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2015年06月01日

第3回 花田植え

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広島県や岡山県など中国地方の中山間地農村には、はなやかな伝統行事「花田植(はなだうえ)」が伝えられています。
古くから「囃し田(はやしだ)」と呼ばれて、その起源は鎌倉、室町の中世にさかのぼると考えられています。
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その代表的なものが、平成23年(2011)11月にユネスコの世界無形文化遺産に登録された北広島町の「壬生の花田植」です。その記録が残っているのは江戸時代からで、近所の5戸から7戸くらいの農家で組をつくって、「ささら竹」を手にした「サンバイ」と呼ばれる男性の掛け声と歌謡に合わせて、大太鼓や小太鼓、手打ち鉦や笛でにぎやかに囃し、早乙女たちが美しい声で田植え唄を歌いながら田植えをしたことが旧家に所蔵される記録には書かれています。
 それらの中のとくに大規模なものが、田植えの季節の総仕上げとして行なわれていた大地主の家の田んぼで行なわれた「大田植え」でした。数十人の着飾った早乙女や大小の太鼓をはじめとする囃し方、綺麗に飾り立てた「飾り牛」も数十頭が出て、「サンバイ」の指揮のもと、いわば豪華な一大田園絵巻が繰り広げられていたのです。そして、田植えの後のごちそうやお酒の振る舞いで、その年のきびしかった田植えの労働の終了を祝い、楽しく一日を過ごしたのでした。

 この「壬生の花田植」は、壬生という町場の「囃し田」と川東という近くの農村部の「囃し田」とそれまで別々であった二つの団体が、昭和51年(1976)に国の重要無形民俗文化財に指定されるに際して合同して伝承するようになったものです。それは日本社会が昭和30年(1955)の神武景気からはじまり昭和48年(1948)の第1次オイルショックでいちおうの終息をみる高度経済成長期を経た直後のことでした。牛馬を使う昔ながらの農業から耕耘機やトラクターを使う農業へと変わっていました。農家が牛や馬を飼わなくなって日本各地の農村から牛も馬もいなくなっていきました。その高度経済成長期というのは、多くの若者たちが農村を離れて都市に集中していく時代でもありました。
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国の重要無形文化財への指定は、地元の人たちにとっては応援でもあり同時に負担でもありました。早乙女になる若い人も減り農耕用の牛がいなくなっても先祖から伝えられていた花田植は絶やすわけにはいかない伝統行事でした。
昭和58年(1983)の高速道路中国縦貫道の全線開通と千代田インターチェンジの利用拡大は地元にとって一つの力となりました。企業誘致でUターンする人たちもふえました。肉牛生産の牧場経営者の理解と協力を得て、十数頭の飾り牛を農業用に訓練してもらって水田に入れ、ふだんは企業に勤務する若い男性や女性が勤めを終えての時間を使って練習を重ね、サンバイ、囃し方、早乙女の役目を果たすように工夫が重ねられてきています。
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 2015年6月7日(日)、そんな関係者のたいへんな苦労をみじんも感じさせることなく、今年も初夏の青空の下、絢爛な花田植がおおぜいの観客の目と耳を楽しませてくれることでしょう。


文:新谷尚紀(日本文化藝術財団専門委員/国立歴史民俗博物館名誉教授)
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