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2015年07月01日

第4回 お中元

七月といえば、お中元の季節です。デパートではさまざまなアイデアを生かした商品を揃えて夏の商戦がヒートアップします。消費税アップの影響と、円安による輸入原料高から値上げが相次ぎ、売り上げに伸び悩むデパート業界にとっては、夏のお中元商戦は冬のお歳暮商戦とともに、その一年の業績を決定するほどの大切な機会となっています。消費者にとってもデパートにとっても、現代社会の一つの年中行事です。

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さて、誰に何をいつ贈るか、もう毎年のことなのでほとんど決まっている人も多いかと思いますが、結婚して新しい所帯をもった若い夫婦の場合など、いろいろと考え迷ってしまう人も多いことでしょう。そこでまず、誰に送るかですが、若い夫婦の両親やとくに親しい親戚同士というのがもっとも多く、会社など仕事場の上司や仕事上の付き合い先というのもかつてほどではないまでもやはり多いのが現状です。次に何を送るかですが、やはり飲食品が圧倒的に多いといってよいでしょう。そして、いつ送るかですが、これは関東と関西など、地方によって少しちがいがあります。7月上旬から発送して遅くても7月15日までには相手に届くようにするのが関東地方、7月中旬から発送して8月上旬に、遅くても8月15日までには相手に届くようにするのが関西地方というちがいです。お盆を月遅れで行なう関西地方ではその8月15日をめどにしているのです。
 このような、誰に何をいつ贈るのかというお中元の行事の傾向や特徴は、何に由来するのでしょうか。それは日本のお中元の歴史に由来します。お中元とはもともとは中国の道教の三元の信仰によるものです。1月・7月・10月のそれぞれ15日を、天官の上元・地官の中元・水官の下元として、その日には天官・地官・水官の三官がそれぞれ人間の行為を天神に報告しそれによって各人の運命が決定されるという信仰です。中国ではこの日に三官に罪を懺悔し供物を捧げて幸運を祈ったのです。日本にも伝えられたこの三元の信仰のうち、お盆の行事と同じ旧暦7月15日に当たっていたのが中元だったのです。
 日本のお盆の行事の中心は、もちろんお墓参りと先祖のみたまを各家へ迎えて供物でもてなすことです。しかし、もう一つ大切なのが盆(ぼん)供(く)と呼ばれる両親への贈り物でした。盆棚と呼ばれる新設の棚に、もしくはきれいに掃除した仏壇に、素麺(そうめん)やぼたもちやお茶などを朝晩供えて先祖のみたまと亡くなった両親のみたまをもてなすのです。ただしまだ両親が健在な場合には、いきみたま(生見玉)といって子どもたちが素麺(そうめん)や刺(さし)鯖(さば)を贈る風習が日本各地に伝えられていました。この風習の歴史は古く、たとえば鎌倉時代の藤原定家の日記『明月記』の天福元年(1233)7月14日条にも「俗習有父母者今日魚食云々」とあります。お盆に健在な父母には魚を食べてもらうというのです。
 この盆供といきみたま(生見玉)の習慣が、同じ7月15日ということで、江戸時代になると中元の供物と重なってきました。貝原益軒と甥の好古の編になる貞享期の『日本歳時記』(1687)には「十五日、今日を中元と云。国俗蓮(はすの)葉(は)飯(めし)を製して、来客に饗し、親戚にをくる」とあります。お盆の定番の料理である蓮(はすの)葉(は)飯(めし)を中元の日だから親戚に贈るというのです。天保期の『東都歳事記』(1838)には「中元御祝儀荷(はすのは)飯(めし)・刺鯖を時食とす」とあります。もともと盆供つまり盆の食べ物である荷(はすのは)飯(めし)・刺鯖を、中元の食べ物だと書いています。盆供の贈答が江戸時代に中元の贈答へと重なってきていたのです。お中元の贈答品に飲食物が多いのもこのような盆供といきみたま(生見玉)の伝統が生きているのです。

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 現在では古くからの盆供の習俗は影が薄くなってきています。しかし、お中元の行事はますます健在です。自分を産み育ててくれた両親への感謝の思い、日ごろお世話になっている仕事関係の人たちへの感謝の思いを伝えるお中元の習俗は、表面上のデパート商戦のヒートアップとは別に、その底流ではお盆とお中元の贈答習俗という人びとの感謝の伝統に支えられているのです。

文:新谷尚紀(日本文化藝術財団専門委員/国立歴史民俗博物館名誉教授)
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