
しかし、2001年3月、追跡調査でRがつく3月Marsにブルターニュを訪れました。地元の人に勧められ、カンカルという小さな町のレストランで食べた牡蠣の美味しかったこと、いまでも忘れられません。白ワインのシャブリと、ブロンやプラトーと呼ばれる丸い形のヒラガキの味は絶妙でした。日本と同じマガキもありました。それはクルーズと呼ばれていました。
1960年代末から70年代初頭のことです。フランスの養殖牡蠣が、ウイルスの蔓延で全滅の危機に襲われました。そのときフランスの牡蠣養殖業を奇跡的に救ったのは、日本から輸入された宮城県産のマガキの稚貝でした。現在ではそのマガキの子孫であるクルーズの方がフランスでも生産量も多くよく食べられています。
日本でもこれから寒い季節にかけて牡蠣のシーズンがやってきます。日本の牡蠣はマガキと呼ばれる種類です。あの長い形、フランスでいうクルーズです。牡蠣はその味も美味で絶妙ですが、「海のミルク」とも呼ばれ、栄養の面でも申し分のない食材です。好きな人はどんどん食べて健康増進をはかることをお勧めしたいと思います。

世界中で食べられている牡蠣ですが、日本ではいつごろから食べられていたのでしょうか。考古学の発掘成果によれば、日本各地の縄文時代の貝塚から出土する貝の中では、ハマグリに次いで多いのがカキです。奈良時代の仏教説話集『日本霊異記』には、漁獲としてあがったカキを食べずに放生して善報を得たという話が載せられています。平安時代の『延喜式』には、伊勢国からの貢納物に蠣、礒蠣があったことが記されています。古代から牡蠣の味は日本人にとても好まれていたようです。
現在の牡蠣の生産はほとんどが養殖によるものとなっています。その養殖の技術が始まったのは、天文年間(1532−1555)に安芸国(現在の広島県)の漁村から、とか江戸時代延宝元年(1673)に安芸国の草津で小林五郎左衛門という人物がヒビ(竹や雑木を干潟に立てたもの)に牡蠣を付着させて育てる方法を用いてからだなどと伝えられています(『廣島牡蠣養殖場ニ関スル成跡書』)。最近まで、その広島県に次ぐ牡蠣の生産高を誇っていたのは宮城県でした。その宮城県に牡蠣の養殖を定着させたのは、アメリカで牡蠣の養殖技術を磨いて帰国し、石巻市で実用化に成功した沖縄出身の宮城新昌(1884−1967)と、三陸出身の伝説的な水産業者の水上助三郎(1864−1922)との出会いからでした。その宮城県の牡蠣は東京など首都圏で喜ばれ、一大ブランドに成長しました。しかし、2011年3月11日、東日本大震災が三陸地方を襲います。宮城県の牡蠣養殖業は壊滅的な打撃を受けてしまいました。そのときです。かつて、宮城県の牡蠣が救ったフランスの牡蠣養殖業から、救援の手が差し伸べられたのです。フランスから牡蠣の稚貝や養殖に必要な物資が届けられ、生産を再開することができました。そして、皮肉なことに大津波は沿岸の泥やごみをみんな沖の方へと運び、いま、そのきれいになった海岸で新鮮で美味しい牡蠣が育っています。

広島県の牡蠣も、宮城県の牡蠣も、また岡山県の牡蠣も日本の古くからの伝統ある食材です。栄養も満点。これから寒くなる季節、生ガキや牡蠣の土手鍋などぜひ楽しんでみましょう。ちなみに、フランスでは牡蠣は生食だけです。日本ではフランスとちがって、Rのつかない5月Maiからむしろ食べ始めるイワガキもあります。牡蠣の日仏文化の共通点と相違点とがまたおもしろいですね。
文:新谷尚紀(日本文化藝術財団専門委員/国立歴史民俗博物館名誉教授)