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2015年12月01日

第9回 冬至

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 12月といえば1年の締めくくりの月、慌ただしく師が走るくらい忙しい月だから「師走」という俗説は、平安時代末期の『色葉字類抄』にもあります。その12月といえば、やはり冬至です。今年は12月22日(火)です。1年でいちばん日照時間が短くなる日です。この日は太陽の力がもっとも弱くなり、人間をはじめ動植物も生命力が衰弱してある種の危機と感じられるような日ですが、しかし、同時にこの日をさかいに陽気が回復してきます。つまり、冬至には、これから生命力が再生復活していくという「一陽来復」の信仰が伝えられています。
 この冬至に食べるとよいといわれているのがカボチャです。カボチャを食べると病気にならず、元気に冬を越せる、幸運に恵まれる、などといわれています。カボチャはカンボジアに通じる名前で、16世紀にポルトガル船によって伝えられた食物です。南瓜(なんきん)とか唐茄子(とうなす)などとも呼ばれており、比較的新しい食材であるためか、江戸時代の記録類にはまだカボチャが冬至の縁起物の食物だという記事はみられません。

また、冬至には柚子湯に入るとその冬は風邪をひかないとか、ひびやあかぎれが治るなどといいます。江戸後期の『東都歳事記』には「今日銭湯風呂屋にて柚子を焚く」とあります。冬至に柚子やみかんや柑子などの柑橘類をもって祝うという風習は長い歴史をもっています。それを教えてくれるのが日本各地の鍛冶屋や鉄工所で冬至の日に行なわれている「ふいご祭り」の伝承です。
「ふいご」というのは鍛冶の炉の火力を強くするための送風器具です。金屋子神とか金山神とか稲荷神とか、鍛冶屋や鉄工所で祭られている神さまは各地でさまざまですが、共通しているお供えがみかんです。

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(写真提供:國學院大學)

最近の研究(黒田迪子「ふいご祭りの伝承とその重層性について」『國學院雑誌』第116巻第8号)によると、鉄に焼きを入れるもっとも大切な瞬間の熱せられた鉄の色がちょうどみかんの色に通じるもので、それは太陽の光の色にも通じます。「ふいご祭り」には太陽のもっとも弱くなる冬至に、陰陽五行の信仰を背景として「一陽来復」の信仰とともに、新たな一年の始まりを祝うという意味が込められているのです。

柑橘類の歴史をみれば、日本書紀には常世国に遣わされたタジマモリ(田道間守)という人が、不老長寿のトキジクノカグノコノミ(非時の香菓)を求め得てきたという記事があります。古事記は「これ今の橘なり」と記しています。
万葉集にも
橘は 実さへ花さへその葉さへ 枝に霜降れど 弥常葉の樹
と詠われています。柑橘類には古くから不老長寿の果実として、常緑葉の生命力のある果樹としての意味が与えられていたのです。
現在、京都の平安神宮の紫宸殿の前庭には「左近の桜 右近の橘」がありますが、もともと平安時代前期は、「左近の梅 右近の橘」でした(古事談)。それは、「天子南面」といわれる都城制の中で、冬から春への年越しの永続性を象徴的に示すものでした。「冬至の橘」から「新春の梅」へという、歴代天皇の御代(みよ)御代(みよ)の永遠更新への願いが込められていたのです。
 カボチャや柚子の黄色や小豆粥の赤色は、いずれも冬至が太陽と火の祭りであったという古い伝統をいまに伝えているものなのです。

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12月22日の冬至の日には、身体によいというカボチャや小豆粥を食べ、柚子湯でゆっくり温まり、この日から始まる太陽のめぐりの新しい1年を清々しい心身で迎えてみてはいかがでしょうか。


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