の鳴く声にあはれを感じるだけではなく、雪漫々の冬の季節にも生きる歓びを感じるために何が必要だったのでしょう。

戦場における死を「自然の事」と見つめる精神の出現によって、
新しい人生の季節はひらけたのでしょうか。
それは、武士たちのみではなくその時代に生きる多くの人々の心にも
起こったことだったのでしょう。

「あはれ」から「あっぱれ」への転換でした。

次回は、その日本人が見出した冬の美に想いをはせましょう。






資料:
『日本人のしきたり』飯倉晴武編著 青春出版社

『日本人の心の歴史』唐木順三著 筑摩叢書

『漂泊者のノート』五木寛之 齋藤愼爾著 法研

『全訳源氏物語』与謝野晶子訳 角川文庫

『季語の底力』櫂未知子著  生活人新書


posted by 事務局 at 04:46| Comment(0) |
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