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2017年01月01日

第10回 七草粥

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 正月は、むかしから、年取り魚の鰤や鮭など各地の魚類を添えた年取りのお膳、それにおせちの組重、また雑煮などをはじめとするいろいろなごちそうが用意され、老若男女、多くの人たちの楽しみの行事でした。最近では洋風や中華風のおせち料理もみられるようになり、美酒と美食で胃腸も忙しい日々となっています。しかし、それらが一段落ついたころ、1月7日の七草粥は、また味わい深いものです。新春の七種類の若菜を集めて、水分を多くして米を柔らかく粥に煮る料理で、消化吸収がよく健康食の代表でもあります。七種類の若菜については、「せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ、これぞ七草」という歌がよく知られていますが、この歌はすでに江戸時代前期の貝原益軒と甥の好古の編になる『日本歳時記』(1687年)にも記されている古くから知られた歌でした。この七草の組み合わせの歴史も古く、すでに平安時代末期の『年中行事秘抄』(12C末)にもみえています。また、七草の行事も西行法師の『山家集』(13C後)に「うづゑつき ななくさにこそ おいにけれ 年を重ねて 摘める若菜に」と歌われています。

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 七草の粥の歴史をさかのぼっていけば、正月七日の七草粥だけでなく、天皇即位の践祚大嘗会(せんそだいじょうえ)の解齋(げさい)の膳に供された七種御粥にもたどりつきます。それは『延喜式』(927)巻40の主水司の記事に「米・栗・黍子(きみ=きび)・薭子(ひこ=ひえ)・篁子(みの=むつおれぐさ)・胡麻子・小豆」とあるもので、七種類の穀類と菓類などを柔らかく煮たものだったことがわかります。また、鎌倉時代の『太平記』(14C後)には正月15日の粥を七草粥と呼んでいる例がみられます。現在では1月7日が七草粥で、15日は小豆粥というのがふつうなのですが、歴史をさかのぼると、このように大嘗祭とか正月年賀式とか、重要な祭事のあとにそれを締めくくる意味の儀式的な献立として七草粥があったことが考えられます。
 正月行事の献立としてみれば、7日の七草粥と15日の小豆粥というのは1セットとなっています。正月年賀式を締めくくっていく順番として、上弦の日の7日には白色緑色系の七草粥が、満月の望の日の15日には赤色系の小豆粥が、それぞれ食されてきたのです。小豆には、冬季に弱まっている太陽の光熱へのあこがれと願いと感謝の思いが込められており、冬至、雑煮、小正月の小豆粥などとくに冬場の行事食として繰り返し食されてきたのでした。七草粥で独特な作法として知られているのが、「ななくさなずな、唐土の鳥と日本の鳥と、渡らぬさきに、なずなななくさストトントン」などと唱えながら、まな板を叩いて野菜を切るという方法です。日本の各地に伝えられてきたもので、歴史も古く室町時代の『桐火桶』(1363頃)には7回ずつ7度叩くとあり、江戸時代の俳諧『玉海抄』(1656)には「七草をはやし初(そ)めてや七ひやうし」と詠まれています。これは鳥追いの歌ともなっており、1年の災厄や疫病や害虫鳥類の被害を除けて1年が五穀豊穣、身体壮健のよい年となるようにという願いが込められています。

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 さて、七草粥は日本各地を見渡してみると、粥ではなく美味しい雑炊を炊くという地方も多く、岡山県周辺、四国、九州地方にそうした例が伝えられています。また、正月の供え餅を入れて雑煮にして食べるという地方も、秋田県から北陸地方、鳥取県、北九州など日本海側に分布しており、近畿地方から瀬戸内地方にも点在しています。
 柔らかくて胃腸にやさしい粥は長い歴史をもっており『続日本紀』文武4年(700)には寺の和尚が病人に食させたという記事があります。中世の禅寺ではほぼ朝食が粥であり、その伝統は今も引き継がれています。その禅寺からの影響かどうかはともかくとして、関西では古くから朝食に朝粥が好まれており、奈良県では茶粥がよく知られています。健康食でもあり栄養のバランスもよい七草粥を、今年の正月には味わってみてはいかがでしょうか。物足りないという人は、日本の各地に伝えられているような七草雑炊にしてみるとか、七草雑煮にしてみるのもいいでしょう。伝統食は意外におしゃれなものでもあるのです。



文:新谷尚紀(日本文化藝術財団専門委員/国立歴史民俗博物館名誉教授)

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