
ほおずき
お盆
祖先を供養するお盆の時期です。
地域によって、七月盆・八月盆があります。
古代からの祖先信仰と仏教行事とがとけあってつくられてきたお盆。精霊会(しょうりょうえ)、盂蘭盆会(うらぼんえ)などともいいます。
精霊とは祖先の霊のこと。盂蘭盆会というのは、母親を手厚く供養して地獄から救った釈迦の弟子・目蓮(もくれん)のお話から由来する仏教行事のことです。
十三日は祖先の霊を迎える日。家の門前に迎え火を焚いて、祖先の霊が迷わず帰ってこられるようにお祈りします。
盆棚に果物や野菜などの季節ものを供え、キュウリやナスで作った馬や牛を置きます。それは先祖の霊が馬に乗って帰ってくると考えられていたからです。
十四日・十五日は祖先の霊と一緒に過す精霊祭り。十六日は送り火で帰り道を明るく照らし、精霊をお送りします。
このように四日間お盆は続くのです。
こうして私たちはお盆行事で祖先に感謝し、供養するのです。
季節ごとの行事を体験すると、古くからの信仰や仏教の教えが私たちの暮らしを支えていることがよくわかってきます。

夕焼小焼
俳句の夏の季題とされる美しい夕焼。
実は、童謡「夕焼小焼」は日本人の持つ仏教観がよく表現されているといわれています。
夕焼小焼で日が暮れて
山のお寺の鐘が鳴る
お手々つないで皆帰ろ
鳥(からす)と一緒に帰りましょう
「夕焼小焼」作詞:中村雨紅
この歌のどこが日本人の仏教観に関係するのでしょうか。

夕空を赤く染める壮大な落日。
その彼方に、浄土のイメージを重ねて観ていた古来の日本人。
落日信仰といわれるものです。
煩悩や迷いのない清らかな浄土が「夕焼小焼で日が暮れて」のむこうに広がっているのです。
仏教の修行の場は、あの有名な比叡山や高野山などの山のなかにつくられました。
「山のお寺の鐘が鳴る」は、信仰の場である山の鐘が心に鳴り響いてくるのです。
「お手々つないで皆帰ろ」とは、どこへ帰るのでしょうか。
仏教の教えに従えば、生まれながらの自分自身に立ちかえることです。
小鳥や虫たちも一緒です。
「鳥も一緒に帰りましょう」は、“地球に生きるものは、すべて共生している”ということを意味しているのではないでしょうか。
このように考えてくると「夕焼小焼」はいつまでも歌い続けたい童謡です。
夏の記憶 聖なる山の大噴火
夏になるといつも思い出す歌があります。
雪が降るのは冬ばかりではありません。
次の歌は真夏に降る雪を詠っています。

田子の浦ゆ 打ち出でて見れば ま白にそ
富士の高嶺に 雪は降りける
(田子の浦を通って前方の開けたところに出てみると、富士の高嶺に真っ白に雪が降り積もっている)
『万葉集』にある山部赤人の歌です。
大和からはるばる旅をしてきた赤人が、夏に雪が降る富士山と出合い感嘆しているのです。
この歌の前に長歌があります。
その長歌には富士山についての古代日本人の記憶が受け継がれています。
天地(あめつち)の 分かれし時ゆ 神さびて
高く貴き 駿河なる 富士の高嶺を
と聖なる山をたたえつつ、
天の原 振り放(さ)け見れば 渡る日の
影も隠らひ 照る月の 光も見えず
白雲も い行きはばかり
その聖なる山は太陽の光も月の光もさえぎり白い雲の流れもはばんでしまうと詠うのです。
一体どうしたことでしょう。明るい太陽の光が見えなくなるとは!
また、夜には照っている月の光も見えなくなってしまうとは。
このことは、万葉集のもうひとつの歌、高橋連虫麿の「富士山を詠ふ歌」をみればはっきりとしてきます。
その長歌に、
富士の高嶺は 天雲も い行きはばかり
飛ぶ鳥も 飛びも上らず 燃ゆる火を
雪もち消ち 降る雪を 火もち消ちつつ
と描写されているのは、まさに富士山の大噴火の姿です。
燃ゆる火とは山頂で噴火している炎。
その燃えさかる炎を雪が消し、降る雪を炎が消す。炎と雪の闘い。
すさまじい光景です。
そして、虫麿の反歌は、
富士の嶺に降り置く雪は六月(みなづき)の
十五日(もち)に消ぬればその夜降りけり
富士の山に降りつむ雪は、六月十五日(太陽暦の七月下旬)に消えたが、なんとその夜また雪が降った。
赤人の長歌は次のように続きます。
時じくそ 雪は降りける 語りつぎ
言ひつぎ行かむ 富士の高嶺は
時じくそ(その時ではない時)、聖なる山の頂上には雪が降っている。語り継いでいこう、この霊妙な富士の山のことを。
燃ゆる火の記憶

フジというのは、アイヌ語の火、という意味だそうです。
富士山は、およそ五十万年前の大噴火で出現しました。
その後、度々の大噴火で高くなり、今から一万年から五千年前の間に現在の富士山になったと思われます。
その後も、噴火活動があり、今から約三千年前(縄文時代晩期)から紀元八百年頃(平安前期)までがもっとも活発でした。
縄文の人々にとって、富士山の姿が変るほどの大噴火は恐怖の体験となったことでしょう。
幾十日も続く大噴火、昼も夜も天空は真っ暗。日食と月食が同時に起っているような日々。
地鳴りがひびき、熱い溶岩の流れは村落を押しつぶし、多くの人々が亡くなってゆく衝撃。それはすさまじい大異変だったと思われます。
その大噴火は富士山への畏怖の心を生み、神の山として縄文人の心の奥底に記憶されたに違いありません。
その記憶は歌になって蝦夷の人々に伝承され、赤人にも伝わり、大和言葉に移り変わって長歌となったのでしょう。
富士山の不思議と霊妙さを感じとった山部赤人の夏の記憶。
私たちも日本人として受け継いでいくのでしょうか。
この世界は、今という時を生きている私たちだけではなく、祖先の人々、そして、これから生まれてくる未来の人々とで、できているのだと。
お盆の季節になるとふと感じます。
資料:
『日本人のしきたり』飯倉晴武編著 青春出版社
『無常の風に吹かれて』山折哲雄著 小学館
『和歌の解釈と鑑賞事典』井上宗雄 武川忠一編 笠間書院
『日本美 縄文の系譜』宗左近著 新潮選書
『日本人の一年と一生』石井研士著 春秋社
『日本の年中行事』弓削悟編著 金園社